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道草の家のWSマガジン - 2024年1月号


短いようで長い道のり - maripeace

先月はWSマガジンの原稿を送れなかった。途中までしか書けなくて、送らなかった。たぶんRTさん主宰の「壁の花の会」に参加した時のことを書いたと思う。会が終わった後に見た、ムクドリの大群のことだ。あれから何度か、同じ場所でそれを見た。

去年の夏、北海道を楽しむことに夢中になり、秋に東京に戻る直前に風邪をひいた。帰ったら、自分の部屋の窓から見える風景にものすごく退屈して、それまで過ごした二ヶ月間の高揚感との落差にがく然とした。夏に思いついた南米旅行(そのことは、WSマガジン9月号に書いた)を具体化することができず、鬱々として11月を迎えた。ひとまず計画は寝かせるしかなかった。せっかくその気になっていたのに。自分の気持ちの変わりように、どこか後ろめたさを感じていた。

ある日、Twitterのスペースで、パスポートの申請をしようとしている友人の話を偶然聞いた。そうだ、私のパスポートも期限が切れている。このままでは急に行く気になっても行けない。とりあえずパスポートだけでも取っておくことにする。11月24日に申請窓口へ。受け取りは一週間後、12月1日なので切りがいいなと思っていたら、刻印された日付は11月30日だった(ちょっとがっかり)。勢いがついて、語学学校のことを調べたり、知り合いに連絡を取り始めた。初めての海外一人旅。乗り継ぎの不安もあって、友人がいるメキシコ経由で行くことにする。せっかくだから一週間くらい観光しよう。そう考えていたら、去年メキシコへ旅行したという友人と近所でばったり会った。お願いして「地球の歩き方」を借りる。ほかにも、メキシコに行ったことのある人は周りに結構いて、手当たり次第情報を集めた。オアハカやサンクリストバル・デ・ラス・カサスという町が人気らしい。向こうでボクシング修行していた友達のおすすめは、長距離のバスで移動して、名も知らない街に泊まること。そういえば私の好きなマリンバが盛んな街があったな。しかしそこは首都から飛行機に乗ってもいいくらい遠い。メキシコは広いのだ。このままだと日にちが足りない。

あれ、そもそもどこに行こうとしていたのだったっけ。コロンビアだ。なのにメキシコからコロンビアに行く日取りを決められない。時間が経てば飛行機の値段も上がる。気が焦り、時差のある現地とのやりとりで寝不足になった。さらに近所で大きな工事が始まって、一日中家が揺れる。準備を中断して、前から予定があったので安曇野へ行った。泊まったシェアハウス兼ゲストハウスの宿のオーナーは、アンデスのシャーマンに時々会いに行くという人だった。コロンビアの首都ボゴタにも行ったことがあるという。とても人があたたかくて、良いところだったよ、と話してくれた。宿の本棚には、南米一人旅をした女性の著書が置かれていた。背中を押されたような気がした。

それでも、時間が経つに連れ色々不安になってきた。大胆なのに小心者なのである。メキシコの友人は空港からバスで3時間の街に住んでいるのに、治安が良くなさそうなシティで二日間もウロウロする計画を立てている。怖くて宿から一歩も出られないんじゃないか。食事は合うのか。そもそもこんな思いをしてメキシコに滞在する意味あるんだろうか。そのままコロンビアに行ってしまえば簡単なのに······。それでも予定は変え難いように思えた。なんでかわからないけどそういうことになっている、ということにして、残りの飛行機のチケットと宿を予約した。

年末が近づくと、今のうちに会っておきたい人に会う日が続いた。私にしては珍しく親戚一同のクリスマスパーティにも参加した。もちろん無事に帰ってくるつもりなんだけど、そういう気分だった。そして、段々寒くなってきて、家でゴロゴロしていたら風邪をひいた。向こうで具合が悪くなったらどうしようとか考えていたら、胃が痛くなっておせちはほとんど食べられなかった。世の中がいつものペースじゃないから、年末年始がなんとなく苦手な上に、能登の地震の被害(東京も長く揺れてびっくりした)や飛行機事故にもかなり動揺した。

