ランナー

 数週間前からジョギングを始めた。理由は単純明快、ダイエットのためである。久しぶりに体重計に乗る機会があり、その数値に驚愕した。去年の検診よりも5キロ増えていた。見た目ではあまり変わらない(と個人的には思っているが、自分のことだから分からないものなのか…)のだが、どこに贅肉が…と下を向きながらションボリ走っている。特に食事量が変わったわけではないので、加齢によって代謝が下がったのだろう。いよいよおじさんの仲間入りである。
 走り出すと、予想以上に身体が動かない。中高で運動部に入っていたのが厄介で、頭は当時の感覚を覚えている。一方で、運動らしい運動といえば、大学1年のころの必修の体育以来であり、もちろん身体が追いつかないのだ。辛いだけでなく、悲しい気持ちにもなる。何で走ってるのだろう…とネガティブになりながら予定コースを終える。肺の痛みと口腔内に広がる血の味が、感覚だけを高2の夏に一気にフラッシュバックさせる。あの頃は馬鹿みたいに走っていたが、今では20分のジョギングが精一杯だ。
 そんな老体も、数日ほど走り続けていると慣れてくるもんで、初日ほどは辛くなくなってきた。慣れって恐ろしいものである。当時は基礎体力作りやウォーミングアップ、現在はダイエットと意味合いはかなり異なるが、再び走ることが週間づいたらきっと素晴らしいのだろうな、と思う(痩せたらやめちゃいそうだけど)。

 そんな具合で目的を持って走り始めたわけだが、時々すれ違うランナーの方々に対して、ふと思いを馳せる。みなさん何かしら目的を持って走っているのかなと思うと、どこか面白くなってくる。いや、そんなことを考えていないと走ってられない。面白いと思わないと続かない…運動部時代は練習がキツすぎて、危機感に突き動かされていたが、怠惰な生活を繰り返す私を縛るものなど何にもない。己の意思ひとつがジョギングの原動力というわけだ。脆弱すぎる。こうして現状を文字化しているだけで、「これは続かなそうだな」と我ながら深く頷いてしまう。
 純粋に走ることは楽しんでらっしゃる方々は本当にすごいなと思うし、いまのところ理解できそうにない。運動部時代からこのマインドは変わらないので、この先もしばらくは捻れの位置なのだろう。
 聞くところによるとジョギング健康法の提唱者はジョギング中に亡くなったとのことだし、雨の中、傘もささずに走っている方とすれ違うこともある。どうやら、ランニングには一種の中毒性があるみたいだし、ランナーを強烈に縛り付ける何かがあるようだ。その領域に至るには先が長そうだし、多分、どこかで右折なり左折なりをしなくては辿り着けなさそうだ…

 そんな消極的ランナーこと私を縛りつけている「脆弱な原動力」は前述のとおり、ダイエットなわけだが、実は現状、ものすごく太っているわけではない。と思っている。自己評価が甘いかもしれないが…それでも痩せたいと思っている理由は2つ。
 1つは痩せている方がかっこいいと思っているから。若い頃のイギーポップや甲本ヒロト、最近だと真空ジェシカの川北茂澄など、ガリガリな人に憧れがある。いわゆる「シュッとしてる」というやつだ。自身の骨格的に痩せてもあのようには多分なれないのだが、できるだけ近づきたいという願望がある。
 もう1つは太ることへの潜在的恐怖があるようだ。幼少期、私はなかなかにふくよかな少年であった。それでいじられたり、いじめられたりとかはなかったが、個人的には望ましい状況ではなかった。小学校5・6年ごろからバスケットボールを初めて急激に痩せたというか運動向けな体格になったが、父親・祖父が割と恰幅のよいタイプだったので「お前も将来太るぜ」的なことを言われていた。それに対して逆張りをかますのと同時に、太る未来を回避したいという思いが潜在的に心の中にあったらしい。今回、ランニングに関して文字起こしをしたことで、そんな思考が偶発的に整理された。

 そんなこんなでここ数週はヒーヒー言いながらも走り続けている。とはいえ、バランスは大事にしたい。辛いのは嫌だし、飯は美味いし。特にここ数ヶ月、なぜか食事が美味しくて仕方がない。大変幸せなことだ。モデルさんよろしく、身体のキープのために無理な節制をして体調を崩しては元も子もない。できる範囲で「楽しみながら」ランナーであり続けたい。とりあえず年内は続いてたらよいな、と記しておく。さぁ、どうなることやら…

https://music.apple.com/jp/album/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC/1455042811?i=1455042812

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