2012年9月 ⑤
死んだ後もまたすぐに別の世界が始まって、自分を取り巻く世界というものがいつまでも尽きることなく続くのだとしたら、自殺する人が来世で払うカルマというようなものが意味を成す。
終わらせても終わらせても終わることがない。ずっとずっと苦しみは続くのかもしれない。だから、生きている間になんとか解決できるようにしなきゃならないのかも。そのための手段はいくらでもある、と信じたい。
安易に「自殺はいけないこと」と言うのではなく、なぜ駄目なのか?の意味を知りたい。その基本的な意味を。
例え死は一人のものだとしても、エナジーの流れを切断することで人間全体のデメリットになり得ることもある。「死んではならない」という意味はそこにあるのか?
基本的なことは、起こる物事に対して、常に「意味があること」と受け入れの姿勢を取れるかどうか。感傷的にならず。
「部屋はその人の心を表す」その意味。
自分を存在させる場所(心)を気持ちいい場所にしておくという意味では、意味を成しているのでは?と思う。自分を外側に存在させているうち(無理に社交的になったり、外にいろいろ求めている間)は、内側のことは気にならず、あまり掃除をしなくたって平気なものだ。自分をどこに置いているか?というそのポイント。
感じるために「今」がある。
世の中にはいろんなアドバイスがある。そのな中でも何かと「(これは)ダメ」「(あれは)やめましょう」と言いかけてくるものはどうかと首を傾げる。生きていれば、自分自身(体)が自然と赴くがままに行かせたい物事もある(食べ物の嗜好とか)。一人一人の精神的な部分(違って当たり前な部分)を見ずに、全体としての意見しか言わない人や物には気をつけよう。大概のそれは、宗教に当てはまったりする。
離れた方がうまく行く。エナジーを与えすぎない程度の距離で。
見て、感じてきたものすべてを肥やしにして行け。
内観の時間を持つ。
NOTHING AFRAID OF
NOTHING TO FEAR
NOTHING TO WORRY
わざとらしいことは周りにすぐわかるから、だから批判が止まらない。どうせ叩かれるのなら、本当の自分をさらけ出した方がすがすがしく後悔もない。
だとしたら、最終的に出した本当の自分を否定されることが有り得るだろうか?誰にも受け入れてもらえない、なんてことが。この世のゆく果てで。それとも果てはないのか。
何も遮るものがなく、ストレスフリー&ハンズフリーなBELIEFを。自由に信じることが真の強さを作ることを証明したい。
人間には、生殖機能が備わっている。エナジーも、それに費やせるほどの質や量が、出すに適した時期に自然と現れるようになっているのだろう。正しい使い道(燃焼しきらないとか)をしなかったら、体に良くない。
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