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選り好み

こんばんは、WTFブログです。

何も初めから心を閉ざしていた訳じゃない
悲しい言葉が響いていく

私は自分が見える環境にぼやきを言っています。
嘘を排除しているように見えて、選り好みをしている訳だと思います。

個人的には、類は友を呼ぶという言葉がありますが、その渦中に入ってしまった時点で、入った自分にも何かしら難があって、他者の悪い所が全体に悪目立ちし可視化されていても、渦中に入った時点で難ありだという解釈の元では、五十歩百歩などではないかと思います。

抜け出す努力を甘んじて御託を吐いたり、世迷言を言うくせに何もしないのは、楽をして選り好みをしたいって感情ではないでしょうか?

やってる事はほぼ、子供部屋おじさん2世なのです。

人に対して、傷つける言葉と寄り添う言葉は選べるのだと思います。楽をしたいから感情そのままに選択をしてしまうけど、尊重や大事があれば、選ばなかった言葉もあるのではないでしょうか。

何も思わない訳じゃない

楽ベースで言葉を、相手を傷つけると知っていて選んでしまったとか、そういった些細な後悔が、その人が亡くなった後に、その人への淡い悲しみになってしまうのだと思います。

自分たちには選択の自由があって、選択の機会にちょっとずつ思い残しを残していき、思い残しがライフイベントの時に急激にやってくる

謝ることが遠いから愛だけ覚えていくというのは本当によい道なのでしょうか

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