出発まであと二週間だ。毎日、必要なものを思い浮かべては、メモして、メモしたノートや手帳を部屋の中で無くしている。部屋も頭の中もとっちらかっていて、肝心なことができていないような。でももう仕方ない、できることしかできない。

来月のWSマガジンが発行される頃には、コロンビアにいる予定。こんな調子で無事に着けるのか。でも多分行けると思うので、また続きを書きます。


1月 - のりまき放送

昨晩から頭の中でネガティブな言葉がぐるぐるしていたせいか、朝起きた時点でもう限界だった。何も考えられない。思考停止。何とかスマホを掴んで会社に連絡を入れる。以前に病院で処方してもらった薬を飲んだ。粒みたいな小さな錠剤。これは本当に効いているのだろうか?いや、効いているかどうかなんてどうでも良い。お守りみたいなものだ。しばらくの間、ぼぉーっとしていた。このまま家にいたら押し潰されそうだなと思えた。とりあえず、家から出たほうが良い。急いで鞄に荷物を詰め込む。
駅に着き、カードをかざして改札を通る。いつもは都内行きの電車だが、反対方向に向かう電車に乗る。先ほどまで人が座っていたのだろう。座席が温かい。通勤ラッシュが終わった車内には間延びした空気が漂っている。窓の外には普段と違う景色が見えた。大きな建設機械。一体何を作っているのだろう? 足元から温かい空気が流れている。電車の揺れが心地良い。鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンに接続する。オーディオブックのアプリで吉田修一の『春、バーニーズで』を探す。この小説はオーディオブックで数回聞いたことがある。どのエピソードか忘れてしまったが、会社へ行かずに突然日光へ行く話が気に入っている。何もかもがどうでもよくなってしまう。誰にでもあるのだろうか?
これからどこへ行くか何も考えていなかった。頭がうまく働かない。横浜駅に向かっても良いかもしれない。横浜駅から東海道線へ乗り換えるのはどうだろう? 実家に戻るとか? いや、遠くまで行ったところでどうなる? 何も起こりやしない。不意に涙が溢れた。あ、これはまずいな。急いでハンカチを鞄から取り出す。鼻を拭いてから目元を拭う。周りから変な目で見られていやしないだろうか? 電車が以前住んでいた町を通り過ぎる。


