花束みたいな恋をした
花束みたいな恋をした、観ました。
映画って正直長いので2時間の間に集中力切らして中断することが多々あるのですが、この作品はテンポが良くて2時間あっという間でした。面白かった〜
まず冒頭の、イヤホンのRとLを恋に例えた二人の台詞でぐっと心を持っていかれました。そうなんだよ、一つの恋を分かち合っているのではなく、恋は2つあるんだよ!と同意。この映画は、別れたあとの二人がそのことに気付くまでの過程だと言えます。
ふたりは趣味がとても良く似ていて、出会ってすぐに意気投合。様々な場所にデートしたり、お互いが好きなカルチャーを持ち寄れば話がつきません。出会ったときの偶然の重なりからして、ふたりはまるで一心同体かのように描かれます。同棲を始めてもケンカの描写一つなく、ずっと仲良しで平和な日々が続きます。
しかし、二人がそれぞれ就職し環境が変化すると、それが幻想であったことが見えてきます。働きながらもそれまでの趣味を失くさない絹に対し、多忙を極め疲弊していく中で趣味を楽しむことができなくなる麦。初めはイラストレーターになる夢を諦めていなかった麦でしたが、いつの間にかすっかり会社の色に染まり、仕事人間になっていきます。一方で学生時代には夢らしい夢を語ってこなかった絹が、イベント系の会社に転職し、好きなことを仕事にするようになります。
そうして二人はだんだんぎくしゃくし、共有できる感情がなくなり……というストーリー。
恋人であっても違う人間であって、よく似ているように見えても、環境が変わると案外簡単に人は変化するし、見えなかった部分が見えてくる。当たり前なんだけれど、出会うべくして出会ったかのように趣味が共通し、一心同体のように一つの恋を共有しているのだと錯覚していたふたりには、別れを選ばざるを得ないようなつらい事実だよなあと思いました。一冊の漫画を二人で読んで泣いていても、見ている場所も感想も違ったりするのです。
違う人間同士がつながるためには媒介が必要で、それが麦と絹にとってはカルチャーでした。もちろんここまで趣味を共有できるカップルばかりじゃないと思います。二人にとっても、生活する中でつながる媒介は、家とか猫とか、川辺の道やパン屋などに増えていました。もっと根源的には、発せられる言葉なんかも媒介として強く存在しています。違う人間同士がわかり合うために、つながるために、そういう外部のものが必要です。花のようにそれらが世界に存在していて、花を見つけては一緒に愛でるようなことが人間関係なのかもしれないです。共有できるものがたくさんあるほど、わたしたちはひとつなのだと錯覚することができ、それは幸せなことです。
絹は花の名前を麦におしえませんでしたが、それ以外のものをあまりにたくさん共有してしまっているので、それらを見るたびにお互いを思い出すのでしょう。
なんだか、単に恋愛ものとしてだけ捉えるのではもったいない気がします。ただ恋の熱が冷めたという感情面だけでなく、人間同士が実は何も共有できていないという、バラバラの世界に生きているという、根源的な問題を、恋愛映画というキャッチーさで易しく包んでくれた映画なのかも、と思いました。