『ミライカナウ』
私は現在、碧を望む南の島で生活している。
一ヶ月ほど前に、単身移住した。
それまでは大都会の真ん中で
『セイヨウミツバチ』
をビルの屋上で飼う事業と
『拡張家族』
という共同生活を
『パラレルダイバーシティ』
を日々内在する己に実装、実践を課題に日々を重ねた。
そして一年を過ぎてから私は、
『島』
を選択した。
理由はある近しい人の言葉だった。その人はいつも人々の前で、
「千年先の未来に続く、人類の見果てぬ夢を一緒にみたい」
と語っていた。
そして
島がある自治体HPにあったのは
「千年先の未来へ」
という一文だった。
私はこの島へ来たのは今回で4度目だ。
敏感な私は、以前の来訪では、島を包む悲しみや苦しみに満ちた人々の歴史が宿る雰囲気や感覚に囚われていた。
後になって知ったが、この島の現状は非課税世帯と片親世帯の割合が突出している。
美しい生態系とは裏腹に、
人間界には社会課題が山積している。
南海を遠く臨む空は、私の心に
『死者の国』
を連想させる。
特にハンセン病療養所から望むニライカナイの海には、
「常世の国」
へと吸い込まれていきそうな感覚すらある。
住む気持ちは微塵も浮かばなかった。
そんな自分が、移住を決めた。
「悟りとは苦しみや悲しみ、孤独や絶望の内在意識を
歓喜や感謝、愛に変えていく変容意識の終生にある。」
という目的と捉え始めたからだ。
4度目の始まりの日は、
『御嶽』と『神社』の夏祭り
だった。
初朝、目覚めた時、囃し聞こえてきた。
この島での生活が始まった。
島には
千ヶ所以上の御嶽が存在
する。
御嶽とは
自然界由来風土に宿る精霊神々を祀る場所
渡鳥の楽園と言われる、風や海流が交差する島の生態系。
渋谷から来たばかりの私はそれを敏感に感じた。
そしてこの島にとって最も大切な奇跡がある。
それは地球プレート運動の長い営みにより
石灰岩が浮き上がり、
飲料水に適した地下水を有している島
であるという事。
その水は南風に運ばれる胞子などにより、独自の生態系、渡鳥達そして島の人々の生命の営み、循環を続けてきた。
海の生命達はフィリピンプレートは主にユーラシア、太平洋2つのプレートに挟まれた深い海溝を形成し、海底火山活動は、大量のミネラルとエネルギーを放出、原始の生命の誕生、産生を継続している。日本鰻はマリアナ海溝で産卵し、その稚魚は海水が海流に乗り、日本列島の河口へと向かう。
呼吸をする。食べる。排泄する。 私が生きている事を日々実感する。
海、風、自然界を感じる。
我々の生命も自然界と共生循環する。
死生を祝う、祈る、想う事。内在意識を見つめ日々を生きる。
私は毎朝、東の太陽が昇る海の彼方を望むその島に、意識的呼吸から一日を始める。
「ニライカナイ」
海の彼方を望む、琉球列島地方に伝わる信仰の存在。
島に渡り、島に生まれ、島から離れ、島へ戻り、また島へ渡り・・・
悠久の月日を重ねてきた祖霊神達と、意識が重なり繋がる時、
内なる魂が震える。
「宙の声が聞きたくて、風の音に耳と肌を重ねる」
琉球神道の常世の国に
千年先の地球生命へ、継続する意識から生まれた行動の連続。
地球の全生命の、美しい太陽と月の、意識や想いが織りなす
涙と汗から生まれた祈願の
「未来、叶う」
唯唯、それだけを信じて。