自己開示の難しさと大切さ
今回の伝えたいことは自分なりの自己開示の「大切さ」と「難しさ」について。
これは自分が自己開示に抵抗を持つようになった経験とそれを踏まえた上での自己開示の大切さについてまとめる。
まず過去の経験について。
そもそも自己開示性とは?
自分にとって自己開示とは「自分の性格、価値観、考えを共有すること」かなと思う。簡単に言うと「自分のマインド、気持ち、感情などの内面的なことを言語化などの表現を使って相手に伝える」こと。これがイコールで自己紹介なのかなとも思う。もちろん「伝える」と「伝わる」は主語が違う。だから一方的に「自分はこうだ!!」って言う形で言いたいことを言うのは少し違うと思う。(でも自分は今までその形やったかもしれない)それは相手が求めてないかもしれないから。なので、あくまで自己紹介は相手ありきで考えなければならない。
そして自己開示する上である程度の前提があると考える。それは「お互いが信頼し合えて自分の発言が理解される場であること」かなと。相手のことを「敵だ」と感じる場所で自己紹介なんてできない。自分の内面を知られて、弱みを知られて責められると死んでしまう。
そして、ここでの「理解される」表現は「無償の愛」と表現できるのかなと思う。でも自分は「相手のことを信頼する」ことに抵抗を持ってしまった。
なぜ相手を信頼できなくなくなったのか?
それは騙された経験が多いから。自分はインドが好きで今までに12回行ったことがある。そして毎回毎回インド人は全力で騙してくる。人を信頼してしまって挙げ句の果てにアフリカで強盗にもあってしまった。最終的には騙されることが当たり前になってしまって誰も信じられなくなった。つまり人間不信になった。その時に思ったのが「結局信じられるのは自分自身しかいない」ってこと。それを思ってからは基本的に相手の言うことは疑うようになった。自分の目で確かめて確認できたものしか信じられなくなった。だからこの経験を境に「単発的な行動力」は上がった。だが、それと同時に人と会話することも少なくなった。「相手の言ってることは基本的に嘘」っていう先入観を持ってしまった。
この経験から「自分が今までどれだけ人のことを気軽に信頼してたのか」と「自分が今までどれだけ平凡に生活してきたのか」について考えるようにもなった。だが、相手のことを信頼することのできなかった自分に思いがけない出来事が起こった。
自分の視野の狭さに呆れた瞬間。
インドやアフリカ=危ない国・悪い国と思う人が多いかもしれない。そりゃネットで調べたら詐欺とかぼったくりとかたくさん出てくる。自分もその事件にあった身だ。けど、悪い面もあれば良い面もある。悪い人もいれば良い人もたくさんいる。強盗にあって落ち込んでる自分に声かけて話を聞いてくれた黒人もいた。片言の英語でも必死に聞き取ろうとしくれる人もいた。落胆してる自分に同情して食べ物をくれる人もいた。泊まる家がないって言ったら家族のように家に泊めてくた人もいた。こんなことを経験して、自分自身に呆れた。「自分が出会った数人だけでその国のイメージを作ってしまった」ことについて。それと同時に「思い込みってめっちゃ怖いな」とも感じた。
そして去年、自分は強盗にあった国に遊びに行った。キリマンジャロ登るために。「最悪やったな」のイメージじゃなくて「最高やったな」のイメージに書き換えるために。
次に現在について。
それを踏まえてもなぜ自己開示が大切だと思うのか?
当たり前やけど、社会は1人だけじゃ生きていけないと思うから。強盗にあった時もたくさんの人に助けてもらった。「人種が違うからダメ」とか「考え方が違うから嫌」とか「見た目が怖いから嫌い」とかの個人的な偏見で判断したら何も変わらないんだなって実感した。つまり、自分は今までめっちゃわがままに生きてきたんだなって思った。ここでうわがままは何でも自分の思い通りにすること。でも、これからは自分の価値観に従った「わがまま」にしていく。そのためにはまず相手の自己開示をしっかりと理解できるだけの器の大きな人になることが目標。
今はいろんな場所で「相手に対して無償の愛」をすべきだと思う。これは今のインターン先でも言われてる。普通の人なら普通にできることなんだと思う。自分も自分なりに努力はしてるつもりだ。頭では分かってる。だが、思考を変えることは時間がかかる。めっちゃ難しい。でも、無償の愛が感じれる場だからこそ自己開示もできる。
結論
過去の経験から生まれたトラウマ的なことを改善することは難しい。自分の場合はそれが自己開示だ。でも生きて行くうえではとても大切なことだ。自己開示は難しいけどその分だけ大切だと思った。
PS.
インドは面白い国やと思う。騙されたり、盗まれたり色々とハプニングはあったが今となってはインド人の巧妙な手口に圧倒される。話術とタイミングでこれまで相手を騙すことの能力に感心してしまうこともある。つまり、インドはそれだけ自分の当たり前の価値観が変わる国だと思う。
死ぬまでにインドは行こうぜ🇮🇳