【ドラマ考察】だが、情熱はある。そしてそこには、魂がある。
僕は熱中していた。毎話繰り広げられる日常、そこにある些細な笑い。さすがお笑い芸人。そう、「ブラッシュアップライフ」である。
大好きなバカリズム脚本のドラマの終盤に胸躍らせる僕が目にしたのが、「だが、情熱はある」の次回ドラマ予告であった。
「え、アイドル?」「え、山ちゃんと若林のドラマ?」情報に追いつかずに頭が混乱したのは覚えている。同時に、「だが、情熱はある」のタイトルコールに、何故か引き付けられた自分がいたのも、同時に覚えているのだ。
結論から言うと、僕はドラマに、彼らの人生に、彼らの漫才に、ひいてはCreepy Nutsにまでハマり尽くしている。
妬み、嫉み、もがき、葛藤、そして胸の内に秘めた魂。その全てに感動を抱いたまま、思うままに語ろう。
超完成度の高い再現V感
このドラマ、完成度が高い。何が高いかというと、再現度である。
先にも述べた通り、山里と若林の演者は双方アイドルである。カッコ良いビジュアルで、歌えて踊れるアイドルだ。こんなこと言ってはなんだが、見た目的には正反対と言っていいだろう。
だが、見てみると不思議なことに、2人にしか見えないのだ。見れば見るほど山里であり、見れば見るほど若林なのだ。
もはや完コピと言っていいだろう。だからこそ下手な再現Vよりもそれに近く、本当に彼らの人生を彼ら自身で見ているような気になる。
余計な違和感なくドラマに没頭できる。これだけでもこのドラマの評価に値するだろう。
2人の同一性と真逆性に魅せられる構成
前段で話した通り、このドラマは南海キャンディーズの山里亮太と、オードリーの若林正恭の2人が主人公の物語である。2人は今は解散している「たりないふたり」というコンビで同名のバラエティ番組をやっていた。そんな2人の解散ライブのシーンから話は始まっていく。
しかし、ストーリーとしては2人の高校時代からお互いの芸人としての道のりを描いており、現在描写として少し描かれつつも、主軸は2人のそれぞれの歴史が語られている。W主人公でひいてはコンビという関係性でありながらも、物語の主軸では終盤まで交わらないというのも面白く、ある意味では1時間のドラマの中で2つの物語を観れているという嬉しさもあるだろう。
そんな2人の芸人街道は、似たような道とは言い難かった。かたや山里はよしもとの養成所からスタートし相方も3人目まで変わっている。かたや若林は春日とコンビを組みずっと芸人の道を目指して並走している。しずちゃんとコンビを組んでから一年目でブレイクした山里と違い、若林は長い下積み経験を経てM1の敗者復活戦で花開いた。それぞれの歩んできた歴史はまるで違うのに、根本には似ている「共通点」があった。
その1つに、それぞれのお笑いを志すきっかけがある。1話ではそれぞれの高校時代からお笑い芸人を志す「きっかけ」が描かれていたのだが、そこで語られた2人のセリフはまさに真逆だった。
友達や好きな子から、面白いよね、と声をかけられて「自分は面白い人間だと思うんです!」と両親に芸人への道を吐露する山里とは対照的に、クラスの面白いやつ投票で若林が面白い・面白くないと乱闘騒ぎになったとき、「俺は面白くないから!」と叫ぶ若林。クライマックスでの自分の評価軸は正反対なのに、最終的には若林自身も友達の面白いの言葉に自惚れ、芸人を志した。
そういった意味で、脚本的にはずらしながらも、根本の2人の感情はずれていない。そのズレと合致のバランス感がこのドラマの魅力だろう。
逆に2人の同一性といえば、お笑いにかけた情熱であろう。毎話水卜アナによって語られるナレーションでもあるように、彼らの人生という物語には「だが、情熱はある。」のだ。
情熱とはなんだろうか。激しく燃え上がる感情とうい意味だと辞書では出てくる。
例えばキャンプで火を焚く時、マッチなどで始まりとなる小さな火をつけ、それを巻きに放り込む。小さな火が風に負けずに燃え続け、やがて大きな炎となる。燃え上がるまでには、確実に大きな炎を生み出すための「持続する火」が必要なのである。
早くに売れた山里も、長い下積み期間を経て日の目を見た若林も、その持続する火、言うなれば芸人となるという執念が絶えなかったのだと思う。
山里はお笑い芸人になることに対して執拗なまでの情熱を持って取り組み、その熱意についていけなく先に述べた通り2人が解散を申し出た。
まだ、シズちゃんとコンビを組んでからは、売れるという執念からボケへの渇望を捨てしずちゃんを活かすネタに切り替えた。自分を折ってまでも、彼はお笑い芸人として「売れる」ことを選んだのだ。
彼の机には山のように積まれたノートがあり、そこには研究しつくされたコントのネタや、怨みつらみなどが書き連ねられている。M1でのコントのネタも、1つのネタを何回も舞台で試して、反応によって一言一句を修正して出来たのが、準優勝を勝ち取ったネタである。
彼の芸人として、ジメジメドロドロとした執念深い努力の人なのだ。
若林は、ずっと悩みもがいていた。お笑い芸人を志してから、一向に仕事ができない。パーマにしたり、人と違うだけの奇抜なネタをしたり、テレビや本からの受け売りのノウハウを試してみたり。売れないながらも、何かを求めてもがいていた。
受かったと思ったエンタの神様も放送されず、やっとこれだと思えたズレ漫才も最初は賞レースにもハマらなかった。それでも漫才を磨き続け、やがて人に認められ、そしてM1の敗者復活戦を勝ち抜き準優勝となる。
もがき苦しみながらも、ただ地道に足掻く執念の人が、若林なのだ。
陰湿だからこそ、突き詰められることがある
ドラマでの2人には、自分と重ねるような部分が私にはあった。
人の成功を妬み、黒い感情を心の内で爆発させる山里。何をやったらいいかわからない、どこに向かってるのかもわからないともがき苦しむ若林。
2人とも陰湿でじめじめとした感情を持っており、そしてそれは多くの人々に共通することだろう。だがその陰湿さを彼らはバイタリティに変えて、お笑いに向き合い磨き上げる力にした。
陰湿だからこそ、泥臭く足掻きもがくことができる。だからこそ、彼らは強いのだ。
何者かになりたい。それを追い求めた「生き様」の物語
私が印象に残っているのが、若林が新人コント大会で渡辺に評価されるシーンである。努力が実り初めて第三者に芸を認められた瞬間、彼は1人涙していた。
山里が1話で言った「何者かになりたいんです」というセリフがある。人は自分が何者かになることを追い求めて、人生を走っている。人から評されて、受け入れられる時、初めて自分が何者かになれるのかもしれない。
この物語の彼らを通して、その生き様を感じて、「何者かになりたい」ともがく素晴らしさを知った。
そんな、情熱の火を灯してくれるようなドラマであったと思う。