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名前の任意性

何かに名前をつける、つまり命名の場面を考えると、論理学的にはほとんどどんな名前でも付けてよい。なぜならば論理学的にはその命名によって相互に否定し合う2つの識別不能な命題が生じないことが必要だからである。したがって、論理学的に問題のある命名とは、その命名が既存の名称と重複するが故に同じ名前を主語とし、同じ名前を述語としたときに肯定命題も否定命題もできてしまうような命名である。

例えば、あなたが自分が飼っているネコに「ウミネコ」という名前をつけたとしよう。しかしウミネコは既に鳥の種類の名称としてある。だから、この命名を通せば「ウミネコはネコである(なぜならばあなたのそのペットはネコだから)」という肯定命題も「ウミネコはネコではない(なぜならウミネコは鳥類であり、ネコは鳥類ではないから)」という否定命題も両方成り立ってしまう。つまり、形式的に矛盾する。これぐらいあからさまな事例はむしろ見つけにくいかもしれないが、既存の名前と重複しないようにするというのは命名の際の基本的な配慮事項であろう。

だから、このような当然気にするような幾つかのこと、例えば既存の名前と重複しないだけでなく間違えにくいとか、長過ぎないとか、人名なら本人が名乗ったり呼ばれたりするときに特別ネガティブな印象を与えないとか、できれば発音しやすく憶えやすいとかを気にすれば、あとはどんな名前でもいい。ただ、ここまでのことにも含まれているように、既存の他の名前とハッキリ識別できることは何としても必要であるし、万一同姓同名の人が同じ場所、同じ集団にいるときは、それぞれの名前を「増設」したり、ニックネームで上書きしたりして識別可能にして運用するものである。


以前、特に固有名詞を念頭において、それに紐づいた観念もその対象となる外部の指示対象も変化するにも関わらず、固有名詞は変化しないことがあるのだから、そのとき指示対象の同一性を保証するのは唯一その名前だけである、と書いたことがあった。例えば、ダートマスという町がダートマスという町であるのは、ダートマスという町がダート川のそばにあるかどうかには関係がない。ダート川が無くなったとしてもダートマスはダートマスであり得る。そしてそのとき、持続しているのは「ダートマス」という名前だけである。だからダートマスという町の同一性は「ダートマス」という名前が保証しているのだという具合の話である。

だが、この論証 argument は実際多くの人が受けるだろう印象としても、私自身にとっても、どこかトリビアルでバカバカしいようなところもある。確かに名前は同じかもしれないが、それはダート川のそばにあった昔の或る町と、今ではまるで地理的条件も住む人も交通も産業も文化も変わってしまった或る町とがたまたま「ダートマス」という同じ名前で呼ばれているだけではないのか? 「名は体を表す」というが、名前が同じなだけで連続性や同一性が支えられているはずだというは強引過ぎないか? だって名前なんてただの文字であり、声に過ぎないのだから。そんな口先のコトバは町の実態とも実体とも何の関係も無くてむしろ当然ではないか、と。むしろ指示対象と何の関係も無い(=連動しない)からこそ仮に町の様子が変わろうが、すべての要素が他の町とそっくり入れ替わろうが同じ名前でいられるのではないか、と……。

「そりゃそうだ、名前なんて大したことの無いものだ。別に味気ないナンバリングだって構わない。そんなものが事物の同一性などという重たいモノを支えられるはずがない!」。なるほど、そう考えることもできる。一方、反対の考え方もできそうではある。すなわち、「事物の同一性なんて、もともと弱く儚(はかな)くその実在すらあやしいというか、そもそも実在しないのではないか?」という疑念である。

我々が何かの同一性を認識するときは、その認識対象に与えられた名前、すなわち識別子 identifier を通じて認識するしか無く、それが可能になるのは、そもそも我々の認識能力(主観)の側にしるし同士、識別子同士を見分ける能力が備わっていて、かつ、しるしの側(非主観)にも見分け得るだけの特徴が装備されているときである。つまり、識別可能なしるしである名前の方が実在するかどうかもあやふやな「同一性」なんかより実はずっと「偉い」のではないか? そしてその名前の「偉さ」を担保しているのは、我々がどういうわけかたまたま、或る種のしるし(音声・文字)を精密に識別したり、並べ替えたり、他のしるしと対応付けたり、特定のしるしを含むしるしの列だけを抜き出したりできるという不思議な能力を持っているからである。

名前自体は確かに単なる物体のかたちであり、岩に刻まれたキズのような他愛のないものであるのだが、人間の識別能力との組み合わせでそれが複雑な事物や組織の管理を可能にしてしまう。これってそれ自体でかなり不思議なことだし、奇跡的なことだと思っている。

(2,044字、2024.06.13)

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