記号に寄せて考える
主に社会人向けの哲学のサークル幹事を継続してやっている。それで、幹事である私が特別哲学に知見があると思われるのか、難しい概念について質問されることも少なくない。実際のところ、他の人にたずねてくださいと言いたくなることもある。なぜならば、プロの研究者にたずねる敷居は低くなっているし、常連参加者の中にもっと気の利いた回答ができる人がいるからだ。
確かに難しい概念について、私は何の知識も持っていないわけではない。例えばそれを表す名前をどこかで聞いたことがあったり、関連する論点や対立構造を説明可能なこともある。しかし、定義のようなかたちで簡潔にまとめられるかというと心細い。自分でも自分自身の知識がグラついていることにモヤモヤするが、仕方がない側面もある。なぜならば、哲学という分野では、アカデミックな領域に限ってもコンセンサスのある概念の方が少ないのだから。
ただ、ここ数年でやっと「文字列やセンテンスに絡めて定義をすれば、目に見えない概念をそれなりに納得感のある定義に落とし込めるらしい」と気がついた。なんでもそうだとまでは言わないが、それまでモヤモヤをモヤモヤとして操作していたのを、識別可能な記号の列に変換して考察したり説明したりする方が、自分自身でも自分が何をやっているのかクリアになるのだ。
例えばローマの公務員などから「真理とは何か?」とたずねられたとする。1+1=2のような具体例を挙げたり、究極価値であるとか我々が従うべき規範であるといった答え方もできるが、一方で、「与えられた文の真理値を真 True にするような対象である。例えば〝雪が降っている〟という文の真理 Truth は雪が降っているという出来事 Event であり、この出来事が真理である。他の文にもその文を真にする真理がある」と答える方が賢そうである。
また、さらに問われて、「では真とは何か?」と言われても、「それは文の性質の一種である。この性質の具体的な値は文と文が指示する出来事との関係によって決まる。なぜならば、その出来事との関係によって文は真になったり偽になったりするからだ」という具合に一応答えられる。このような文 Sentence という記号列に沿って答えていくやり方はまるで辞書の定義のような語り口であって、人によっては言い逃れのような印象も与えるかもしれないが、少なくとも「究極」「絶対」「最高」とか「我々が心の内側に持っている~」などの曖昧な言い方や具体例の列挙に頼り切らずに済むという点で優れていると考えている。
(1,054字、2024.03.17)
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