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宿無の翁
2020年1月26日 04:07
大阪の人は新喜劇や漫才の言葉と自分の言語を同一視されることを嫌うが、関東の人間からしてみると、西成、難波、ミナミ、どこにいてもすべての瞬間が新喜劇のように思える。それと同じく、ロシアの人はドストエフスキーの作品がロシアに固着させたイメージを嫌うが、行ってみたロシアはやっぱりドストエフスキーの国だった。私は大阪が大好きだし、ロシアにもめちゃめちゃに惚れ込んだ。 10代の終わりにドストエフスキー