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道草の家のWSマガジン - 2025年1月号
良く晴れた日 - スズキヒロミ
外はやけに明るく、良く晴れている。吹く風はまだすこし冷えていて、汗ばみそうになる顔やシャツを気持ち良く乾かしていく。歩道に日陰をつくる桜並木には、若い葉が茂っている。四月の半ばか、下旬といったところだろうか。僕は知らない町を歩いている。
記憶にはないその町を、なぜか僕は少しも迷わずに歩いていく。やがて店先に白いテーブルと椅子とを並べたカフェらしき店にたどり着いた。だが目的地はそこではなく、目の前の道路を挟んだ向こう側、町の電気屋といった風情のあの店の方だった。車通りのないこの道路を渡り、真新しく白っぽい店に僕は入ってゆく。
中は思ったよりもずっと広く、そのわりに品数が少ないので、売場は余計に広く見える。床も天井も真新しく、白く光っている。売場の真ん中には島型のカウンターがあって、亡き父はその中に立っていた。父は僕に向かって、
「おう」
と言ったきり黙っているが、こちらを見ながらニコニコと笑っている。
僕も笑いかえして、
「やあどうも」
とだけ返事をした。父は、最期に会った時とはうってかわって恰幅が良く、顔もツヤツヤしている。髪はまだ黒く、四十代半ばくらいに見える。
「売れてる?」
僕がたずねると、父は売れるとも売れないとも答えず、ただニコニコしている。父の隣には、三十代前半くらいの男性が立っている。髭面で体格の良い彼は、こちらのやりとりを見つつ、でも口は挟まずに、これまたニコニコと微笑んでいる。カウンターの向こうにもう一人、二人と同じエプロンを着けた若い人が、洗濯機の値札を付け直している。そして客の姿は、店内のどこにも見えない。
聞きたいことは他にもあったはずだが、僕はすっかり満足して、
「じゃあ、また」
と言って店を出た。
道の向かいに見えるさっきのカフェでは、二人連れが外の席でコーヒーを飲んでいる。その右隣には、なんとこれまた町の電気屋が、こともあろうに父の店の真向かいで営業している。その店から大きな箱を抱えて出てきた客と、店に入ろうとする客とが、入り口ですれ違った。そしてさらにその右隣にはクリーニング店が入っていて、数人の客が並んでいる。道のこちらの静けさとは対照的に、あちらはまるで休日の午後のような賑わいである。
あの父のことであるから、あちらの商売敵とも仲良く付き合いをして、むしろ良いお客にすらなっているだろう、と想像できた。
父はいま、自分の好きなように暮らしているのだ、と分かり、僕は家に帰ることにした。
なんとかなる - なつめ
なんとかなる なんとかなる
ナントカカントカ なんとかなるの?
なんとかなる なんとかなる
で なんとかなるって (say! say! hey!)
なんとかなるほう なんとかなりそう?!
みつめる方向 みつける方法
なんとかなるかも you and me!
(なななな なななな なんとかなるさー! say!)
なんとかなる なんとかなる
ドウニカコウニカ なんとかなるし
なんとかなる なんとかなる
で なんとかなるって (say! say! hey!)
なんとかなるよう なんとかするよ
みつめる正面 みつける将来
なんとかなりそう Be alright!
(なななな なななな なななななんとー! say!)
なんとかなる なんとかなる
ナントカホントニ なんとかなったし
なんとかなる なんとかなった
で なにはともあれ (Be OK!)
なんとかなる なんとかなる
で なんと叶ったぜ! (joy!enjoy!)
Yeah!
