人は人生で3人に恋をする。
そして、それぞれに理由がある。
1つ目の恋。それは若い時に経験する。最終的にはそれぞれ別の道に進んだり、小さなことが原因で別れたりする。大人になって思い返すと、あれは「愛」ではなかったと思う。でも、実際はそれも「愛」だったのだ。その時に知っていた自分なりの「愛」。
2つ目の恋。それは厳しい恋。痛み、裏切り、嘘、大きな傷。この恋が色々なことを教え、人を強くする。この恋を経験し、人は自分が本当に愛するものとそうでないものを知る。そして、自分が何を欲していて、何を欲していないかもわかるようになる。
3つ目の恋。それは警告もなしに静かにやってくる。自分から探しに行かなくても、向こうから訪れる。どんなに壁を作ろうと、その壁は取り壊される。意識的にそうしようとしなくても、その人のことを気にかけている自分に気づく。今までのタイプとは全く違う。それでも、その人の「不完全さ」の中に美しさを見出す。その人には何も包み隠さない。その人と結婚をし、その人との家族が欲しいと思う。その人がいてくれることに、世界に感謝する。心からその人を愛していると感じる。
私は今3つ目の恋愛をしています。2つ目の恋愛の「後遺症」を引きずったまま始まった3つ目の恋愛は、今までに感じたことのないほどの愛を毎日私に届けてくれます。
どんなに私が私を受け入れられない日が続いても、彼にとっては私を受け入れることが、とっても簡単なようなのです。
色んなことがあって自分を見失い、長い間苦しい日々が続いていましたが、彼からもらう温かな優しさのおかげで、少しずつ本来の自分に戻っているように感じます。
私はずっと、どきどきするような恋愛よりも、心が温まるような、ほっとするような、そんな落ち着いた、優しい恋愛をしたかったのです。そして、今の恋愛は、私のそんな望みをそのまま形にしたようなものです。
色々な経験を経て、今は、「愛とは受け入れ合うこと」だと感じています。受け入れてもらえることが、これほどの安心感をもたらしてくれるのだということを、私は初めて学びました。
完璧主義なところがあり、欠点に目が行きがちだった私が、少しずつ変わり始めたのは、彼が私を、私の欠点までまるっと、いとも簡単に受け入れてしまったからでしょうか。
「このままの私では愛される価値なんてないんだ」と、思っていた日々は、いつの間にか消えてなくなりました。
今も私は、私自身を受け入れることを難しいと感じる日が多々あります。でも、「自分が嫌い=愛されない」という考えは、彼の大きな愛に吸い込まれて、溶けてなくなってしまいました。
私は2つ目の恋愛で、自分自身を大切にできませんでした。もっと早くに気づけていたら、ここまで苦しむことはなかったのではないかと思うことも、正直あります。それは、以前お付き合いしていた方が悪かったとか、そういうことではなく、私自身が自分のことをきちんと理解できていなかったから、自分にとって大切にすべきものの順番を、少し間違えてしまったということです。
「頑張って愛する」ということに、なんの意味もないのだということに、時間が経ってから気がついたのです。そして、「頑張って愛してもらう」なんて、「頑張って愛する」ということ以上に意味がありませんし、そんなことは不可能でした。
愛は、無条件で、一時的に手に入れるようなものではなく、何かに左右されたりしない、大きくて穏やかな海のようなものです。
永遠ではないかもしれないけど、永遠を感じさせてくれる、大きな力を持ったものです。
私も、大きな海のように、自然に愛を届けられるような人になりたいと思います。
もし今、2つ目の恋愛で苦しんでいる人がいたら、自分自身を大切にしてあげてください、と伝えたいです。
みなさんが、優しい人に囲まれて、心穏やかに過ごされることを祈っています☘
*3つの恋愛については、インターネットで見た情報ですが、大元はわかりません。英語の記事だったので、日本語で書くと少し変に聞こえる部分があるかもしれません。