『汚れた血』にみる、小爆発
先日、古書店に来たお客さんと映画談議をした。
仕事とか忘れて話が止まらなくなってあとで反省するのだけれど、さいごのほうで監督の話題になったとき、レオス・カラックスが一等好きだとその人はいった。
そうして慌てるようにして、先日『アネット』を観たのだ。
俄然監督作品を観直したくなってしまった。
近未来らしからぬ舞台設定。お飾の奇病に仄かな色どりを添えられたSF的フィルム・ノワール。
アートで鮮烈な画面と、疾走シーンの躍動感が半端じゃない。
こんなにもすてきな映画だったとは。
ファースト・インパクトで、ジュリエット・ビノシュの白痴ぽいといったら叱られるだろうか、仕草がいかんともしがたかった。
この薄ぼんやりして、アレックスより中年のマルクを愛するビノシュを、おなじ女の子として理解しがたかったものだけれど、今となってはアレックスとしっかり心通わせ、揺れもしていたんだとわかる。
フシギちゃんな存在を好ましくおもう。
若くしてこんな演技をした女優さんは、かつて他にいたろうか。
敬愛するジュリエット・ビノシュと、小さい体のすべてを小爆発させて演じるドニ・ラヴァンの強烈な魅力に抗えない2時間。
強盗とアメリカ女から逃れて飛行場へとひた走るオープンカーのなかで、怪我を負って瀕死のアレックスがアンナに問われ、未来を思い描く。アレックスはこう言った。
刹那的で詐欺師のアレックス、純粋な魂を宿した躍動する彼の肉体が死にゆくとき、喪失感に揺れる感覚は無二のものである。
悲しい気持ちを代弁するように、両手を広げて風に向かい走り出すアンナに希望をみる。
アレックスのぶんまで飛べと、願うように、心が解放されていくのをかんじた。