挿絵・矢口文「雪虫」


犬飼愛生の「そんなことありますか?」⑭

そこのけそこのけ、あたしが通る。ドジとハプニングの神に愛された詩人のそんな日常。

「迷惑」
 朝起きて、カーテンを開けてなにげなく外を見た。あっ、いる。久しぶりにいる。······我が家の前に路上駐車をしている車が。いわゆる迷惑駐車である。実は我が家の駐車場前の路上は頻繁に見知らぬ車に駐車される。路上駐車されるとうちの車は切り返しができず出庫にも駐車にもとても苦労する。おい、なんで私がこんなヒヤヒヤしながら出庫や駐車をしなければならないのだ。他人の自宅前に堂々と路駐する人の気持ちもわからない。本当に困ったときは通報するのだが、いちいち警察を呼ぶのも気がひけるし······と半年くらいまえに「駐車ご遠慮ください」とステッカーの貼ってある三角コーンを買ってその路上に置いてみた。「駐車禁止」というものを選ばず、お願いベースで書いてあるものを選ぶ私の優しさよ。ある日、ふと窓の外を見て驚いた。その三角コーンをよけて駐車している車がいる。おい。怒りに震える指先で三角コーンをもう1個追加で注文した。
 この三角コーン2個置きで私の本気度が伝わったのか、路上駐車する車は激減し私は安堵の日々を過ごしていた。そこに来てこの安堵をかき乱す迷惑駐車。見たことがない車。三角コーン2個置きを無視して置いている。私の「駐車ご遠慮ください」のお願いベースの優しさに付け込んでのこの仕業。私は久しぶりに頭にきて通報しようと車種やナンバーを控えるために外にでた。寝起きのノーメイク、ボサボサ髪、部屋着のまま。通報はスピード感が大事だ。ふん。私がその車のメモをとっていると頭上から声がした。「あー、すいません、その車うちのデス」。向かいの小さなマンションの2階から住人と思しき男性が言ってきた。私はムッとして「ここに停めないでくださいッ!」と返した。するとその住人は「30分くらい停めようと思っただけ」と言う。はぁ? 私はもう一度言った「ここに停められると困るんです、やめてくださいッ!」。時間の問題ではないのだ。そもそもここに停めると駐車違反になる場所なのだ。ノーメイク、ボサボサ髪で言い返す私はきっと怖い顔をしてブサイクだっただろうと思う。最悪だ。
 しばらくして外に出ると、その車は無くなっていたが私が設置した三角コーンが道路の遥か遠くに移動させられている! 嫌がらせだ。あの人がやったに違いない······。私に言い返された腹いせだ。自分が悪いくせに! 私の中に「ご近所トラブル」という言葉が浮かんできた。三角コーン2個置きを無視して路上駐車するメンタル、腹いせに嫌がらせをするメンタル。もしかしたら相手はめちゃくちゃヤバい相手なんじゃないか。さらに嫌がらせをしてくることも考えられる。向かいの住人だしこれ以上のトラブルは避けたい。思案した私は機会があればこの住人と戦うのではなくコミュニケーションをとるほうが得策だと考えた。ご近所トラブルのたいていはコミュニケーション不足が招くものだというのも知っている。私もキツイ言い方をしたのは確かだし、とちょっと反省の気持ちも湧いてくる。
しかし一応向かいのマンションの大家さんには報告しておこうと夕方、大家さんを訪ねることにした。大家さんとは知り合いであいさつを交わす仲である。大家さんの部屋を訪ねようとしたとき、マンションの前に今朝私とやりあった例の住人がいるではないか。やばいやばい、気まずすぎる! めちゃくちゃ怖い人だったらどうしよう! 私は腹をくくって言った。「あの、今朝の車の件で······ちょっと私も感情的に言ってしまってすいませんでした」。最大限の譲歩である。だって迷惑駐車したのはそっちじゃないか。するとその男性は「あー、イイですヨ。チョット30分くらい停めてたダケダケド、お互いのジジョウ、ワカラナイからネ」とややカタコトの日本語で言う。いや、なんでやねん。なんで上から目線やねん。でも話してみると相手が極悪人で凶暴な人ではなさそうだということはわかる。きっと相手もそうだろう。私は朝のブサイクを返上すべくきちんとメイクして、キレイな恰好をしていたので相手もちょっと安心したかもしれない。(たぶんね)
大家さんは高齢で耳が遠い。大家さんは漫画のように「あん(なん)だって?」と繰り返す。私は大声で説明する。きっと近所の住人にも聞こえているだろう。迷惑、という二文字がさっと私の脳裏をかすめたのだった。では今月もご唱和ください。「本当にドジとハプニングの神は私を愛している」。



麻績日記「異世界への入口」 - なつめ

 移住お試し生活から一か月後、どうも麻績おみ村のことが気になり、あの村に住んでみようかなという思いがだんだん強くなっていた。実家で窮屈な暮らしをしていた私と聴覚に過敏さがある息子は、家の中で父の大きな声と大音量で聞こえてくるラジオの音、近所の生活音などの環境に精神的な苦痛を感じ始め、耐えがたいものになっていた。外を歩けば、頻繁に聞こえてくる道路工事やマンションの工事の音など、大きな音の反動で、息子は物を壊し、家族に暴言を言うようにもなってしまった。私にとってそんな息子の姿を見ることも耐えられなくなっていた。とにかく安心して静かに生活できる場所はないだろうか。どうやら一度この場所を出なくてはならない流れが今やって来ているように感じ始めた。私たちはここに留まることができない状況に追い込まれつつあった。以前から、自然豊かできれいな山がたくさんある長野県に移住したいと思っていた私は、このタイミングで静かで安心感のあるあの麻績村に、まず住んでみようかな、と思い始めた。
 気になることは日に日に気になっていった。長年住んでいた東京の下町での音や人に溢れた暮らしにも、少しうんざりしていた頃だった。この住み慣れた環境を、この辺で離れてみようかと考えていた。ただ考えていても、何事もやってみないとわからない、行ってみないとわからない。今までとは全然違う景色を見たり、全然違う環境を体験し、そこで出会ったことのない人たちと出会い、その人たちの話を聞いてみたい。実際に住んで、新しい環境で新しい体験をして、ガラリと価値観が変わるような体験をしてみたい。私が積み重ねて来てしまった価値観を一回脇に置いて、新しい世界観や異文化に触れてみたい。まずは、ここを出て、安心できる場所に行き、今まで見たことのない異世界を体験しに行ってみたいという思いが強くなっていた。夏休みに訪れた麻績村は、不思議な安心感があり、都会暮らしだった私にとって、今まで見たことがない素朴な異世界が広がっていた。

