ロシアにラスコーリニコフごっこをしにいく/前書き
大阪の人は新喜劇や漫才の言葉と自分の言語を同一視されることを嫌うが、関東の人間からしてみると、西成、難波、ミナミ、どこにいてもすべての瞬間が新喜劇のように思える。それと同じく、ロシアの人はドストエフスキーの作品がロシアに固着させたイメージを嫌うが、行ってみたロシアはやっぱりドストエフスキーの国だった。私は大阪が大好きだし、ロシアにもめちゃめちゃに惚れ込んだ。
10代の終わりにドストエフスキーとチェーホフに魅入られてから、ロシアへの憧憬を10年にわたって温めてきた。期待を裏切られることを恐れてもはや行くタイミングを完全に見失っていたのだが、中学生のときに知り合ったネット上の友人と突然ロシアに行くことになった。知り合ったのは、今は亡きキヌガサというpaperboy&co.運営のSNSだ。SNSって招待制だったんですよ、覚えてます?私たちは当時「凛として時雨」とか「syrup16g」とかが好きで、確かにとても趣味が合ってはいたけれど、親交が一時途切れて再び交流を持った20代、お互い別のルートでロシア文学にはまっていたのは全くの偶然だ。彼女は名古屋で看護師になっていた。
それで昨年の9月の末に休みを合わせてペテルブルグとモスクワへ飛んだ。旅行の前から課題図書を決めておいた。罪と罰の再読、白夜、ゴーゴリの鼻、外套、狂人日記。なんだこの文学少女の夢みたいな旅は。
ロシアにはまりすぎた私は今週末からベルリンへ行くついでにトランジットでモスクワへ行くことにしたので(ところで1月のロシアはやっぱり凍死ですか?)、取り急ぎ前回の旅行をまとめてみたい。なお、日本での一般的な表記はペテルブルクではあるが、どうもしっくりこないのでペテルブルグと表記することにする。