
親父はどうやら景気の悪い話が嫌いらしい
大幅に加筆修正しました(24/09/02)
実家の父親から「そろそろ一度ぐらい顔出せや」と言われている55歳児です。
先週に電話をした。ともに80をすぎた老親たちふたりで風邪をうつしあっていると言っていた。少しはましになったのかと尋ねると、ぜんぜん治らんという。そんな危なっかしい空間に、来週から本格稼働を迎える私が飛び込めるわけがない。今朝の電話は、実家に赴くのは(ほんとは今日にしようと思ってたけれど)GWあたりにさせてくれ-そう伝えるためのものだ。
自他の壁
私と母親には自他の壁ってやつがない(もう一言つけ加えれば、かつての母親はしょっちゅう私の〝心の領域〟に侵入してばかりいた。いま思えば…私にももっと入ってきて欲しかったのかもしれない)。だけど、父親には鉄壁ともいうべき壁を持っていて周囲の意見などまるで寄せ付けない。
父親の大好物は、ヒエラルキーを振りかざして忖度を受けることだ。
一方の私は、機嫌のいい人の前では安心し、不機嫌にさせてしまうことをひどく避けてしまうような人だ。父親と話しながらふと、この人は部下とまったく同じ接し方をいま、私にもやっているんだろうな…と思ってしまった。部下には取り付く島を与えない。私にだってそうだ。気が短い上に瞬間湯沸かし器で気分屋。ちがうところは…私にであればいくらでも愚痴を垂れ、挙句は「他人事やないぞ」「どうにかせい」と言ってくるところぐらいか。部下にだったらきっと任さず自分で何もかもやってしまうんだろうから。
この人にとって、上司部下でのヒエラルキーと親子でのヒエラルキーの違いなんてたかだかそれぐらいのものではなかろうか。どこにいても上から接することができるってのは羨ましい限りだ。私はいつどこにいても…下っ端体質だ。
GWには帰れると思うけど…
いまは求職中で、それ次第で予定が変わるかもしれないことを手短に伝えた。
50歳をすぎたらパタリと仕事の当てがなくなってしまった。私も愚痴りたいお年頃なのだ(家内は聞いてくれませんので)。これを、かつてひとつ屋根の下で生活を共にした〝かの方〟に投げてみた。
まず私の惨状をふたことほど語ったところで、話を遮られてしまった。
「わしには人望があるから、会社からは、いつでもきてくれと言われているぞ」といったふうな自慢話での十倍返し。そらきた。またマウントをとられてしまったがいつものことだ。
息子の話なんて他人事。そして実に無邪気だ。
「そのうちオマエ、まあなんとかなるんやろ?」— 植木等の能天気なフレーズを投げてくる。
冗談ではない。ずるいよなあ。
悪い人ではないんだとは思う
いや、本当にそうか? そう感じるように洗脳されているだけではないのか?
「自分で塾でもやってみたらええやろ?」とか「ネットで何かやってみたらええやろ?」と言うけれど、現実はとても厳しい。昨年には旧ツイッターのXを使いながら、かなり本気で求職を試みた。しかしあえなく玉砕している — 群がってくるのは顧客にしたい大学受験生なんかではなくて同業ばかりだし、何より無駄に自画自賛とか同業どうしのディスり合いが多い。心が折れてしまったのだ。
そのあたり(のほんのごく一部)を父親に話してみた。
きょうはまだ聞く耳を持ってくれているほうの日だと思ったから。
でもそのうち…うるさくなってきたのか面倒くさくなってきたのか、観念して、ボケてしまっている母親に電話を渡してしまった。
「もう、お前の話が終わったらもう切ったらええからな」
湿っぽいものに触れた後のやや苛立ったトーンの声が、電話口の向こうから聞こえてきた。あとは認知症母の無限ループで煙にまいてしまうつもりらしい。
貧乏神ビームを炸裂させてやったものの
まだマシだと思う。かつての私は相槌を打つことしか許されておらず、私自身のことは(父親から質問するわけでなければ)何も喋らせてくれなかったのだ。
私が少しぐらいものを言ったり、ジャブ程度の軽口を叩けるようになったのはごく最近のことだし、そもそも私の近況報告などにはいまも昔もこれっぽちも興味関心など持たずに、ひたすら「ワシだけ」ひとりで喋っていたい人なのだ。
今後も数々のエピソードを書き綴っていくことになると思うけれど … いま流行りの言葉さながらの毒親である。さらにこの毒親には毒であることの自覚がない。
コミュニケーションはない。昔から一方通行。聞いてくれよと望んだところで、景気のいい話こそ聞く耳を持つけれども…湿っぽい話は即時遮られてしまう。そうだよな…困っているときに話がかろうじてできたのは母親だけだったよ。その母親もいまやボケてしまってるから、私の困っている話なんか聞かせても「かわいそうに…」ってふうに泣かれてしまうだけ。泣きたいのはこっちだ。
政治がらみの問題は毒親問題と似ている
昭和時代には昭和時代のスタイルでおせっかいをさんざ焼かせておきながら、肉親関係さながらに愛国精神を求め、失敗した国策の穴埋めをさせ、こちらの愚痴には頑なに耳をふさぐ。それでも政治家たちは「愚民どもに恩を売ってやった」と思い込んでいるわけだが…開き直りも甚だしい。
年老いた親もしかり。国家もすっかり弱体化しているから、次から次へときびしいことを要求してくる。こちらが困っているといった話には耳をふさぐ。年老いた親もしかり。
いつまで続くんだろうな。さあ、上手に気晴らしでもしようか…と言いながら、ふらりと競馬なんかはじめてしまうんじゃねえぞ自分。
ギャンブル好きはきっとオヤジのDNAを受け継いでいるはずなんだけど、あの水原通訳を見ているとはらはらしてしまうぐらい自虐的な思考パターンが似ていることを自覚している。もちろん、他人のお金なんて当てにしたことがない。親の懐すら当てにしたことはない。
最近ちょっと思っていること
「毒親」って言葉がちょっとひどすぎる。もう少しマイルドな言い回しってないかなあと考えている。暴走族を〝珍走団〟と呼んではどうかといった話が、実際に昭和時代にあった。
言葉のもつイメージ。これ意外と侮れない。
少しはオブラートに包んでみたいと感じている。
なにかいいアイデアはないものだろうか。
もちろん言葉をすり替えても本質は変わらない。それだけは自覚しておかねばならないが、毒という言葉を頭に置くだけで本当に心の毒になってしまうんだよな。