学問畑について (ショーペンハウエル風味)
なんだかここにきて、書籍とかの文章の〝東大臭〟を嗅ぎ分けられるようになってきたみたいな気がしてちょっと困っている。
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なーんてふうに書き始めると、いかにも嫌味ったらしいけど…このあとの内容は
私自身のしくじりのあんなこんなですから、安心してください w。
(冒頭ぐらい気取らせてくれい)
話を続けます。
いや、そもそも(岩波あたりをはじめとする)名門老舗出版社から書籍を出せる著者の顔ぶれ自体が東大卒ばかりなのだから、たまに読書をするってのなら、東大臭も何もあったものではないってことぐらいはわかってるってば。
たまたま予想がはずれても案外、編集者が東大卒だったりするかもしれないとか。
いや…これらはたぶん、私自身の〝学歴コンプレックス〟なのだと思う。
もちろん、東大および東大ご出身の方々に対して喧嘩を売っているわけではないが、おとなしくマウントされてしまおうって者でもない ^^; 。かなり以前から感じているのだが、何か…帝王学とでもいえばいいのか何だかよくわからないのだが、国策レベルで「東大でしか教えないことになっている」何かがあるんじゃないだろうかと勘繰っている。
あくまで一例だが、彼らはどれだけへりくだろうとも(あるいは無邪気になろうとも)自分をみずから見せ物にしてしまうような物言いや態度をとらない。どちらかといえば、涼しい顔で相手をコントロール(操縦)することが得意っぽい。天下の東大と肩を並べるのはきっと天下の京大なのだろうけれど、京大卒のほうはなぜか自ら道化を演じてしまううっかり者がいらっしゃる。先日の東京都知事で顔を緑色に塗って政見放送に登場した御仁も京大出身だというが、東大出身者は絶対にああいう戦い方はしない。ただ相手をからかい皮肉るとき、滑稽の模倣としてそういう手法をとることだったらありそうだけどね。
いや、だから…私は東大卒でも京大卒でもないんだってば。学生時代でまったくの劣等生に甘んじてしまったものだから、偏差値のほうですでに東大京大や早慶などとご縁をもつことはできなかったんだ。あとは、思春期に厄介な症状(チックや自分の体臭に関する妄想など—おそらくはメンタル系)に悩まされたり、いわゆる毒親サバイバーだったりで勉強どころでなかったといった理由もある(九割がた言い訳みたいなものです)。
話を戻そう。
たしかに私は劣等生だった。院へは進まず、5年目に4年生を終えて就職した。
量子力学で挫折したというのが主因?… ってことにでもしておこう。
そもそもそれ以前に私、理系のくせして数学があまり上手ではない。
最先端のジャンル(素粒子関連)はもはや数学なのか物理なのか…よくわからないところまでイっちゃってる。だめだこりゃと限界を感じて(というかその当時の私にはそこまでの分別がなかったと思う)おとなしくサラリーマンでもなるか…と早々と決めてしまっていた。
アカデミック界隈に残りたくば、まず抽象的なものをかっこよく(泥臭く、ではだめなのだ)扱える者が偉いってふうになる。数学が苦手なまま居座ると、さも欠陥品であるかのように扱われてしまうことに間違いないとは感じていた。
まあ…学問畑って見るからにマウンティングが強そうで怖かったし、研究室の風土・雰囲気なども肌に合わなかったのだろうな。大半の同級生が院に進んだなか、tonikaku 私は就職のほうを選んだ。バブルが弾ける直前あたりの呑気な時代で、就職活動ではほとんど苦労らしい苦労をしなかった。
院に進まないとなって何より決定的に同級生たちから孤立してしまい、ちょっと病んでしまって卒業が1年先になってしまったりで(笑)。とにかく私のこの時期はしくじりだらけだ。いまだにしくじってるけど。
テクニカルターム恐怖症に陥っていた
かなり緊張の強い性格(これはいまだにそうだ)なので、思ったことを発語するときについうっかりコトバを誤用してしまうことがある。頭のいい人たちのほうで脳内変換して聞き流してくれればいいのだけど、マウントを取ろうとする輩というのはやりとりの中に即座に訂正を容赦無くぶっ込んでくる気質がある。カルタ取りかよ。
テクニカルタームを駆使して会話することが極端に苦手だが、残念ながら研究室というのはわずかな雑談をのぞいてはテクニカルターム一色である。ちょっとしたことで言い間違えて「バカかコイツ?」ってふうになると、そういう立場に甘んじたまま、意志と人権を捨て権力者のイエスマンになるしかなくなってしまう。
