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日記:リラックスは義務です Relax, your duty

休養が苦手だ。
息抜きが苦手だ。
リラックスが苦手だ。
力を抜くのが苦手だ。
何もしないでいるのが苦手だ。

昔、工場で箱を少しずつ運んでいたら次第に肩が痛み出したことがある。それでもガマンして数十分ほど、姿勢を崩しながらも運んでいたが、次第に痛みはマシ、首をまっすぐ前に向けることができないほど首筋にも痛みが生じた。見かねた同僚が上長に言ってくれて早退させてもらったが、帰るだけでもつらかった。

当時ちょうど近所に「神経内科」というおそらくこの種の症状に専門的ではないかという病院に行ったが、原因は不明だった。とりあえず様子見というかんじで痛み止めと筋肉を緩めるクスリをもらって数日経つと、痛みや強ばりは無くなった。それから何年も再発していないが、いまだに原因はわかっていない。疲労やストレスが原因ならもっとつらい場面はいくらでもあったのにそういうタイミングではなかったからだ。

そういうわけで、肉体的(=筋肉的)にも精神的にもリラックスするのが苦手だ。リラックスを考えずに作業していても、筋肉が勝手に強張るといった上記エピソードのようなこともあり、それがいつくるかわからないので恐れている(もし、ずっと身体が強張り続けるようなら、今の仕事も辞めざるを得ないだろう)。刹那的な気分になる。

はたして、私の硬くなってしまった筋肉が私をリラックスさせてくれないのか、それとも誰かから受け取った言葉やこだわってしまった言葉が私に対して高速的にはたらいて私をリラックスさせないのか、その両方なのか、あるいはどちらも実は私の痛みとは見当違いの話なのかわからない。

医師など専門家の所見をきいたり、各種検査結果をみたりしても、どうやら少なくとも首からしたに特殊なところはなさそうだから、自分でも不思議だしどうしようもない。

きっと、首から上の神経系に何か不具合があるのだろう。それは神経の配線がショートしているのかもしれないし、外部からの信号の受け取り方、つまり認知が不正確だったり不適切なのかもしれない。例えば「~しなくてはいけない」とか「~してもよい」とかには過剰な反応を示してしまう。つまり、過剰に鈍感になったり、過剰に敏感になったり、考えすぎたりしてしまう。

この過剰さが劣等感やステレオタイプと絡んでしまうと、自分でもウンザリするほど、軽く数時間以上独りでグチを並べていたりする。どうしてそこが頑張れるのに、別の言葉たちが私に訪れてくれないのか不思議なほどである。今日の記事も1,000字を超えたので、ここで擱筆(かくひつ)する。

(1,053字、2023.11.16)


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