2023.3
3/14
ホットヨガ2回目。
平日に通うというのはどんな感じかと思ったが、案外荷物がコンパクトにまとまって 何とか続きそうな気配だ。
月4回だけ通う予定だが、入会記念で2か月間、格安で月6~8回通う事が出来るという。来月まで週2通い。
凝りがマシになれば有難い。
3/12
ホットヨガをしているスポーツジムを見つけたので体験ヨガをしにいった。
室内は少し汗臭さが混じっていたが、そこは密室だし空気の入れかえをしても限界があるか…と早々に諦めた。
ヨガが始まると室内の臭いはそこまで気にならなくなった。
ホットヨガは気持ちよく大量に汗をかいて、ほぐれた肩回りと一気に良くなった血行のおかげで、ホットヨガの後は軽い頭痛がしていた。
頭痛は夜まで続いた。
凝り固まっていた肩が憎らしい。
この日はヨガだけでなく、教習所にも顔を出した。
約1か月ぶりの運転、仮免許を取った後1か月車に乗っていないまま、外回りを開始。運転の仕方をきちんと覚えていて特に突っかかることなく、無事実習が終わった。学科の勉強は4月末の保育士試験が終わるまでゆるゆるとサボろう。
3/9
いい加減スポーツをしなくてはならない。
身体はダルダルの凝り固まってバキバキ。
コロナ渦を理由に通わなくなってしまったスポーツジムが潰れて、家から少し遠いところにしかジムがない。
無くなった後で思い知る、近場の有難み。
3/6
普段の日常へと戻って、つつがなく日常を過ごしていた。
手帳に目標や日常の出来事、やることリストなど雑多に書いているが 毎日毎日似たような事を考えて手帳に同じような事を書き連ねている。
転職を頑張ろうとか、勉強を頑張ろうとか、買い物のメモとか。
その日の思考を書いておく事で自分が何に重きを置いているかがよくわかる。
漠然とした生活の些細な悩みを解決しようと考えているのだろう。
3/3
2月26日、祖父が亡くなった。
享年90歳。
明け方に眠るように亡くなったと母から聞いた。
明け方という事もあり、本当に今際の際に苦しまずに済んだかは定かではない。きっと祖父に取り付けていた医療機器が、寝泊りしていた人たちに異変を知らせて、そのまま祖父は亡くなったのだと思う。
晩年、眠るように死にたいと話していたので そのようにして旅立ったのであればいいな…と願っている。
葬式はすぐに行われず、火葬場の予約が空いていない・とのことで伸びに伸びで3月3日となった。
その日は、風の強い晴れた日だった。
雲もろくにない青空の中、朝早くから葬儀会場へと親族が続々と集まった。
遠方の親族は関東からわざわざ駆けつけてくれた。
みな祖父とは、コロナ渦以降会えていなかった。
非常に使い古されたセリフではあるけど、「会える内に会っておく」という言葉を深く嚙み締める事となった。
実に大事な事だと思う。
コロナ渦でみな祖父が施設に入った後、かれこれ2~3年会わずじまいのままとなり、3月13日のマスク解禁を待たずして祖父は旅立った。
祖父は、お酒を飲んで集まる事が大好きな人だった。
親族一同30人以上の人間が集まって、祖父の大好きなわいわいとした空気の中、葬儀が始まった。
葬儀は家族葬という形で、通夜などは無し。
お別れ会という実に簡素な形で終わった。
音楽を流しながら、線香をあげて焼香をあげた。
この時はまだお寺の住職さんはいなかった。
棺桶の中に、皆で用意した花をたらふく詰めて、祖父へのお手紙を各々書いてきたものを棺桶に忍ばせて。祖父の好きなお酒やたばこも詰めて、棺桶の蓋を閉じた。
そこから車で10分とかからない場所に火葬場があった。
その火葬場に住職さんがいて、火葬直前にお経を唱えて祖父は荼毘に付した。お経も大して長いものではなく、南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏と繰り返すような簡単なもので、これまで見てきた葬儀とは違う簡素なもので、これが家族葬か・と思った。
火葬の骨上げは定員9人までと決まっていた。親族が30人以上いたが、半数以上は骨上げをすることなく終えた。
骨上げに定員があるなんて、と ひそひそと話したが結局そのまま9人で骨上げをして葬儀は終えた。
葬式にはお金をかけないという祖父の意向により、祖父の骨壺は手のひらにすっぽりと収まる小さなサイズとなった。
頭蓋骨一つすら入らない、本当に小さなものだった。
たとえるならマグカップサイズとか湯呑サイズといったところの小さなものだった。
墓をどうするなど詳細も決まっていないし、小さなサイズはそのまま仏壇にも置きやすいという事で 小さくて良かったように思う。
小さくなった祖父と共に、親族一同で 遅めの昼食と宴会が開かれた。
祖父の遺骨のそばには焼酎とおつまみにお刺身が供えられた。
親族が集まり、悲しいながら和やかな葬儀となった。
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