果ては些細なことでも、このコトバの用法は果たして正しいのかどうか…と疑い始めて、頭のなかでゲシュタルト崩壊を起こしやすい体質となってしまった。つまり、まともに発語し会話することができなくなってしまったのだ。
正しいことしか言ってはいけないってふうな強迫観念につきまとわれ…いま思えば軽度?のノイローゼだったのだろうな、あれ。
正常な脳細胞の半減期がナノ秒単位。みるみるうちに私はその場のでくの棒という存在に…ああ、なんか書いているうちにちょっとずつ思い出してきたよ。ちょっとマジ動悸がしはじめてしんどくなってきたのでこの辺りで。
アカデミックな場所にはヒエラルキーの濫用があり
そして派閥間闘争がある
良くも悪くも…仕方ないですわな。
ただ…一言いっておくと、闘争の当事者になるのは権力者(先生)同士なわけで、平民である学生たちはなにも心配なんかいらない。所属する研究室で先生の〝太鼓持ち〟になっておればいいだけのことだ。バカほど程よくこの役割は務まったはずで、そういう意味では私は何の心配もいらなかった。なのに「傍観者としての嫌悪感に」苦しめられたってのはアホだったよねえ。
ヒエラルキーって意味でいえば、いつでも先生の信奉者かどうかの〝踏み絵〟を踏まされるってのも、ちょっとしんどい(意味のよくわからん暗喩的表現ですみません)。それ以前に、そのアカデミックっぽい会話の本質さえわかりもしないんだから、私としてはYESともNOとも言えないではないかと思ったり。性格が馬鹿正直すぎるのだ。そもそも院に進まない私の存在価値なんて、無かったに等しかったのに。
権威はバカを好む
あたりまえだ。謀反を起こされたくもなかろうに。
とはいえ人なんてものはときに、どんなに偉くたってとんでもないことを言っていたりするときだってありうるものだと思っている。
ただ…感情は正直だから、ときどき屈辱に耐え難くなってしまったりもする。
実はコロナ禍のもとで、けっこうそういう事態を見届けていたはずなのだよ。誤りは恥なんかでも屈辱なんかでもなく、ただ正していけばいい…というのが現在の私のポリシーだ。でも…なんだか最近は、開き直りばかりで誰ひとり謝らないからねえ。コロナ禍のころの御用学者さまたちにもそれを感じる。
私は私だから無知無教養ゆえに怒られたり皮肉られたりするのはしんどいのだけど、先生は私の無知無教養を怒っているかのように見えて、でも実は罵倒しながら脳内にドーパミンを迸らせていたのかもしれない。まあ、権威同士だったらガチバトルだ。撤収します。喧嘩きらいだもの。
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…とまあ、ここまで思いつくままにあれやこれやを書き綴ってしまったが…一部にわずかなフィクションと誇張も入っていることを断っておく。
なぜって? 先にも述べたとおりだ。
学士で去っていく学生に、先生さまがここまでムキになんてなるものか(笑)。
ただ…社会に出てから思ったのだが、結局はサラリーマン社会だって研究室のムラ社会とまったくの瓜ふたつでしかない。ヒエラルキーの濫用がありそして派閥間闘争があると書いたけれど、会社だってヒエラルキーの濫用だらけだし派閥間闘争だらけだ。そういう物事の本質に、20歳代どころか30歳代までほとんど実感を持てなかったのだから…ちゃんと成熟したアタマを携えて社会に出られなかったことに対しては実に情けない思いのなかにいる。
…ほんのノスタル爺だよ(ふっ)。
学問自体に罪はないんだけどね
ただ知識教養を所有している側と、知識教養を受け取る側というヒエラルキーの可視化だけには気をつけなければならないと思っている。理系流にいえばヒエラルキーによる圧の存在問題ってのは〝シュレーディンガーの猫〟みたいなものでして。構造につけ入ってアカハラを企てる、俺はバカだといった洗脳を加えられ弱みをにぎられる…といった関係性が実に醸成されやすい場だと感じている。
学生のほうが、無知ゆえに受け身に徹することが多いのは仕方ない。
ただ…質問を投げたときの先生の〝返し〟にだけは気をつけたほうがいい。大学生のみならず、高校生あたりにも伝えておいていいことかもしれないね、これ。
あとあがき
関係はあまりないんだけど…東京都知事選で大健闘した某県某市長出身のお方が、フジテレビの女性アナウンサーさんの質問を恫喝しはぐらかしたというあの一件。
まあいいんだけど…さすがに、どんなにテンパってても事後の釈明で「女・子供が…」云々なんて情けないことを、口が裂けても口走ってはいけない。
で…略歴を見て大いに驚いた。
へっ! この人も京大出身だったの…?!
あちゃー…(ここまで書いておきながら、マジでドン引きしてます)。
京大ご出身の方。もし気分を害されたなら本当申し訳ありません。
ほんと悪気はないんです。