オリンピックなんかやめちまえ!って書いたら反感を買うだろうか(えせエッセイNo.16)
1980年、ジョン・レノンが殺害された。
まだ40歳という若さだったらしい。
中学のとき、英語の授業でジョン・レノンの存在を知った。何をしている人かも知らなかったが、英語の教科書を読みビートルズの一員だったと知る。ただし、「ずぅとるび」は知っていても、「ビートルズ」は知らなかった。
似たようなものか……
そんな風に思っていた。ごめんなさい。
ジョンが殺害されたのは、のがわ少年が小学校に入学するかしないかの、まだ寝小便に悩まされていた頃の話である。
ジョンは世界平和を曲に載せて訴えた。ベトナム戦争真っ只中の時代に世界平和を唄う(謳う)ジョンは危険人物だったそうだ。
ジョンは言った。
「世界は狂人によって支配されている」
そう言い放つジョンは、逆に狂人扱いされていたという。そのことを知ったのは、奇しくも平和の祭典パリオリンピックの開会式だった。
さまざまなところで、パリオリンピックの開会式が話題となっている。平和の祭典らしからぬ開会式だったようだ。現在、SNS上に投稿された開会式の映像の多くは削除され、見られなくなっている……と聞いたが、気のせいかもしれない。
狂人が言論統制をしているのだと、勝手に「暴れまわる進撃の巨人」をイメージしていたのだが、少し早とちりだったようだ。
とはいえ、もめ事は真平御免である。
そんなにもめるのなら、オリンピックなど開催しなければよい。日本は参加しなければよいと思う。そんな風に考える私もまた、狂人だろうか。
剣道がオリンピック競技にならないから僻んでいる?
そんな低レベルの話ではない。むしろ、オリンピック競技にはしないでほしいと思っている。決して強がっているわけではない。(ちなみに剣道七段です)
「剣道はオリンピック競技にならないんですか?」
剣道を始めたばかりの人によくあるQ&AのTop of topに君臨するであろう質問だ。答えは……
剣道はオリンピック競技にはならないだろう。なかにはオリンピック推進派がいることも確かだが、これからもずっとならない。この世に「絶対」なんてものはないかもしれないが、これはほぼ絶対だ。
ちなみに、学生時代の先輩に剣道の強い人がいたが「オリンピック競技に無いって知ってから辞めた」と言ってサッカー部に入ってしまった。
オリンピックを目指せなければ、続ける意味がないのだろうか……
じつは、剣道は3年ごとに世界大会が開催されている。今年は19回目となる大会がイタリアで開催され、61の国や地域が参加した。しかし、残念ながら認知度はかなり低く、剣道をしている子どもたちですら知らない。
ところで、大きな大会を開催すると、課題となるのが審判員の確保だ。
大会規模が大きくなればなるほど、審判員の確保は難しくなる。しかも、世界大会やオリンピックとなれば、技術の高い審判員が必要だろう。もちろん、私のような小心者の優柔不断は審判員に適さない。
オリンピックの審判員ともなれば、プレッシャーに圧し潰されてしまうのではないだろうか。私が小さな大会で審判をするときですら、選手以上に緊張する。そして、ニワトリ以上に挙動不審な旗振り人形となるのだ。
お気づきのとおり、数値で表現できない部分の判定は、鶏肉の焼け具合を判断するよりも難しい。オリンピックにおいても、審判における多くの問題が露呈している。
あれはないわ~
あなたもそう思ったのではないだろうか。柔道の誤審である。以前のように、テレビや新聞で勝敗のわかるシーンや結果だけを見ていたときには、それほど大きな問題意識は芽生えなかったであろう。
しかし、SNSがここまで発展してしまうと、否が応にも目に入ってしまう。動画は何度も繰り返し再生され、否定的な意見が目にバチコーンと飛び込んでくる。著作権や肖像権などは後回しで、我先にと声を上げる。
多くのど素人が声高らかに攻撃を始めるのだ。
柔道だけでなく、バスケットにおいても誤審が不利に働いたという。朝からXのトレンドを「女性審判」や「誤審ピック」などというワードが賑わせていた。
このような 誤審ピック オリンピックを見ていると、醒めてしまっている自分がいることに気がつく。
何のために戦っているのだろうか。
人々の娯楽のため?
お金のため?
まさか、お国のために?
残念ながら、オリンピックの結果は私の生活に何ら関係がない。誰が勝とうが負けようが、私の給料は1円たりとも上がらないのだ。
たしかに、若い頃は「エアジョーダン欲しい~!」と思ったことはある。宣伝効果という点では、オリンピックによってお金が大きく動くだろう。ちなみに、マイケル・ジョーダンがオリンピックに出ていたかどうかを、私は知らない。
スポーツや武道で自分を高めることには賛成だ。しかし、試合となると、二の足を踏んでしまう。
そもそも試合って何だ?
奈良時代には「試合」ではなく「為合」と書いたそうだ。
「為合」とは、互いが互いのために役に立ったり、利益になったりすることを表す。そして、他者と「為合う」ことがうまくいった満足感を「しあわせ」と称したそうだ。
オリンピックは、勝っても負けても幸せになるべきだろう。しかし、実際はどうだろうか。誹謗中傷の嵐が吹き荒れている。それは一部のことかもしれないが、一部の声が大きいことで大きな問題のように思えてしまう。
ジョンはそんな世界を望んでいない。
お互いに高め合い、満足感を得るのがオリンピックなのだ。勝っても負けても見ている者までもが幸せになる。さすれば、オリンピックは世界平和へとつながるだろう。それができないのなら……
オリンピックなんかやめちまえ!!
と、ジョンも思っているに違いない。ジョンに代弁してもらった私もまた狂人だろうか。
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