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独占禁止法ができた原因、あるいは複数の観点から同じ現象を眺めること。
高校の「政治経済」の用語集を最近眺めている。私は政治経済を科目として選択したわけではないので知らないことも多いし、私が学校を出た後に起こった現象で追加された項目もあるので、今の受験生はこのように要約されたかたちで学んでいるのかと自分自身の見聞を要約&更新することができる。また、その中で自分の中の既存の知識を別の角度から見直すこともできた。なぜならば、「政治経済」という教科において要約される歴史は他の角度から要約される歴史とは異なる角度で要約されざるを得ないからだろう。
例えば、日本の戦後の会社の歴史を描いた書籍(『法人資本主義の構造』)を読むと、独占禁止法は公正な市場競争を担保するという建前の下に制定されたが、実状を研究すると財界によってその内容は骨抜きにされたという印象を持つ。この観点からすると、「なぜ独占禁止法は制定されたのか?」に対する回答は公正な競争という建前になり、但し書きとしてその実効性には疑問符が残ったという歴史観になるだろう。
一方、政治経済の用語集をみると、日本敗戦後の「財閥解体」と「独占禁止法」とが連なるものであることがわかる。どういうことかというと、米軍は財閥を解体したが、当然旧財閥企業はお互いを買収したり合併合同して再編しようとするわけである。せっかく解体させたのにまた財閥復活となっては意味がない。そこで、独占禁止法とそれを執行する機関を設置したのは、米軍の観点からみると財閥の再形成阻止、すなわち日本の無力化の一環だということになるわけだ。
そしてこの観点からみると、財閥が復活することは少なくとも半世紀以上無かったわけだから、「骨抜き」になった(旧財閥企業の影響力が残った)とはいっても米軍が独占禁止法を制定させた目標は一定の成果を収めたとも言えるわけだ。そしてこの観点からすると「なぜ独占禁止法は制定されたのか?」に対する回答は、公正な競争などという一般的・抽象的なものではなく、財閥の無力化のため、あるいは大日本帝国の無力化のためと成るわけである。
日本の中学校高校で教えられる教科、あるいは受験教科としての政治経済を一部だけでも学び直すことは今までの知識を洗練させたり、別の観点から見直す選択肢を持ったり、ひいてはニュースをみるときの視野を増やし広げるのに役立つだろう。なぜならば、他の専門書や我々大人がその時代を過ごした当事者であるが故に持っている先入観とは違うかたちで大雑把に異なる観点から要約あるいは文脈を与えてくれるからである。
(1,040字、2024.09.05)