固有名は存在しない?
本稿では固有名は存在しないという結論を述べる。その根拠は固有名は単なる雑音や無意味な記号列とは区別されるべきであるにも関わらず、区別するための決定的な特徴づけを持たないことである。以下、説明をおこなう。
命題と様相
まず前置きとして、命題について説明する。命題 proposition とは真であるか偽であるかという真理値を持つ文 statement のことである。文とは、SはPである、のように主部と述部から構成される。例えば、「ソクラテスは白い」は文である。かつ、「ソクラテスは白い」は命題でもある。なぜならば、「ソクラテスが白い」は、ソクラテスが白いという事実と一致しているかいないかが問えるからである。事実と一致しているかいないかが問えるということを「真理値を持っている」と呼ぶ。一方、「がソクラ白いテス」は日本語の文に成っていないため、その真偽を問うことができない(=真理値を持たない)。また、「起立!」や「パリは燃えているか?」は文ではあるが、命題ではない。なぜならば、これらは命令形や疑問形であるため、その真偽を問える形式ではないからである。
命題は真理値を持つものだという定義を確認した。この規定において、命題の内容が端的に現実(事実)であろうと、必然的に真であるか偶然的に真であるか、あるいは不可能(必然的に偽)であるかは未規定であり、関係ない。言い換えると、命題とは可能性の点から(=様相的に)命題内容がどう評価されようと意味(=真理値)のある文であるとも言える。
固有名と指示対象
次に、固有名について注目する。固有名 proper name(例えば日常言語においては〝ジョー・バイデン〟のような固有名詞)はその指示対象との指示関係がなければ、ただの雑音である。だから、仮に文の中に単語ではない雑音が混じっていれば、その文は真理値を持たない。つまり、その雑音入りの文は命題ではないことになる。
ここで固有名は一見、指示対象の(現実の)存在を前提するように思える。なぜならば、指示対象が(現実に)存在しなければ、固有名はその特徴的な機能である指示に失敗し、指示対象をつかみ損ねて空振りし、ただの雑音または記号列でしかなくなるように思えるからだ。
固有名についての我々の直観
しかし、一方で既に存在しない「シェークスピア」や、架空の人物であり歴史上一度も存在しなかった「シャーロック・ホームズ」などは現実に固有名として立派に通用している。なぜならば、これは我々の直観にかなったことだからある。すなわち、我々はそれらの固有名詞を問題なく、哲学的なことに頭を悩ませることなく現に運用できてしまっている。
だから、日常的直観に従うなら、「シェークスピア」や「ホームズ」のような固有名は指示対象の現実存在を前提せずともトラブルなく機能するし、そのような固有名を含んだ文は命題の資格を持つ(=真理値を持つ)のだとも言わざるを得ないだろう。
純粋な固有名?
となると、いったい固有名の位置付け、その意味のメカニズムを我々はどう考えたらよいのだろうか?
ここで例えば〝純粋〟な固有名というものを考えてみると、それには幾つかの特徴を数え上げることができる。(1)まず固有名は指示対象の特徴(内包、概念)を超越している。なぜならば、例えばダートマスという町がダートマス川の河口に存在しなくなったとしてもそれがダートマスと呼ばれ続けるように、固有名は対象のあり方から独立に運用されるからである。
(2)次に、「シェークスピア」の例からわかるように、固有名はそれが目の前にあって直示できるかどうか、現前非現前とも関係なく指示機能を果たすことができる。
(3)さらに、「ホームズ」の例からわかるように固有名は存在不在をも越えている。
そして最後に、(4)第四に固有名は様相(可能・不可能)をも超越している。
つまり、〝純粋〟な固有名は指示対象の存在からも様相からも、概念(特徴づけ、内包、規定)からも独立して存在することになるだろう。それでいてなおかつ、それは単なる雑音や単なる記号列とはハッキリ区別されていなければならない。なぜならば我々は固有名詞を含んだ文や文章が無意味かどうかに頭を悩ませることはほとんど無いからである。
だが、こうしてみると、「固有名」というのは究極的には雑音や記号列そのものと一致してしまうのだから、区別しなければならないにも関わらず区別不可能となってしまう。すると、それはもはや言語の一部とは言えなくなるのではないか。言い換えれば、固有名は本当は存在しないのではないだろうか?