綺麗な草には毒がある(かもね)朝ドラ「らんまん」感想文

終わりました。朝ドラ「らんまん」、面白かったですねえ…!ディテールに徹底的にこだわって、植物のレプリカから書類の筆跡まで、どこをとっても細かく作りこんである物語でした。多分、私のNプラ視聴歴の中で、途中停止して画面見直した回数が一番多いドラマだったと思います。

終了して1週間。
物語について考える時間は多いのですが、ロス…というほどロスになってはおらず、むしろ考えるほどひやりと冷たいものに触ってしまうような、不思議な体験をしています。

今回はそんな自分の「らんまん」感想を少し書いてみようと思いました。上手くいくかな。どうだろう。

「時代の断層」を描く

この物語の脚本を書かれた長田育恵さんの過去のインタビュー記事を読んで、ああそういうことなのかと納得した箇所があります。

題材選びで最初に考えるのは、「時代の断層」があるかどうかということです。乱歩や金子みすゞらに注目したのは、彼らの人生に「大正12年」という関東大震災の都市があったから。古い時代の帝都・東京が滅び、新しい東京が始まる切り替えの時期で少なからぬ影響を受けていました。『地を渡る舟』では第二次世界大戦がそれにあたります。そんな「時代の断層」から垣間見えるものを見たいという欲求が作家としてあります。

国際交流基金Artist Interview 2014.1.31

記事はいまから10年近く前の物ですから、今回の朝ドラについて語ったものではないのですが、長田さんの興味が「時代の断層」にあることを知ったうえで朝ドラ「らんまん」を観たとき、この物語が届けたかった大きなテーマが「移り変わる時代そのもの」だったのだな、と納得しました。

時代ののぞき窓としての東京大学

「個人を題材に、移り変わる時代そのもの」を描く、としたとき東京大学はぴったりな舞台だったのだろうと思います。

朝ドラ「らんまん」は、半年間の時間の大半を東京大学での人間関係にフォーカスしています。始まる前、もっとモデルである牧野博士の人生をざーっと最後までドラマにすると思っていたのでこの時間配分は不思議の一つだったのですが、たまたま読んでいた本(立花隆「天皇と東大」)に「日本という近代国家がどのようにして作られ、それがどのように戦後日本につながるようになったかについて、東大という覗き窓はピッタリの視点」とあり、膝を打ったのでした。

洋学の台頭、国学&漢籍の大元である昌平坂学問所(昌平大学)の閉鎖、米英モデルの大学運営からドイツモデルの大学運営切り替え、「天皇」の政治的ポジションの変化に伴う洋学へのブレーキ、合理的判断よりも政治的配慮の優先、天皇に対する不敬への過敏な反応…

これらは「史実」として東京大学(帝国大学)に起こったことですが、まるでそのままこの国の近代史をなぞるようです。そして、その一つ一つは朝ドラ「らんまん」でも直接・間接的に描かれてきました。

和歌と源氏物語が大好きな徳永先生の不遇はそのまま昌平学校の不遇を映すようですし、その後アメリカ帰りの田邊からドイツ帰りの徳永に権力が移行していく様子はそのまま大学運営の切り替えの史実を移植したように見えます。

なにより、台湾出張や合祀令の史実をドラマに入れ、学問の現場から合理的思考が消え、政治的配慮が優先されていく様子は、時代が下るにつれ右傾化していく世の動きとリンクしてとてもわかりやすく自然に伝わってきたなあと思います。

物語が好きすぎる私たち

日本の歴史学の最大の欠点は、歴史と物語が分かちがたく絡み合っているところにある。本当の歴史学を樹立するにはまず「この物語の弊風を脱する」ことが何より必要である。歴史の史料を選ぶのに、イデオロギー的親近性や好悪の感情にとらわれてはならない。それをすると必ず歴史的判断を誤る。