 麻績村は人も親切で、確かにいいところだった。有名な場所ではないかもしれないが、静かで安心感もあり〈なんだかおもしろそう〉な場所だった。そんなに有名ではないからこそ、なかなか見つけられない貴重な村なのである。そのような村にたまたま出会えたということに私は大きな喜びと魅力を感じていた。この〈なんだかおもしろそう〉という言葉を私はいつも大事にしている。〈なんだかおもしろそう〉は、結果的にいつもおもしろいことが多い。〈なんだか〉と〈おもしろそう〉という確信がつかない二つの言葉によって、ますます知りたくなるのである。私と息子にとって、麻績村の大和屋さんでの草木染や機織り体験、地域おこし協力隊の工芸班の方々、村役場の松本さん、青木さん、次長の浅井さんとの出会いは、その〈なんだかおもしろそう〉に安心感も加わり、すっかり心に入り込まれてしまったようだ。そもそも麻績村そのものが〈なんだかおもしろそう〉な場所だったのに、夏休みの移住お試し生活での体験によって、出会う人々もすべてがおもしろかったのだから、気にならないわけがない。ここで言っている私にとって〈なんだかおもしろそう〉というのは、今まで出会ったことがなく、周りにもいない、多くの人がなかなか遭遇できないであろう異世界を持つ強烈なインパクトを与えた異文化体験(人も含む)によって湧き起こってくる感動のことである。そんな珍しい異文化を体験することにとても魅力を感じる私は、一つ一つが思いがけない不意打ちのような出会いの連続だったからこそ、心の底から強烈に惹かれてしまったようである。しかも、初めて訪れた場所だというのに、なぜか懐かしさを感じるなんて、不思議である。このような場所と人々に出会えるなんて、思ってもみなかった。長野県内の他の地域にも、移住相談で話を聞いて周ったが、私と息子にとっては、この村がそのような意味で、一番おもしろく、懐かしさと安心感があった。

人影見あたらぬ 
終列車 一人飛び乗った
海の波の続きを
見ていたらこうなった
胸のすきまに入り込まれてしまった

(「さすらい」奥田民生)

 私は次長の浅井さんに連絡をすることにした。私の中で、この村に移住することにあまり不安はなかった。麻績村そのものに安心感とおもしろさを感じていたからだ。私は、次長の浅井さんに紹介された小学校の支援員の仕事を入り口に、村へ移住することにし、村の小学校の校長先生とオンラインで面談をした。そして、正式に支援員の仕事をすることが決まったと同時に、以前のお試しツアーで見学した村営住宅に住むことも決まった。住宅係の青木さんが、ペーパードライバーの私でも生活できるという駅前の村営住宅の一室を残して置いてくれたのである。長野県の冬の寒さや雪などを考えて、長年生活している村の方がおすすめするその住宅に私たちは住むことになった。とてもありがたいことだった。こうして私たちは、希望の場所に住むことも決まり、引っ越す日も、転入日も、すべて希望通りに叶っていった。引っ越しも転校転入手続きも色々と急だったが、どんどん移住の話はスムーズに進み、この静かで安心感のある村に導かれるように私たちはスピード移住することになったのだ。土地が人を呼ぶ、ということを以前本で読んだが、その土地に私たちはこの度なぜ呼ばれたのかは、そのときの私は何もわからなかった。ただ、私の直感が麻績村のことを放って置かなかった。こうして私は〈なんだかおもしろそう〉な異世界を持つ麻績村に移住することになったのである。


