いまどきの食費と食事
このごろは「お腹が空いた」という感覚をそれほど持たなくなってしまった。たぶん年をとったせいだ。実家に帰省しておせち料理を前にすると親からは「たくさん食べろ」と言われ、もう勘弁してくださいってほど食べさせられたものだが … いまだまったく変わらないというのは本当どうにかしてほしい。実家から戻ったあとはその翌々日から泊まり仕事だったのだけど、その間はずっと昼食を抜いていた。正月に食べ過ぎて…味覚がストレスになっていたとでも言えばいいんだろうか。とにかく、これっぽちも食べる気がしなくなってしまっていたのだ。正月を丸一週間すぎたいま、ようやく味覚の心地よさが少しばかり元に戻りつつある。
それでもさすがに朝食は食べるし、仕事あがりはヘトヘトになるから夕食も食べる。ただ問題は…ひとたび食べるとなるとつい「食べ過ぎて」しまうことだ。
出先でのこの数日ほどのエンゲル係数はほぼ100%だった(それ以外で買ったものといえばマスクぐらいだったのだから笑える)。いやあ…いまどきのコンビニの食べ物が高すぎる! 2リットルペットボトルの水を必ず買って(仕事に出るときは500mlのボトルに詰め替えている)、弁当(ステルス値上げで1食当たりがやや少なめになっているのは私にはありがたいが)を買って…まあ頑張ったから自分へのご褒美にゼロコーラ。仕事中のお酒は自粛している。ゼロコーラの〝おつまみ〟にオーザックでも買うか。なんだか炭水化物だらけだからタンパク源としてゆで卵も買っとこ…えっ? これ卵のくせに1個100円もするの?
こんな有様だ。1回コンビニに行けば、出費が1000円を超えることばかり。
なにぶんお金がない。だったらさっきのセレクトに関しては、ゼロコーラとオーザックは無駄だろ?と突っ込まれそうだが … どうやら最近は体力のために食べているというよりは、ドーパミンを出すために食べているような状況なんだから仕方ない。とにかく気力が出ない。
仕事をやっているときはそれなりにドーパミンの勢いを借りることができるし、学生が難しい問題(私がかつて入学した大学の入試よりよほど難しい)を質問で持ってきて一緒に解いているときだってドーパミンは出ているのだと思う。なのに、ホテルの部屋に戻って一人きりになった途端に無気力な人と化してしまう。最近はひとりでの授業準備を始めるにも、なかなか重い腰が上がらなくてな…そういう実に情けない状況だ。
人間はあくまで人間なのだ。自己啓発書からはお説教ばかり食らってしまうけれど、情けないのだけど「もう無理です」って感じ。心理学で有名なあのマシュマロテストをやったとしても、たぶん現在の私はおこづかいそっちのけで即座にマシュマロにむしゃぶりついてしまうに決まってる。すっかりダメ人間になった。こんなダメ人間のことを〝先生〟なんて呼ばせてしまって本当にごめん。
お酒を1缶飲むと、まるで紐で繋がっているみたいに数缶ほど空けてしまう。その素質は若い頃からすでにあったけれど、やはり生活がうまく行かなくなってから数段ひどくなってしまった。おやつの類も然り。封を開ければほぼまちがいなくひと袋空けてしまう。これもう…摂食障害の領域ではなかろうか。
その割にはほとんど太ってないってのは不幸中の幸いなんだが。
もしエンゲル係数計算のとき、食物の内訳を「必要な食事」と「ドーパミン出すための無駄?な食事」に分けてしまったなら、係数もまた変わってしまうではないか。あるいはすべての食費に占める「朝昼晩の食事」の割合の比率とか。最近はカフェインの錠剤まで服むようになってしまった。こちらは食後血糖値の乱高下による眠気をおさえるためでもある。
「飽食の時代」という言葉があるが…いまも十分に飽食の時代だろうなとは思う。平均寿命が伸びているのはきっと、食事のクオリティが戦後間もないころに比べて数段良くなったからだと思う。
この時代にしてなお増税を企んでいる政治家とか官僚にはおそらく、我々の食生活が「戦後まもなくよりはよほどマシだろ?」と見えているからでないのだろうか。冗談ではない。どれほど複雑でストレスフルな仕事や生活で生き延びていると思っているのか?
あるいは第三次産業ってものを軽視しているのではないか。誰もが第二次産業に従事すればいいと思っているのではないのか。冗談ではないぞ。
とはいえストレスフルなのは第三次産業の雇用形態のいびつさからきているところはありそうな気がしている。とはいっても第二次産業…つまりは蟹工船のような場に身を置いたとしても状況はそれほど変わるまい。怒鳴られながら単純作業をやらされている様を想像すれば…生きた心地がしない。でもこれが近い先の私の姿なのかもしれないなとも。そろそろ覚悟を決めなくてはならないんだろうな。塾とか予備校なんてこの先どんどん潰れていくことはもう目に見えているし、契約講師なんて会社の中では〝鵜飼の鵜〟でしかないってふうにすでに成り下がっている。ガチで潮時なのかもな。
現場では受験生たちからそれなりに頼りにされている自負はある。会社的にはそんなものはどうでもいいってふうだと思う。私は「受けがいい」ことよりも「相手に必要なこと」を優先する人間なので、顧客アンケートの数字はいつもパッとしない。つまり人事考課のほうでは高評価ってふうにならないが、それはポリシーを持ってやってきたことだ(まあ…負け犬の遠吠えでしかありませんです)。
なんだか話がそれてきた。
私が私のポリシーを貫いていまの仕事を続けていく上では、老化とドーパミン不足はかなり深刻な問題になりつつある。食べものがわが脳の報酬系を支えてくれている一面がある。ジャンクフードだってある意味では〝必要悪〟なのではないのかなあ。アラカン、さらには還暦越えでまだ現役でやりなさいよ、ってことなら尚更そうなってしまうと思う。
ただ…その〝必要悪〟に頼りすぎると、こんどは糖尿病が悪化する。
父親がもう10年来インシュリン注射を打ちながら長生きしている。
長寿もいいんだけど…いろんなバランスの悪さを見るにつけ、とても複雑な心境に陥ってしまうのだ。ただ、自らの意思で死ぬというのは実に難易度の高いことではある。勧めたくはない。
自分はぬくぬくとしておきながら、他人に「さっさと死ね」と言い放つ奴らだけは絶対に許すつもりはない。あくまで私の信念だからディスられる筋合いもない。
ただ私自身は…ガチで〝社会死〟を迫れれたときの覚悟だけはしておこうと思っている(本当は三島由紀夫になれればいいのだが…残念ながら度胸も知性もカリスマ性もないので犬死にってことになる)。食事だって…タンパク源の多くは、命を奪われる筋合いのない豚や牛や鶏を屠殺して得たものであるのだ。これらの生き物は言ってみれば人間の食生活と、それで儲けている産業 — これら身勝手なものから命を奪われているのだ。
う〜ん…もう考えるのはしんどい。ゼロコーラが飲みたくなってきた。