立花隆 天皇と東大I

東京大学国史学科を舞台に、明治24年「児島高徳抹殺論」「久米邦武筆禍事件」という事件が立て続けに起こりました。

政治体制が大きく変わるとき、新しい為政者は歴史の書き換えをしたがるものですが、明治維新においては、少なくとも当初は、ちょっと方向性が異なりました。
国史編纂事業の担当者に選出された重野安繹は、中国史考証学と西洋史実証主義の影響を受け、史料批判と考証に優れた人物で、重野と一緒に編纂事業に携わった久米邦武もまた史料批判を重んずる立場でした。

引用はそんな両人の「歴史学者」としての信念について語った部分です。

ふたりは史料批判や考証といった合理的手法を使って、今までの「日本の歴史」(『大日本史』や『太平記』『平家物語』など)を批判していきました。

一方、一般大衆は、寿恵子が披露した八犬伝講談を軍人が身を乗り出して聞いていたように、軍談講釈師や浄瑠璃などを通じて『太平記』や『平家物語』に慣れ親しんでいました。血沸き肉踊り涙涙の勧善懲悪のエピソード。「激しく熱い、命のやりとりぃぃぃ」です。なのに重野と久米は、そういう物語について、その登場人物は「いなかった」とか「そんなエピソードはあり得ない」とか論破する。彼らにしてみると「ただ事実のみを追求し、事実が発見されたら筆を曲げずにストレートに伝えること、それこそが歴史学の肝であり最も大切にするべき大原則」なわけですが、それは受け手の大衆にとって大きな衝撃でした。

そして、やがて筆禍が起こります。久米邦武が発表した日本神道に関する論文について、内容が「不敬である」として政治問題になったのです。

(神道側の)攻撃のポイントは、この論文は皇室と皇室の祖先を侮辱する不敬不忠の論文だということにあった。この主張によって、問題はみるみる政治問題化し、文部省は久米を非職としたので、久米は自分から職を辞して早稲田大学に去り、重野は免職となった。東大の国史科はニ人の教授を失うことになったのである。日本の大学に初めて起きた、学問の自由、大学の自治を揺るがす大問題であったにもかかわらず、大学の内部からも外部からも、この二人に救いの手を差し伸べようとする動きは全くでなかった。

立花隆 天皇と東大I

近代的考証と実証を積み重ねた結果(あえていえば科学的根拠)であっても、人は自分の信じる「物語」を否定されることに我慢がならない。わからないでもないのですが、問題は、この話が一般大衆の床屋談義では収まらず、東大執行部の判断にまで発展したことにあります。

ここで思い出されるのは万太郎の台湾エピソードです。統治した国での植物研究に現地の言葉を使うことを禁ずる、というのは、まあ当時の気持ちとしてはあり得ることなのだろうとは思うものの科学的態度では全くなく、とてもエモーショナルというか、イデオロギーの塊でしかない反応です。しかしそれに対し、本来合理的科学的態度で臨むべき東大植物学教室は、結局なにも物申せませんでした。

勧善懲悪、社会道徳、イデオロギー、そういったものに源泉がある好悪の感情に囚われすぎて、本質を見るのを嫌がる…どころか、もしそれに反するように見えるものが出てくれば、本質を分析する前に皆で攻撃して、つぶしてしまう。なんとなく、現代にも地続きに思えるのは気のせい…じゃないのでしょうね。。

多分、私たちは物語が好きすぎるのです。
儒教を源泉とした道徳観や物語、そんな下地があるところに、明治のこの時代、身のうちから出たわけでない、輸入物の思想がやってくる。どうも消化できないまま、安易に手近なところにある道徳観で上書いてしまう。そしてそんな「空気」を、本来逆らったり啓蒙すべき政治家や知識人たちがこぞって参加…どころか時に牽引してしまう。
万太郎の物語には出てきませんが、同時代の東大では、加藤弘之教授の国体新論絶版事件、戸水寛人博士の日露戦争継続論など東大教授たちが起こした様々な事件があり、「学術的理念」よりも「空気」を読んだとしか思えない事例が沢山出てきます。
この辺の“理由”については知識が足りず正直「わっかんないなあ」という所も多いのですが、今の世に地続きだなあ思う部分も多くて、知るべき史実と思いました。