睡眠薬を飲んだ人の戯言読んでみます? - RT

今朝早朝覚醒したまま眠気がこないので6時半に起きた。そのまんまご近所のラジオ体操に行ったら今ごろぴんぴん元気になってたかもしれないがわたしはとりあえずご飯とウインナー2本、金山寺味噌というご飯を食べて麦茶を沸かし、朝風呂にのんびり浸かった。
大物を洗濯機回した。いつも洗濯したら出かけるのがぎりぎりになるんだけど今日はまだまだ時間がある。
お化粧水を丁寧に塗った。世界で一番大切な人に塗るみたいに。深夜の戯言だから読み流して欲しいけど「お姫様今朝のご機嫌はいかがですか」とか言ってんだけどおかしいのかな。だって今ちょっと自信失ってるけどやっぱり自分が大事だ。シャネルのミストをつけるのわすれた。
その代わりナチュラルなヘアオイルをつけて髪を乾かして、 ユニクロのお気に入りの青いセーターを着た。
脳内は自分責め大会が繰り広げられているから仕事を続けられるかどうか。意地悪な人が1人もいなくて優しい場所なのに行きたくないこともあるんだ、前からずっと言ってることだけど自分が障害者だから、非正規だから、しかも人の話の輪に上手くはいることが出来ないから自尊心少しずつ削られていく気がしていた。自分自身の問題が大きい。うまく話せないからひたすら作業を続けるかおやつでも食べるしか気分転換がないのにここのところ食欲まで無いからおやつを食べる気力がない
体重みるみるうちに減るわ、嬉しいけどこの痩せかたはリバウンドするやろな。
鬱の時に思って、ちょっと遅すぎるんやけど調子のいいときに根本的な考えのクセを改めるとかそういう薬に頼らないナチュラルな方法をやっていきたい、
ブルーのマスカラをつけた。支度が早く終わったから早めに公園に着いた。
ピンクの梅が咲いていた。こんなに早いことってあっただろうか。ぽっと元気をもらった気分だった。
自分自身の問題って書いたけど今鬱で苦しんでるのに原因はあったはずやけど自分自身の状況はなにも変わってなくてそれなのにげらげら笑ってハッピーなときもあったし今は◯◯が足りないからわたしは惨めで人に見向きもされないんだと思ったりする。
そんなんげらげら笑ってハッピーにしてたいやん、思考回路って大事なんやな。この辺を追及してみたい。


ヒイラギみたいに - 橘ぱぷか

「早く歳を取りたいって思ってるでしょう?」

 なんでわかるのだろう、と衝撃が走ってすぐに、「私もそうだったから」と先輩はからっと笑った。

 その時の私は20代半ば。大学を卒業し、働きはじめてしばらく経った頃だった。
 若さを讃える言葉は世にあふれていて、だけど若くて「しあわせ」なはずの私は毎日しんどい。この苦しさはなんだろう。
 毎日ズタズタに打ちのめされて、小さくなにかに絶望して、けれどもその正体をうまく言葉にできない。

 先日ふと、当時よく聴いていたモーモールルギャバンのMY SHELLYを久しぶりにかけた。
 流れ出してすぐに冒頭のフレーズが耳に飛び込んできて、あの頃の気持ちがぶわっとカラフルによみがえってきた。

「若さとは 失うこと恐れず走る 誰かに揺さぶられても何も出来ない事」

 喉の奥がぎゅっと熱く、苦しくなった。

 何年か前に弟から、お姉はヒイラギみたいだ、と喩えられたことがある。
 甘い香りの花をつける一方、身を守るため、葉にたくさんの鋭い棘を持つ植物。春ではなく冬に花を咲かせる。老齢になると葉はまるくなり、棘の数はしだいに減っていくらしい。
 あの棘は減っていくのか、とか、そういえば寒い季節に花が咲くよなあとか、知っているようで曖昧だった、ヒイラギの習性。
 調べて写真で見てみると、確かに年月を重ねたヒイラギの葉はほんわりと丸かった。

