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変容する時

腕時計を購入した。数えてみると12年振りの購入。12年前は、親父が亡くなった年だ。当時、購入した腕時計を自慢げにつける私に、良い時計だな、と親父は言った。その年の10月に出張先の東京で倒れた親父は、倒れた翌日に亡くなった。数え年で70。まだ若かった、と人は言うが、親父は人生を全うしたように思う。

私のこの12年間はどうだったか。良い時計だな、と褒めてもらった腕時計と共に歩いてきた道はどうだったのか。仕事に関しては、自分の限界を知った12年間だった。仕事に使える能力が私のなかにないことを証明し続けた12年間。それでも必死でついていった7年間、壊れてしまった2年間、再生過程にある3年間。そんな感じか。その間に大きな出会いもあった。

所謂「仕事」の世界からフェイドアウトした位置に存在する私は、今もかろうじて、その位置に存在している。大きな出会いは、違う形になろうとしている。もしくは形がなくなろうとしている。一つの分岐点だ。

仕事に向かう明日から新しい腕時計に替わる。いや、休日の今日から新しい腕時計は左の手首にある。見た感じは悪くない。望んだ通りのデザインだ。今の私にはこれ以上のものはない。全てにおいてパーフェクトだ。そういうものが、今このタイミングで手元にある。

また明日からはじまる。私が越えてきたことは確かにある。12年間使った腕時計と経験を大切に仕舞って、新しい私がはじまる。良くも悪くもはじまること。新しい腕時計と共に生きることを決めた私に、それで良いんじゃないか、と親父は言うのだろうか。

雨降る春の日。


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