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家の近くの大きな本屋で、アイスコーヒーを飲みながら、本を読む

8時開店の家の近くの大きな本屋に、歩いて到着したのは8時45分くらいだった。出遅れた感じはあったが、このご時世で朝から本屋を訪れる人は少ない。朝から本屋に人がたくさん集まったとしても、本屋から本がなくなることはおそらくないので、焦る気持ちは出てこない。

購入目的の本が希少で在庫がなくなるかもしれないとなると焦るのだろうが、そんな本は今やみんなネットで注文するはずだし、しかも今のぼくにはこれといった欲しい本がないので本屋に向かう時の気持ちは穏やかだ。大きな本屋の店内を歩き回って好みの本棚を眺めていると穏やかな時間が流れて楽しいが、それでもやっぱり危険な匂いはする。

先週、この大きな本屋で購入した4冊の本の読書状況【読んだ分量】と簡単な感想を記しておく。

限界の現代史内藤正典【P 94/256】
行詰まる世界情勢。今まであまり考えたことのなかったイスラムのことが書かれていて、興味深く読み進めている。並行読みしている本の中では一番手に取りにくくて、読むペースは遅い。
柄谷行人浅田彰全対話柄谷行人 浅田彰【P 256/256 読了】
対談という形式が読みやすかった。1985年から98年までの6つの対話が掲載されている。米ソの対立軸がなくなったことにより、イスラムが対立軸の対象とされる可能性に言及していた。吉本隆明のことは辛辣に批評している。対談なので語尾に『(笑)』とかの表記があって、するどいことを言っているにもかかわらず、軽薄な感じがしてちょっと違和感があった。今後の学びに向かうキーワードも拾うことができたので、面白く読めたとしよう。
世界史の実験柄谷行人【P 122/199】
柳田邦男が世界をどのようにとらえていたのか。この本で書かれている「実験」という言葉の意味は、生きている世界そのものを使う「実験」なのかと感じながら読み進めている。内容については、まだまだ語ることはできない。じんわり身体の中に染み込ませていく所存。
 「一人称単数村上春樹【P 48/236】
上記3冊を並行読みして疲れた時に読んでいる。「石のまくらに」と「クリーム」を読んだ。読みながら頭のなかに映像となって世界が現れるのは、自分の経験した世界をベースにした映画をみているような気持になる。それが読む人の多くの頭のなかで起こっているとしたら、つながる深層意識に文章がアクセスしているのかもしれない、と思った。著者の書く文章が好きなので、楽しく読み進めている。

それで、本日、購入した(してしまった)本たち。

倫理21」柄谷行人
憲法の無意識」柄谷行人
ハイデガー」貫成人
思弁的実在論と現代について」千葉雅也対談集

「倫理21」と「憲法の無意識」は、店内の検索機で「からたにこうじん」で検索して在庫があったものを購入。浅田彰氏との対談集を読んで面白かったので、氏の本を読み進めることにした。

「ハイデガー」は、今まるネコ堂ゼミで読んでいる「中動態の世界」國分功一朗著でハイデガーのことが出てきたので、少し触れてみようと思い購入。おそらく入門書のなかの入門書のような本。『存在と時間』などに突撃するのも一つの方法だが、読める自信が全くないので、こういう本でかじるだけにする。安易に入門書から入る方法は昔から実を結ばないのだが、癖のようなものなのでしょうがない。積読の予感。

「思弁的実在論と現代について」千葉雅也対談集 は、著者の「勉強の哲学」を読んで面白かったのと、柄谷行人氏と浅田彰氏の対談集を読んでみて、対談という手法はとてもわかりやすく話の内容が入ってくる感じがしたので。対談を読むことは学びを広げていくためのキーワードが得やすい。この対談集で語られる内容は深いところまでは行かないのかもしれないが、今を取り巻く思想について触れることができそうだと思った。

今読んでいる本の量は、ぼくのキャパを完全に越えている。これが大きな本屋が家の近くにできた醍醐味(危険性)なんだろう。何冊かの本は途中で切り上げて積読になるはずだ。

でも、こんな面白い読書サイクルならば、どんどん入って行こうと思う。何かをきっかけに深く読み込むものが出てくればいいし、このまま飛び回るように読みつづけることになってもいい。じっとして動いているか、パタパタと動いているか、どちらも「動き」はある。じっとして動いているというのは見えにくいが、そういう時もある。

人は何のために本を読むのだろうか。「人は」ではなくて「ぼくは」。ぼくは何のために本を読むのか。本を読むとどうなるのか。知らないことを知ると面白いのか。読んで仕事が上手く回るようになるのか。収入が上がるのか。あぁあさましい。それはビジネス書に向かう感じだ。そんな時期もあった。

所謂ハック本を読んで実践して、それなりに面白くて仕事の効率も上がったような気がしたが、それはただ搾取される時間を作り出しただけだった。仕事時間をハックして余暇をつくり出すのは良いことだが、ハックした時間をまたハックするための時間に費やしたりして、余暇を縮めて仕事に明け暮れた記憶が蘇る。それでぼくは何のために本を読むのか。

紙の本は危ない。「何か」が伴う。あの紙のページをめくる感じはたまらない。そのたまらなさの中には「何か」が含まれている。そういう意味では電子書籍の方がシンプルで良いのかもしれない。電子書籍だと「何か」が省かれる。ぼくはそこに物足りなさを感じる。その物足りなさってなんなんだろうか。本を持ってる、買ったということだけで、何かを得る感じ。善し悪しではないが、何かを得ている。その感じも含めて紙の本は目の前に存在している。そこから何かが起こる可能性もあるのか。そして失うこともあるのだろうか。買ったことで満足することから失うこと。ただの所有欲だな。

大きな本屋のカフェスペースで、アイスコーヒーを飲みながら、買った本を並べて読み始める。たとえ積読に回るにしても、読み進めておいた方が良いと思って順番に手に取ってページを開く。読み進めるとどれもけっこう面白い。新たなキーワードがみつかって、思わず席を立ってその本を探しに行きそうになる。ここは大きな本屋だ。これが醍醐味だ。危険だ。きっと来週もこの「家の近くの大きな本屋」にぼくはやって来るに違いない。いや、ちょっと待って、まさかの4連休じゃない?連続して明日もここに来るのか。それだとかなり危険な4連休になる。懐具合がもう。

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