月と金星を探して、ネコをみつける
今朝は早く目が覚めた。アラームのバイブを止めようと充電中のiPhoneを枕元に引き寄せる。時刻は5:30。ダイニングに向かう家内の足音が聞こえる。子どもは学校に向かうのか。それにしては早い。ぼくは寝床で暖かい布団にくるまる。5分ほど経ってから今日は仕事だったことに気づく。休日の朝のように寝転がっていたぼくは目を閉じたまま溜息をつき、起きあがってダイニングに向かう。
背中を向けてキッチンに立つ家内は左手に持ったフライパンで目が覚めるような色の卵焼きを作っている。ぬるい風を出すファンヒーターの前でぼくは立ち止まる。
「今日、休みだと勘違いしてた」
「そういうのって、つらいわよね」
「つらい」
「体調は大丈夫なの?」
「ちょっと風邪っぽい」
「葛根湯、飲む?」
「いらない」
トイレで用を足した後、洗面所で顔を洗って歯を磨く。髭を剃って髪を整える。朝のルーティンを終わらせると、もう若くない男の疲れた顔が鏡に映る。
部屋に戻り、靴下を履いてスーツパンツとワイシャツに着替える。適当に選んだネクタイを鞄の中に入れて、ジャケットに袖を通す。薄手のウィンドブレーカーを羽織ってジッパーを上げる。ポケットにマスクを入れて鞄を持ちダイニングに向かう。
テーブルに置いてあるスムージーが入ったグラスを手に取る。スムージーを飲みながら6時台のニュースをみる。感染者が増えている。「やっぱり増えるよね」とつぶやいても、子ども用弁当のメイン料理に取りかかる家内に反応はない。飲み干したグラスをシンクで洗ってカゴのなかに入れる。
「じゃぁ、行きます」
「行ってらっしゃい」
「何かあれば電話して」
「何かって、なによ」
「いや、べつに」
「行ってらっしゃい」
玄関に置いてある靴に足を入れる。足先をトントンとして靴の感じを確かめる。靴の中に小石は入っていない。ポケットから取り出したマスクをつける。ロックを解除したドアを「ガチャリ」と開けて家の外に出る。向かいのマンションとその隣の民家の隙間からオレンジ色の光が見えた。
幾日か前の薄いオレンジ色の空には、新月に向かう細い月が浮かんでいて、隣で金星が輝いていた。東の端から西の端まで半円を描くように空を眺めて駅に向かう今朝は、月と金星を探しても見つからない。
空を見上げて歩いていると、駅に向かう道でよく出会うネコたちのことを思い出す。あわてて目を向けた民家の玄関先にネコはいない。駅前カフェの庭でよく座っている白黒ネコも今朝はいない。月と金星とネコに出会えない朝のはじまり。
踏切まであと5メートルのところで、警報音が鳴って遮断機が下りてくる。踏切の前で立って電車が通り過ぎるのを待つ。
信じることを考える。何かを信じること。ぼくは「何もない」と思いがちだ。「何もない」と思う時は、悲観的な気持ちが混ざる。「何もない」のに、何を信じればいいのだと。だけど、冷静に考えると「何もない」わけではない。「何かある」から、ぼくは存在している。「何かある」から、あなたと出会う。「何かある」から、書いている。その「何か」を明確につかめていないだけだ。そして明確につかむことなんて、たぶんできない。
「何かある」ことを「何もない」と言い聞かせているんだ。別にそれも悪くはないが。「何もない」こともない、は「何かある」ということだ。この「何かある」ということを信じればいい。「何もない」から「何もないこともない」を経由して「何かある」に辿り着く。その「何かある」ということを信じてみるとか。どうかな。
電車が通り過ぎてから、遮断機がゆっくりと上がる。空を眺めて踏切内を歩いていると、サラリーマン風の中年男性がぼくを追い抜いていく。駅前の本屋の前に白黒ネコを見つけて早足になったぼくの右横スレスレを自転車が通り抜ける。
カードをかざした改札機から「ピッ」と短い音が聞こえる。駅のホームに入ると今朝もこのタイミングで早足の女性がぼくを追い抜いていく。何もないこともない。今、この世界を生きている。何かあることを信じてみる。まだ今日は、はじまったばかりだから。