***
昨年は色々と空回りばかりの一年で、挙句の果てに傷ついてしまったことが多々あったのですが、そんな私を思いがけず救ってくれたのは、とあるラップの音楽との出会いでした。年末年始に遊び半分、お願い半分の気持ちでどうにもこうにも上手くいかないこの状況がなんとかなるようにと、「なんとかなる」と日々唱えていたら、このようなラップがいつのまにか誕生していました。私が昨年の夏から聞くようになったラッパーの方が見たら、これをラップと言っていいものなのかと、言われてしまうかもしれませんが、散々だった2024年の夏から年末にかけて、家庭のことと学校のことで疲労困憊していた私の心を救ってくれたのは、今まで聞いてこなかったラップの音楽だったのです。急にアウェイな場所に自ら飛び込んだことによって私はまたしても救われました。(その話はまた改めて。)
なにはともあれ2025年はなんとかなりますように。そして2025年の終わりには、何かが叶っているだろうという希望を忘れずに。なんとかなった1年となりますように。くじけそうなときは、ときどきこれを口ずさみながら、気楽で楽しい1年にしていこうと思います。今年もよろしくお願いします。
(CM)今日も一日頑張った方、ゆっくり休んだ方、ダラダラしてしまった方、しんどかった方、楽しかった方、悲しいことがあった方、よく覚えてない方、私は何だろう? いろんな人の日々の暮らしの中にそっと置いて──話しかけてみて。#アフリカキカク の本です。https://t.co/T4I6GyAfVS pic.twitter.com/HCgaotFP6A
— 道草の家 a.k.a. アフリカキカク (@michikusanoie) December 10, 2024
私の妹が中島みゆきのはずがない02「宙船」② - 岡田忠明
凛久が「宙船」を書いたのは、中1の夏休みの課題としてだった。それを担任の国語教師が、全国コンクールに出して入賞した。凛久は全校生徒の前で表彰されて、校内で一目置かれるようになった。 食卓で賞状を広げながら感嘆する母を見て、「賞状と言えば」と深幸が口火を切った。 「卒業式の時に何で証書を破いたの、お兄ちゃん」 満面の笑みを浮かべる深幸に母も父も何も言わない。 凛久の有耶無耶な態度とそれを許す大人を深幸は嫌う。 「校長が僕にだけ、6年間よく頑張りましたって言ったから反射的に。入学する時は猛反対していたくせに。嫌がらせでわざわざ雪の日に、知能検査をするから教育委員会まで今から来いって言われたのを覚えているでしょう、お母さん」 「でも、校長の前で破ることはないでしょう」目頭を押さえる母を横目に深雪が声を張る。「いいじゃない、さすが私のお兄様だわ。貰った物をどうしようが、こっちの勝手だし、最高の御礼参りじゃないの」 「もう止めなさい深雪」母は声を荒げたが、父は無言でニュースを見ている。 先日、深幸は父ともやり合った。 父は地域の子ども野球チームの監督で、凛久もメンバーだった。5回コールド負け寸前の試合で、残りの交代選手は凛久だけだった。観戦していた母の「大差の負け試合なら最後に凛久も代打で出せばいいのに」という言葉に父は「監督として贔屓はできない」と言った。 「子どもの遊びでしょう。他の子は全員出して、分け隔てなくするのが監督じゃない。本当は、障害を持った自分の子どもを人前に晒せなかったんじゃないの」と言う深幸の頬を父は叩いた。 凛久は、ニヤリ顔でこちらを向いた深幸の姿を事あるごとに思い出す。 以来、父は自分の子どもとの会話を止めた。(終)
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールを任せるな
種を蒔いている - 犬飼愛生
ここで「そんなことありますか?」を毎月、もしくは隔月で書いてきた。こんなに毎月毎月なにかヤバそうなことが起こるかよ、と自分でも思っていたのだが本当にずっと「そんなことありますか?」と言いたいことが起こっていた。今月も書こうと思えば書ける。たとえば、先月は新規オープンの安さにつられて新しいお店にまつ毛パーマをかけに行った。すると、左目はパーマがかかりすぎてまつげが左目のまぶたにぶっ刺さっているし、右目はパーマがかかっているとは言えないくらいまつげは上がっていなかった。こんな面白い顔で三週間過ごすことになった。······でも、なにか違う。
最近は次に出す日記系ZINEの準備をしている。仮題だが『受験生観察日記』という。我が家にいる受験生を観察して日記を書いているのである。つまり、私は受験生の母なのである。我が家に子供は一人であるから、これが最初で最後の高校受験なのだ。これは観察しなければならない、ということで書いている。まあこれも最後にはきっととんでもない「そんなことありますか?」が起こるだろう。
