タグでつながる自己紹介ツールを使ってみて得た3つの学び
おはようございます。
たぶん、私、生き急いでいます。
beingとdoingのことでしばらく頭がいっぱいでしたが、どうやらbeingにこだわりすぎると私は身動きできないようです。
さて、今日はvivalyを使って思ったことを書いていきます。
・vivalyのこと
vivalyというサービスのベータ版が配信されていることを知り、早速使ってみました。
使い始めてみて、3つの気づきを得ることができました。
1、コミュニティの活性化に必要な要素
2、タグでつながると何が起こるのか
3、<ともだちのなり方>のデザイン
この記事では、1、コミュニティの活性化に必要な要素についてまとめてみます。
・コミュニティの活性化に必要な要素
・最初のハードルの自己紹介
・ともに作り上げていく姿勢
・全員と仲良しこよしか、一部のメンバーとの馴れ合いか
・最初のハードルの自己紹介
コミュニティを作っていく上で初期のハードルは自己紹介です。
自己紹介の時にどのくらいの情報料を出せば良いのか考えてみました。
これまでの自分の自己紹介を振り返ってみたときに、私は自己紹介のタイミングでマウンティングが起こってしまうことに対してヒヤヒヤしたりドキドキしたりすることが多かったように思います。
あとだしじゃんけんではないですが、「そういえば」「それから」と徐々に自分を出していくほうが心理的安全性が高いのではないでしょうか。
勢い余って「全部乗せ」をしてしまったことで、あとあと後悔をした事も過去にたくさんありました。
ただし必要な前提を共有できていないことによって、そのコミュニティが正しく機能せず、なかなかうまく回っていかないということも起きやすいと思います。
「興味があったんだったら言ってよ」とか、情報量格差が起きてばかりのコミュニティになってしまうこととかを防ぐためには、自己紹介をしっかりしておくことは非常に大事なことだと思います
・ともに作り上げていく姿勢
ある人がこれまで何度も何度もコピー&ペーストをし作りあげてきた自己紹介文を読み上げるだけの自己紹介に、私はつまらなさ、物足りなさを感じます。
それって、名刺の交換会するだけで、ほとんど話ができなかった苦い経験を思い出させられるからかもしれません。
自己紹介をし合いながら新たな自分を発見できる、そんな場所があればコミュニティは活性化していくのではないかと思います。
コミュニティは、情報をたくさん持っている人が情報を持たない人に対して伝授する場所ではないことを私は望みます。
単なる情報のやり取りであれば、読書や視聴で十分です。
せっかくやり取りができる双方向の場なのであれば、共に作り上げていく前提を活用しない手はないと思います。
そのためには、情報を欲しいと望んでばかりの「クレクレさん」でなく、お互いにその場に情報を出し合い貢献しあう
「ギブ、ギブ、ギブ、アンドテイク」byうらたくさん
このフレーズはインパクト抜群です。
・全員と仲良しこよしか、一部のメンバーとの慣れ合いか
コミュニティ内での人間関係って、濃淡様々ですよね。
最近私が夢中になっている「未来フェス」という手法は、一人5分間のスピーチ大会がベースになっています。
日常を振り返ってみても、自分の意見を5分間じっくり聞いてくれる相手というのは、なかなか見つからないのではないでしょうか。
それくらい、お互いのことを伝え合う場所って枯渇しているんです。
相手の伝えたいことをじっくり聞く、自分の伝えたいことをじっくり話す。
そんな場所があるというだけで、その場への帰属意識はどんどん高まっていきます。
また、共通項を見出すと、一気に相手との距離が縮まります。
ああ、それ私も興味ある
実は好きなんだよね
いつかやってみたかったんだよー
と、共通の話題や関心ごとで盛り上がることができると、その場はどんどん活性化していくのではないでしょうか。
人と人とがともだちになったあと、何が起こっていくのか。
その流れは、コロナ禍で確実に加速しています。
でも、意図して何かを起こすと、意外にもつまらなくなってしまったりします。
そのあたりを理解するために、まだまだ自己組織化についての対話が私には必要です。
2、タグでつながると何が起こるのかについては、次の記事で書いていきます。
おわりに
落語が好きな自分は、学生時代、部活の友人に趣味の話をできずにモヤモヤしていました。
逆に、当時、部活以外のことを友人たちと話してこなかったことに対して、後悔をする気持ちも芽生えてきました。
今なら、何らかのツールを使って、お互いをさらっと見せ合うこともできそうです。
幸い彼女らとは、オンラインで同窓会をして以降、定期的に集まることができそうです。
今までとはまた違う自分を見てもらえること、自分の知らなかった彼女らの一面に触れることができそうなこと、面はゆいながらうれしい気持ちが芽生えています。