見出し画像

書き物の〝値札〟についての、あんなこんな

2000円ぐらいのかつてのベストセラーが、100円ぐらいでの投げ売りだもんな。
マーケットプレイスで1円とかって…なんなの?

かつては本業の資料整理で大活躍していた、こういうスキャナーを持っている。
すっかり埃をかぶったまま部屋の片隅に鎮座している。

こんなまま放置してごめんよ〜

埃を拭き取らないままであえて撮ってみた。
ほんと、ずいぶん長いこと使っていない。
軽く1年ぐらいはこんな存在に成り下がらせてしまっている。

かつては大車輪の活躍ぶりだった。所蔵していた本の電子化(いわゆる自炊)に夢中になっていた時期があった。積ん読のままだった本が駆逐され、部屋がとてもすっきりした。本棚も処分することができた。

ただ、せっかく電子化した肝心のその本なんだけど…ほとんど読んでない(でもたまには読むこともある)。

ブックオフにはずいぶんお世話になった


きのう、電車がくるまでの時間をつぶすためにブックオフに行った。

けっこう久しぶりだった。最近はアナログレコードの品揃えが充実しているみたいだな。中古本はもう、あまり買う気になれない。最近は雑貨が豊富みたいだから、きのうは中古の一眼レフやレンズの掘り出し物がないかを軽く物色してみた。

思えば当初の自炊(スキャナでの電子化)は、ブックオフで買った本ばかりだった。100円とかで手に入るのだし、本を裁断するにも敷居は低かった。とにかく手当たり次第に買いあさっては電子化していたっけ。

そのうちブックオフで買う機会が格段に減ってしまった。
値段で選ぶ限られた範囲の読書ってのが、きっとつまらなくなったのだと思う。
品揃えの豊富な大型書店で2000円前後の本を買うことが増えた。そのころはまだお金があったから、書籍代に毎月1万円以上は使っていたと思う。で、そういうお高い本も平気で裁断して電子化していた。

で…最近買うものといえば、もう電子書籍ばかりだ。
現在の私は、Amazonでも楽天ブックスでもなくhontoというサイトに統一している。ただつい最近だけど、紙の本を何冊か買った。
なんだか液晶ディスプレイ見てばかりだったから。目も極度に悪くなった。

自己啓発書ってやつもずいぶん買った


育ちからくるあれこれの問題と戦いつづけているから、どうしても心理学・哲学書・仏教書、あとは自己啓発のジャンルが多めだと思う。ああ、うっかり哲学書なんて書いたけどカントとかは無理です。サルトルの「嘔吐」(哲学書ではなくて著者が哲学者ってだけだが)に至っては、どう受け止めていいものかわからなすぎて嘔吐しそうなまま読んだ。戦後すぐの日本でも邦訳がベストセラーになったらしいけど…あまり頭よくないから私にはちょっと無理だ。

自己啓発本に関しては、正直なところ「なんで買ってしまったんだろう?」という本が実に多い。1冊に1000円とか2000円とか払って買っていたわけだが…なんか熱病にでもうなされていたのだろうかってほどにくだらない本が手元にあったりで(ちょっと辛口になってしまった…すまない)。

ブックオフで買いまくっていたころというのは、まだネット上の書き物が積極的に有料化される前だったのではないかな。ちょうど新聞社が、揃ってネット記事の有料会員制へと舵をとりはじめたばかりのころだったと思う。そのころってnoteはあったのかどうかわからないけれど、私はまだその存在を知らなかったはずだ。

Yahoo! あたりでも最近は、ヘッドラインをクリックしたあと有料記事にいざなわれることが増えた。Tポイント Vポイントとも連携しているみたいで、ポイントで記事が買えたりする(これ、noteさんもやればいいのにと思うんですけど)ので、なんとなく何度か買ったことはある。ほとんどライトな雑誌を買うノリだった(雑誌も最近はあまり売れてないんだろうな)し、中身もたぶんそういうレベルだったと思う。実はむかしってのは、役に立つからお金を出すってふうではなかった。退屈しのぎ程度に2〜300円程度出すことの敷居は低かったと思うのだ。

さらにいえば書籍界隈、プロが作っているといいながらも、昭和平成だって十分に玉石混交だった。とりわけ自己啓発系はそうだった(もちろん相性って一面もあるから、ただちに質的な問題だとはいえないかもしれない)。出版される書籍自体、2000円前後払って、あたりになるかはずれになるか、それとも積ん読のまま終わってしまうかはめぐりあわせのようなものだったような気がする。レコードでいうジャケ買いにお金をかけるだけの余裕があるかどうかぐらいの話だ。

ネット上の読み物のいいところは、案外「一期一会」ぐらいのノリで向き合える手軽さなのかもしれない。積ん読って意外と、積みっぱなしの本から受ける圧が強いからね(苦笑)。

権威からの脱却という観点では悪くない流れかも


たとえば岩波書店あたりをはじめとする老舗出版社から出る本。
奥付け、そして著者紹介などを見ると、書き手さまの肩書きが見事に東大卒ばかりだったり。かつては本を出すには権威が必要だったみたいだ。
いまもそうなんだろうけれど。

ただ、世間が求めはじめているのは、威厳を持って書かれた小難しい知識よりも、生きた経験や方法論へとシフトしつつある(…のかな)? 経験豊富であることと学歴というものよりも(多少の相関関係こそ認めざるを得ないのだが)実用性や説得力のほうが重要視されつつあることは悪いことではないだろうな。

ネックは 「編集者」「査読者」がないことだと思う


いまどきの書籍に関して言えば「優秀な編集者があいだに入っているかどうか」はそれなりに重要なことなのかもしれない。すべてをセルフマネジメントでやってしまうことは、質的な意味でいえばやや不利なところだといわざるを得ない。著者自身の言葉がちゃんと読み手に優しいかどうか。あと、雑談などとはちがってモノ化されて残っていくものだから、正確さはとても大事だろう。それなりに(専門性のあるジャンルを含むものであればなおさら)査読みたいなものが間に入っていたほうがいいんだろうなとか。

noteの記事有料化に対してどうしても私が抵抗を感じてしまったり、あるいは私自身の記事を有料化することに対して及び腰である理由は、たぶんそれなのだ。セルフマネジメントではどうも、そのあたりの自信が持てないのだ、私には。

チームでそういうことをやっている方々もいるだろうし、ときには編集者が逸材を求めてスカウトしようかと待ち構えていることだってあるだろう。ただ、後者に関してはよほどの逸材でなければそういう機会にはありつけないだろうし、そうなればやはり自費出版という形態にとどまるのが現状ってふうだろうか。

最後に


自費出版に対して、編集者にお金を払ってついてもらったり、マネジメントを依頼したり…といったことにそれなりの金額を出して挑戦すること自体が、まだまだ(情報も少ないだろうし、そこまで野心的な人も多くないだろうし)敷居の高いことであるかのようには思えてしまうんだよね。これはまだ、私に十分な力量が備わっていないがゆえの「負け犬の遠吠え」なのかもしれない。

あるいは時代がよくなって、昭和のころによく売れたタブロイド誌・スポーツ系新聞紙ぐらいのノリでお金を出せる時代がまたくる可能性もゼロではない。

もしそういう機会を発掘できるなら、現状ではスマホってのがキーワードになりそうだ(やっぱりいまだ、iPadとかキンドルファイヤーを通勤電車のなかで読んでる人ってほとんど見かけないものな)。他力本願ではあれなんだけど…noteの運営さん。期待しております。




いいなと思ったら応援しよう!