もうひとつ、とても気になる身近なことといえば、隣の空き家のベランダが崩壊しそうなのだ。主を失った古い一軒家は手入れする人もおらず、そこに建っている。荒れていく一方の空き家。ベランダは少しずつ少しずつ傾いてきた。ベランダを支える支柱が劣化していく様を日々ひりひりとしながら眺めている私。これはいま日本が抱える空き家問題がリアルに隣人であるわが事となって迫っているのである。これも近いうちに「そんなことありますか?」が起こるだろう。
さらに、昨年は思わぬことから大学病院で検査を受けることになり、人生初の造影CT検査を受けた。体内に造影剤を注入するときに担当者が「わ、やっべ! 間違えた」とつぶやいたときには「ああまた❝そんなことありますか?❞が起こったのか」と妙に冷静に思ったものだがとりあえず検査自体は事なきをえた。しかしこの健康問題はまだ決着がついていないのでそのうち「そんなことありますか?」が起こるだろう。
このようにいまきっと私のドジとハプニングの神は種蒔きをしているのであろう。そのうちにこの種は花をつけ、きっと書かずにはいられない実となるのだろう。今夜のニュースは「明日、都市部でも雪の可能性」と「インフルエンザ患者が30万人」を伝えている。おかしいな、こんな話をしていると何か起こるんじゃないかとぞくぞくしてくるのである。というわけで、読者のみなさまへ。私は元気ですがまだ「そんなこと」は起こっておりません、ということをひとまずお伝えてしておきます。
ウェブマガジン「水牛」の毎月1日更新のコンテンツ「水牛のように」で、下窪俊哉が2021年7月から連載している「『アフリカ』を続けて」の(1)から(33)までをまとめた ① が1冊になりました! 1月中旬発売予定、ご予約受付中です。#アフリカキカク https://t.co/xYANSHeIMf pic.twitter.com/AwIs5wWIhy
— 道草の家 a.k.a. アフリカキカク (@michikusanoie) January 1, 2025
書き初め - 優木ごまヲ
遠い日、数週間ぶりに祖母を訪ねたら、髪が真っ白になっていた。人間は大きなショックを受けると一夜にして髪が全て抜けたり、色が変わったりということが実際にあるらしいけれど、祖母の場合は違う。「お父さんがもうやめろって言うから」と、祖母は穏やかに笑っていた。ひつじ年だった祖母の髪はふわふわで繊細で、元々美人で色白な人だったから、本当にひつじみたいでかわいらしかった。でも、ちょっとショックでもあった。隣町の美容院へ出かけ、いつもきれいなブラウンに保っていた祖母の髪の毛のおしゃれを、その後再び見ることは叶わなかった。
祖母は祖父のおかげで「ありのまま」の姿に戻れた。······本当にそうだったんだろうか。
「ねえ優木さん、見て。あんなスカートで仕事できると思う?」とお局が指さした、後輩のロングスカートの淡いピンク。「どういう神経なんだろう、あんなかかとの高い靴履いて!」とおばちゃまが吐き捨てた、後輩のヒールのチェリーピンク。初めてできた部下の靴下のヴィヴィッドなレッド。
会社員だった頃、きれいな色は危険信号だった。部署で浮かないため、お局やおばちゃまたちに目を付けられないため、ハラスメントのターゲットにならないため。ただそれだけが気がかりだった時期があった。最近会社員時代の服を見返したら、見事に紺色ばかりで笑ってしまった。
化粧室でこっそりつけていたオレンジのリップが唯一の抵抗だったのかもしれない。オレンジはかつて祖母が愛用していた色だ。「オレンジは色白の人にしか似合わない特別な色なんだよ」と母が言っていたっけ。県庁所在地まで買い物に行くとき、祖母は必ず姿見の前に座った。唇に滑らせてもはっきりとは分からないが、必ず色づく。
会社を辞めてすぐ、髪にブリーチのハイライトを入れた。ハローワークへ失業手当を貰いに行くのもそれで行った。とてつもない解放感があった。ブリーチの部分にショッキングピンクを入れたりもした。しばらくして、髪色を変えただけで人生が変わる訳じゃない、と気づいて冷静になってきて、それなりの仕事に復帰したいからと大人しい色に戻した時期もあったが、結局またブリーチ生活に戻っている。
ブリーチの髪は今や、わたしがわたしに冷静な考え方を、無難な選択をさせないための首輪のようなものだ。「過度な染色はご遠慮ください」の「過度」ってどれくらい? と悩んでモヤモヤする時間が惜しい。前途の見えない恐怖に震えながら「自己責任」と書く。何色のペンで?
