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あなたの生い立ちをたずねて

※AIの助けを借りて作成された文章です。

人の生い立ちを聞くのが好きだ、と言うと、なぜか相手は少しばかり身構えるものだ。いや、別に怪しい詮索をしたいわけじゃない。ただ、聞いてみたいのだ。その人がどんな道を歩んできたのか、どうして今ここにいるのか、そんな話が私には面白い。それに、こうして話してもらえると、何かしら自分の中の眠っていた何かが、ぽつりと目を覚ますような気もするのだ。

この趣味とも呼べぬ癖の始まりは、おそらく大学時代のサークル活動だろう。人文系のサークルの幹事を引き受けて、はや十年以上になる。毎回、テーマを決めて意見を出し合うのだが、正直、真面目な討論に終始することは稀で、大抵は連想ゲームのような会話に流れてしまう。そうした中で気づいたのだ。サークルに集まるのは実に個性豊かな人たちばかりで、それぞれの「生い立ち」が会話の中で垣間見える瞬間が一番興味深いと。

たとえば、実家が新宗教の教会だというミュージシャンの方とか、アダルトゲームで死生観を学んだ高齢者とか、ゆば工場で働きながら柄谷行人のファンだという人。そんな人たちの自己紹介を聞いているうちに、私はいつの間にか「議論」そのものよりも、「この人たちはなぜこんなテーマに興味を持つのだろう?」というところに惹かれていった。

それだけではない。新卒で就職した会社を辞めた後、私は深く自信を失った。会社を辞めるのは手続き上スムーズだったけれど、社会で働くということがすっかり怖くなってしまったのだ。そんな折、先輩に言われた言葉がずっと胸に残っている。「君は仕事のスキルアップも必要だけど、他人に対する思いやりがもっと必要だよ。」思いやり、だなんて、なんと抽象的なアドバイスだろう。けれど、それが一つの鍵だった気がする。

自信を失い、社会から少し距離を取る中で、私は「思いやり」の練習として人と話すことを始めた。SNSで生い立ちを尋ねたり、普段自分では読まないような本を手に取って「この本を面白いと思う人はどういう感性を持っているのか」を考えたりした。そして気づいたのだ。他人の話を聞くという行為は、ただ情報を得る以上のものだと。

生い立ちを聞くというのは、一見すると何の結論も生まない行為だ。だが、話しているうちに見えてくるのは、相手の感受性の中にある景色だ。その景色を想像するためには、相手の言葉に耳を傾け、自分の中で何かが浮かび上がるのを待つ必要がある。沈黙や、些細なエピソードの共有を通じて、少しずつ相手との間にある「違い」を埋めていく。それがなんとも言えない感動を伴うのだ。

もちろん失敗もあった。嫌われたり、誤解されたりすることも。でも、話を重ねるうちに、「やさしい人だね」と言われることが増えたし、自分には想像もつかないような境遇を生きる人たちの存在を知ることもできた。それは私にとって、小さくも確かな喜びだった。

こんなことを続けて、果たしてどこにたどり着くのだろう?正直、わからない。それでも、人の生い立ちを聞くという行為が私にとって一つの旅のようなものになっている。それだけは確かだ。

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