 年齢とともに正しい力と強さを身につけられたらな。棘がなくても、誰かや自分のことを守れるナイスな人間になれたらな。簡単なようでいて難しい、私のひそかな目標。



高滝湖(後篇) - 下窪俊哉

 階段を降りて美術館の地下へ入り、吹き抜けの空間を下から見上げる。そこへ行くと、自分のからだがスルスルと小さくなるのを感じた。よく見ると、光の粒がたくさん沸き上がっていて、いま自分のいる空間のなかを昇ったり、降りたりしていた。水の中に泡が浮かんで、消え、浮かんで消えた。そこを切り絵の魚がスッと横切った。ここは湖の底なのかもしれない。光が柱をつくるということは、それだけそこが暗くなっているということだ。魚は釣り人が垂らしている糸を上手く避けて、泳いでいる。光の粒をまとわりつかせて、その魚は踊っているようにも見える。切り絵は白と黒を生み出すが、白く見えるのは透けているからであり、そのなかには様々な色が浮かぶ。透明な光が無数の色を映し出し、魚のからだのなかを通る。脚の間を貫いて空高く上ってゆくものがある。魚は自らのからだをしならせて、パタパタと音を立てる。私はそれが何という名前の魚なのか、知らない。また見上げると切り残された長方形の破片が、水面という大きな紙の上でよろめきながらたくさん並んでいて、水中に微かな影を落としている。落ちてきたものを、私は掬いあげようとする。すり抜けていくその物質を、掌の上で遊ばせる。すると、いまは降っていない雨の音が盛大に鳴っているのに気づく。あるいは滝の音かもしれなかった。光が鳴っているのである。それは白い、フサフサした毛のようになって、風に吹かれている。雨は、遠くの方から走ってくるような気がする。湖畔に潜んでいる虫たちの気配が、その音のなかには大きく含まれている。私は耳を大きくしてそれを聴く。その向こうで、闇に溶け込んだ光が束になって、黒々とした柱になって何本も立っているのが見える。

 湖のなかをゆっくりと進む。


表紙画・矢口文「この世のキワ」


巻末の独り言 - 晴海三太郎

● 2024年になっってから、もう10日がたちます。今月も、WSマガジンをお届けします。● 災害と事故、事件など新年から大変なニュースが立て続けに入ってきました。とくにいま弱っている人には、きつい時期でしょう。と、そう思うと、このようなメディアで何が出来るか、自ずと感じられてきます。● それはきっと一様ではなく、いろんな感じられ方をするでしょう。その一例として、何かを書こうという気持ちがWSマガジンの編集人にはあるようです。● さて、このWSマガジンの参加方法は簡単で、まずは読むこと、次に書くこと(書いたら編集人宛にメールか何かで送ってください)、昨年まではウェブ上で集まって話す時間もありましたが、今月からしばらくお休みします(坦々と続ける態勢に入っているののかも?)。全てに参加しなくても、どれかひとつでもOK、日常の場に身を置いたまま参加できるワークショップです。● 書くのも、読むのも、いつでもご自由に。現在のところ毎月9日が原稿の〆切、10日(共に日本時間)リリースを予定しています。お問い合わせやご感想などはアフリカキカクまで。● では、今年もよろしくお願いします!


道草の家のWSマガジン vol.14(2024年1月号)
2024年1月10日発行

表紙画と挿絵 - 矢口文

ことば - RT/犬飼愛生/下窪俊哉/橘ぱぷか/なつめ/のりまき放送/maripeace/晴海三太郎

工房 - 道草の家のワークショップ
寄合 - アフリカの夜/WSマガジンの会
読書 - 勝手によむ会
放送 - UNIの新・地獄ラジオ
案内 - 道草指南処
手網 - 珈琲焙煎舎
喫茶 - うすらい
準備 - 底なし沼委員会
進行 - ダラダラ社
雑用 - 貧乏暇ダラケ倶楽部
心配 - 鳥越苦労グループ
謎々 - 悪の組織が「見ろ!」と言いそうな貝って、なーに?
音楽 - 世界の鼻唄コレクション
出前 - 深夜に食べる熱々のラーメン
配達 - 北風運送
休憩 - マルとタスとロナとタツの部屋
会計 - 千秋楽
差入 - 粋に泡盛を飲む会

企画 & 編集 - 下窪俊哉
制作 - 晴海三太郎

提供 - アフリカキカク/道草の家・ことのは山房

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