発見されたメモ - 下窪俊哉
紋切り型
翻弄
唐突
鶏ムネ
梅干し
水菜か何か
うどん
醤油
明太子(たらこでもよし)
もみ海苔
かつお節
豚バラ
白菜
柚子胡椒
試行錯誤
要塞
年齢
抱擁
(2024年5月22日のメモより。梅干し鍋、明太子パスタ(違うような気もする、何だろう)、豚バラと白菜の重ね蒸しを計画しているのはわかるが、その3食を束ねてサンドイッチにした外側にあることばの羅列が何なのかサッパリわからない。これらのことばを使って、何か書いてみたら面白いかもしれない。どんなことでも、メモしておくとよい。後から見返したときに、そのメモが全て理解できるとは限らず、謎が出てくる。そこに想像が働く。思いもしなかった何事かが、そのことばから引き出されるかもしれないのだ。)
(私の創作論⑮)
タイトルが決まらなくて - RT
『この歌を歌う意味はあると思います。』 そう言ったあと寺尾紗穂さんはグローリーハレルヤを歌った。
2024年4月、大阪市の島之内教会でコンサートがあると知った。でも起きたり起きられなかったりと不安定な日々を送っていたのですぐにチケットを取る気持ちにならず、ぐずぐずとしていた。
また元気になれたら行こうと思って諦めていたけれど、当日まであと4日ほどになった時やっぱりどうしても行きたくて、問い合わせのメールを送った。
翌日になっても返信は来ていなくて、もう売り切れてるのかな、仕方ない、なんて考えていた時スマホに知らない番号から電話がかかってきた。いつもなら出ないのだけどちょうど手に持っていたこともあって、はいと出ると、○○の△△です。と女の人の声だった。詐欺を疑いながらちょっと無愛想に、はい。と返事をしたら、寺尾紗穂さんのコンサートの事でとおっしゃったので、ビシッと背筋が伸びたみたいになって、あっ、はい、すみませんすぐに気が付かなくて! と声が1オクターブは上がった。
チケットは一旦ソールドアウトになっていたけどちょうどキャンセルが出たそうで、「ラッキーですね。」と言ってもらった。
日にちが迫っているのでメールでなくお電話くださったそうで、その心遣いがありがたかった。家でもなかなか2時間座っていることができないというのに、運良く席が与えられたことが心強くて、きっと大丈夫という気がした。
当日、ピンクのブラウスを着てお化粧はしないで出かけた。開演の30分前に着いた。
予想していた受付カウンターとかはなくて、ひとりの女性が挨拶したり忙しそうにしておられた。電話をくれた主催の方だ。RTですと告げてチケットのお金をお渡しして、礼拝堂に入ったのをわざわざ追いかけて来てくださって、どうぞお好きなところに座ってくださいね。と声をかけてくれた。会場の手配にアーティストとのやりとり、メールの返信やお金のこと、会場の設備や配布物のこと、きっとすごく大変だと思うのに笑顔で話しかけてくださった。来る途中で感じていた不安はほぼ無くなって、これからの時間への楽しみだけになった。
端っこに座って万が一しんどくなったらすぐに出られるようにと考えていたのに、教会の長椅子を見たら詰めて座った方がいいだろうと思って、ひとり座っている女の人に、隣空いてますか? と声をかけて座った。トイレに行っておこうと階段を下りると大きなガラス窓の向こうにドクダミの白い花が一面に咲いていた。
どんどん席が埋まって行き開場直前には後ろに補助の椅子を出しておられるようだ。わたしはキャンセルで飛び込んだというのにちゃっかりと長椅子に座っていて、申し訳ないような気持ちになった。
反対側の隣にご夫婦連れのような男女が座って、教会なのにマリア像とかないね。と話していた。祭壇の方を見るとシンプルな十字架があって、確かにイエス様やマリア様の像はなかった。いろんな教会に行ったことがないから、別にどっちでもいいんちゃうんと思った。
なんとか全員が席に着けたようで、日が落ちないうちにコンサートが始まった。
紗穂さんが真ん中の通路をササっと歩いて行かれてピアノの前に座る。歌だけ聴けたら十分だと思っていたのに前の人たちの頭の隙間にしっかり紗穂さんの姿が見えて嬉しくなった。
歌いだした瞬間会場の空気の色がさっと変わる感じがして、この時が好きだと思う。途中で外が暗くなっていく様子が美しくてたまらないと思う。
なのに何の曲を聴いたのか、今思い出せない。この文章を書くためにセットリストを確認したくて調べたけど出てこなかった。
しばらく前からわたしの頭は少し前のことの記憶がすっぽり抜け落ちて、残っているのは断片だけという、義母の加齢による物忘れの話に、「全く同じです」と言ってしまう。自分のことが心配になるくらいなのだ。
だから今覚えていることを書いていく。
紗穂さんが以前大阪に来た時の不思議な心霊体験のようなもののお話をしておられた。
