日記 2024年10月30日
ちむどんどん放送時になんとなくフォローした、作家の鈴木智彦さんのツイートが、わりと好きだ。
彼の著作を読んだことはない。積読の中の一冊に「サカナとヤクザ」がある。そのうち読むだろうけどまだ機会がないままだ。
彼は「空っぽな理屈を使いこなす」ような話し方をしない。少なくとも、私が読んだツイートの範疇ではそうだ。
そんな彼の、先日のツイートが、心の暗部にブッ刺さって抜けない。
https://x.com/yonakiishi/status/1851063156879278304?s=46&t=L5pN8CJVrLm43Qx0sOl95g
「報復しなければ生きていけない」
激情とよばれるほどのゾーンには、復讐心なしに到達できない。
月曜日の「映像の世紀バタフライエフェクト」を観た後だったからだろうか。週末に、自分自身が他人への怒りに塗れたからだろうか。その両方が混ざり合って、ニンゲンに対し、ドロドロとしたマグマのイメージを生む。
「法は船だ」と寅子は言ったけど、今の私が同じ質問をされたら「法は杭だ」と言うだろう。
人間の感情は流体だ。今日の正義は明日の罪になる。誠実と不実は鏡のようだ。こちらの右があちらの左、しかもくるっと反転する。
だから、法がある。
流れに杭を打ち流体に形を取らせるために、法ってあったりしないだろうか。それがなければ、実はヒトは、ヒトの形を取れないんじゃないか。
われら連合国の人民は、
われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、
基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、
正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、
一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること
並びに、このために、
寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、
国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、
共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、
すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、
これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。
「報復しなければ生きていけな」かった、めちゃくちゃ沢山の人間を想像する。
報復する術などなにも持たないまま、壊れた数えきれない人間の固まりを想像する。
1945年10月24日発行のこの前文は、当事者が紡いだ言葉だ。そこから79年が経った。戦争が始まり、紛争が止められない。アジアからヨーロッパに、兵器と人間が投入されるニュースをやっている。歴史は繰り返さないけど韻を踏む、と言ったのは磯田道史先生だ。今度はどんな韻になるというのだろう。
私はこれから、zoom会議に出席する。まだアバターはつかわない。なんとなく、リアルとバーチャルの、そこが分水嶺な気がしている。