探して、出会う
1.
使っていた財布がダメになってきて、ダメになってきたというのは、ファスナー部分の布がほつれてきて、スムーズにファスナーが閉まらなくなってきて、スムーズにファスナーが閉まらなくなると、ちょっとしたことなんだけど気になって、財布のファスナーをそーっと閉める時に、スムーズに閉まってー、と密かにお願いする感じで、ひっかかるとやっかいなことになって、ファスナーを戻して、またそーっと閉めるけど、また引っかかったりして。
財布は紙幣を二つ折りしたくらいのジーンズの後ろポケットに入るサイズで、小銭入れも財布についているタイプのものだから、コンビニで買い物して受け取ったレシートとお釣りの小銭を財布に入れて、閉めようとしてファスナーが引っかかると、商品を受け取るのに若干手間取ったりすることになる。
そういう場面では今まで発生しなかった「間」が発生するし、発生しないにしても、ちゃんとファスナーが閉まるのか、ドキドキまではいかないが、嫌な予感みたいなものを、常に準備する感じになる。
あとは、紙幣を二つ折りにして財布に入れていることが、どこかで引っかかっていて、もっと伸び伸びと、長財布に紙幣を入れてあげたいなと、思っていたから、それで、最近、財布の買い替えを検討していた。
2.
財布を買うのは、たぶん10年ぶりくらいで、好みは雑貨屋さんで扱っているような、手作りの革製のもので、〇〇工房とか、そういう名前のところでつくられている財布が良いなと思うのだけど、今回は逆に振ってみようと思って、ブランドものを探してみることにした。
とは言え、財布を選ぶために、店をまわるのは面倒くさくて、このご時世でもあるし、どうしたものか悩んでいたら、あるブランドを家内が教えてくれて、HPをみると悪くなかったので、ひとまずそのブランドで財布を探してみることにした。
そしてある日、仕事終わりに地下鉄に乗って、ブランドの店が入る百貨店に向かった。辿り着いた百貨店の5階フロアは有名ブランド店がキラキラと眩しく並んでいて、敷居を跨ぐのがおそれ多いような雰囲気を醸し出している。フロアの角に位置する時計ブランド店では、入場制限をしていて、客が等間隔に並んでいる。
家内に教えてもらったブランドのお店に着くと客は意外に少なく、待ち時間なしで店内に入ることができた。細身の黒いスーツを着た女性店員が近づいてくる。
「何か、お探しですか?」
「財布を、探しています」
「財布はこちらにございます」
奥の方に案内してくれた店員が正方形のショーケースから財布をひとつ取り出す。
「こちらはロングウォレットですが、同じシリーズで二つ折りのものもございます」
ショーケースの側面にある引き出しを開けて、二つ折りの同じシリーズの財布を取り出す。ショーケース上に置かれた赤いベルベットのトレイに長財布と二つ折り財布を並べる。
「色目は他にもございまして、今お出ししているのが、茶系の濃い目のもので、あとは、イエローに近い薄い茶色、赤、パープルもまだ在庫がございます。ビジネスでお使いなら、抑えめの色がよろしいでしょうか?そうなりますと、黒もございます。あとは青、濃い目の青がございます」
「長財布で、明るめの茶色を探しているんですが」
「それでしたら、ちょっとシリーズは違うのですが、こちらはどうでしょうか」
3.
店員がショーケースの引き出しから出した長財布は、まさに明るめの茶色で好みの色だった。だけど、その長財布を出した時に引き出しの奥にみえたグレーの色目の長財布が気になった。
「あの、そこにある、グレーのものは…」
「あぁ、これですか、これは、少し前の型のものになりますが、どうぞ」
トレーに置かれた長財布は明るいグレーと薄い茶色のツートンカラーだった。
「この型のものは、もう店舗の在庫のみで、ウェブサイトにも載っておりません。色目もいまあるものだけで、他のものはご用意できませんが、この色使い、とても品のあるお色だと思います」
「この商品は、取り置きとかできますか? 実は、百貨店のカードを忘れてしまって、購入するとポイントがつくんですよね」
「はい、ブランドによってはポイントがつかない店もありますが、当店でお買い物していただきますと、百貨店のポイントをおつけすることができます。ただ、カードがないと、後付けはできない仕組みになっておりまして…。百貨店のアプリはお使いですか?もしお使いであれば、アプリでポイントをおつけできますが」
「アプリは使ってないですね」
「商品のお取り置きでしたら、1週間まで可能です」
「では、取り置きしてもらっていいですか」
「了解しました。では、この商品のお取り置きということで」
店員はショーケースの一番下の引き出しを開けて、分厚い伝票を取り出す。胸ポケットに差してあるボールペンを取って、伝票に商品番号を記入する。トレーの横に伝票を置いて、その上に、ボールペンを置く。
「こちらにお名前と電話番号をお願いします」
ボールペンを手に取ったぼくは、筆圧を気にしながら氏名と電話番号を伝票に記入する。書き終わった伝票を手に取った店員はミシン目に沿って一枚目を切り取る。伝票を二つ折りにして、小さな紙封筒に入れて、ぼくに手渡す。
「お取り置きに関しましては、1週間経ってご連絡がない場合、お取り置きが解除されることになります。お電話いただけますと、あと1週間お取り置きの延長ができますので、ご来店が難しい場合はご連絡ください」
「わかりました」
「このお財布、とても品が良くて、お客様にピッタリだと思います」
「検討してみます」
「他にお探しのものはございますか?」
「今日は財布だけなんで。また来ます」
店を出て、5階フロアの各ブランド店前を歩く。角に位置する時計ブランドの店前には、まだ客が並んでいる。黒いスーツの男性店員が入口付近に立っていて、予約客の氏名が書かれたボードを左手に持っている。歩いているぼくと目が合った黒いスーツの男性店員が軽く会釈をする。ぼくも軽く会釈をして店前を通り過ぎ、エスカレータに向かう。
<了>
ーーー
第9回 ライティング・マラソン(2021/09/18開催 参加者3名)
1.【ポケット-チャリンチャリン】10分
2.【待っている-部】20分
3.【二重人格-マッチ】30分
1.、2.、3.、ごとに、キーワードを5つ抽出(カード)して、うち2つのキーワードでタイトル決め。※タイトルに縛られないで自由に書いても良い。
【あとがき】
今回はキーワードを微妙に意識しながら、自分が書きたいことを優先して書いた感じ。【チャリンチャリン】というキーワードから財布の話を書こうと思い、【ポケット】はどこか文章に入れた。【待っている部】と言えば、財布との出会いを待っている感じで、【マッチ】は財布と客とのマッチングとか(苦しい…)。【二重人格】は…店員?。とにもかくにも、キーワードがきっかけになれば、書く世界は広がりやすい。3名での開催で、読み手がそこにいてくれて、良い緊張感をもって書けた。今日も落ちはなし。