コーヒーの歌を歌いますと弾き始めたのに、あれ? このキーで合ってたかな? とやり直して、しばらく進んで、やっぱり違ったともう一度弾いて、また違うとなって、リハーサルの時どうしてたんだっけ。とおっしゃった。
たくさん曲を作っているとそういうこともあるのかなあと思いながら、これはわたしの勝手な想像だけど紗穂さんが悲しみの中におられる気がした。
愛をテーマにして歌う人が、世界の事に無関心でおられるわけもなく、今戦争があって、毎日人が死んでいって、戦争なんてしたくない人がほとんどの筈なのに戦争は終わらない。貧困や差別で苦しんで日本に命からがら逃げてきても、この国にはそれを受け入れる器がない。
わたし自身、外国人が日本で犯罪を犯したとのニュースだけに目が行って怒りを覚えてしまったりする。そういうひとりひとりの気持ちが積もり積もって差別になったり戦争が起こったりするのだと頭ではわかっているつもりなのに。
神様はいまここにおられるのかな。もし今大きな地震が起きて天井が落ちてきたらどうなるだろう。そんな事を考えたりもしていた。
しゅーしゃいん、という新曲は第二次世界大戦の戦災孤児で靴磨きをして生きる子どもの視点に立って描かれた歌で、後に購入したアルバムに付いていたエッセイで戦災孤児は終わった話ではなくて今も増え続けていると書かれていた。MCで子どもの幸せについて考えたら戦争なんてできるわけがないと言っておられた。
SNSで子どもの遺体を見ても驚かなくなったのはいつからだろう。どうせという無力感と自分を守りたい気持ちがなにも感じさせなくして、でも変わらず声を上げ続けている人もいる。その人が変わってる、なんて思わない。変なのはわたしたちだ。
グローリーハレルヤを聞いて涙が出てきた。隣の人も泣いていた。斜め前の男の人が肩を震わせて、体全部で泣いているみたいだった。
あれから、歌うことに意味はある、という言葉をずっと考えている。少なくともわたしはこの歌を聴いて変わった。優しくなりたいと考えるようになった。
歌を聴いた人が周りの人に優しくして、その人がまた誰かに優しくしようと考えて、その思いは目に見えないけどずっとずっと繋がっていって、戦争をしようと決めた人にいつか届くかもしれない。
あの時あのコンサートの場所に、神様はそっといらっしゃったのだと、そう思う。
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巻末の独り言 - 晴海三太郎
● 1月も10日です。少々遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。2025年も引き続きよろしくお願いします。● 毎月1回の〆切があるというのは、あっという間だけれど、ものすごく負担になるというふうでもないはずです。ここに書き、読むことで、どんな道が見出されるのか、どんな風景と出合えるのか、先のことは誰にもわかりませんが、まだまだ続けてみるつもりです。● この場所は、とりあえず書いたようなもの、ことばの切れ端でも、メモでも何でも、ここに置いておこう。──そんなコンセプトを抱いて続けている、ウェブマガジンの姿をしたワークショップです。● 参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、再び読むこと、たまに話すこと。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● では、また来月!
道草の家のWSマガジン vol.26(2025年1月号)
2025年1月10日発行
表紙画 - カミジョーマルコ
ことば - RT/犬飼愛生/岡田忠明/下窪俊哉/スズキヒロミ/なつめ/晴海三太郎/優木ごまヲ
工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカン・ナイト
読書 - 何でもよむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草指南処
手網 - 珈琲焙煎舎
喫茶 - うすらい
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
雑用 - 貧乏暇ダラケ倶楽部
心配 - 鳥越苦労グループ
謎謎 - 長距離選手がコースを走り終わったら、汗が乾いたのは、なぜ?
音楽 - 寝息のオーケストラ
出前 - 闇鍋屋
配達 - 北風運送
休憩 - マルとタスとロナとペンの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会
企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