東大を舞台にした「牧野太平記」

朝ドラ「らんまん」では、牧野富太郎という実際の学者がモデルとなり、槙野万太郎という架空人物の“史実”として紹介されました。

ドラマ上、彼の行動は標本整理のアルバイトとして槙野家を訪れた藤平紀子に「考証と実証を積み重ねて」明らかにされた正確なものとされました。でもそれは、モデル(富太郎)の“史実”を元に、不都合は丸めたうえで、美しい愛の物語に昇華させた“ドラマ”です。そういう視点では、刺さるトゲは少なく、もちろん作り手の手腕によって、ヒントはありつつもするっと毎日呑める、綾の酒のような喉越し柔らかな感動作になっていたと思います。

ドラマの目的が牧野富太郎評伝にある訳ではなく「移り変わる時代そのものの描写」にある以上、モデルの事実と異なることは大して重要ではない。そして実際、物語と史実融合の匙加減もみごとでした。
ただ、これは東大を舞台にしたいわば『牧野太平記』であり『牧野平家物語』であった訳で、そういうねじれもまた、面白いなと思います。

(ところでエピソードしては不要なのに妙に「渋谷の鍋島様」がフィーチャーされた(久米邦武は鍋島様と深いゆかりのある人物)ことからも、おそらく作り手の脳裏には東大国史科を舞台にしたこの一連の騒動が念頭にあったろうな、というのが私の見立てなのですが、さて、どうでしょう…)

描かれないポジティブな未来

さて『牧野太平記』として感動的な愛の物語を紡ぐ一方、このドラマがやらなかったことがありました。それは、「ポジティブな未来を描かない」ことです。

万太郎と寿恵子はお互いに「ずっと明るい方を向き続ける」「わしの心を照らす」といいあいますが、その世界はふたりでとじています。世間を変えようとはしないし、実際大きな流れは変わりません。
「この先の未来に残すものじゃ」と叫ぶ万太郎は、おそらく自分の人生よりもさらに先、来世とか、次世代とか、少なくとも次のハチクが咲くレベルでの未来をみているように感じます。

「おかえりモネ」で耕治さんが言う「どこに行ったってお前たちの未来は明るいんだ」
「ちむどんどん」で暢子が言う「だってウチたちは、同じ世界に住んでいるんだ」というセリフ、私、涙出るほど好きなのですが、そういう(時に無理してでも発する)ポジティブなメッセージは朝ドラ「らんまん」からは出てこなかったように思います。

今を生き抜く、やりきる、今の日常に寄りそう、という言葉はありますが、「将来には特に期待もありません、諸行は無常ですしね」という、どこか突き放したような、ある意味冷淡な、浮かれていない諦観がビンビン伝わってくる感じがしたのです。

物語は昭和初期、これから皇国日本帝国が破滅に向かって進む、そんな時代の入り口で終わります。私は、聞き齧った牧野博士の評伝から、てっきり昭和23年の昭和天皇への御進講までドラマ内でやると思っていたのですが、戦後の万太郎は出てきませんでした。
戦中、戦後に彼やその息子娘、孫たちがどう生きていったかは物語の枠外で、ただ藤平さんの「生き抜きました」という言葉が闇の中にふわーっと浮かんでくるようです。

で、令和初期を生きる私たちです。
多分、たくさんの人が長田さんの言うところの「時代の断層」に生きている事を感じていると思います。
そんな中、朝ドラ「らんまん」は少し前の「時代の断層」を、そこに生きた人々を空気ごと見せてくれました。なぜこのテーマを、このドラマを、今、なんでしょうね…

ドラマを通じて牧野富太郎さん自身の人生は、美しい草花のように脚色されました。
しかし作り手の「時代の断層」を見つめる冷静な目は、その美しい草花を分解して精緻に描きおこし、剥き出しにしたようにも思えます。

パーツを並べ、毛穴まで晒したときに垣間見えた「時代の断層」の冷ややかな事実と暗さ。

その冷静な視線に触れたように思うとき、私は万太郎の世界に自分の子供の未来を重ね、すこし震えてしまうのです。





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