『写真図解 作業道づくり』と共に考える林業ー師匠たちの紡ぐ言葉ー
2011年の東日本大震災をきっかけに東京から東北に通うようになり、特に南三陸町へ重点的に通いボランティア活動を続け、2017年には結婚して町民になった私。仕事ではまちづくりや教育に重きを置いたプロジェクトマネジメントの仕事をしていたため、南三陸町で暮らしながらも、東京にも拠点を残して個人事業主と会社経営と一般社団法人の仕事とあれこれ手を出しながら全国飛び回っていました。しかし、2020年から新型コロナウイルスの感染拡大によって生活は一変。今は気持ちを切り替えて、自分が意を決して移住した町で今まで以上に向き合う時間を作ろうと、新しいことに挑戦しています。今回は、今年の2月から入り込んだ林業と師匠たちの言葉から考えたことのお話です。
□正直、山に興味は全くなかった
なぜ私が林業の世界に入り込み始めた(まだまだ素人ですが)かというと、国の補助事業で林業の世界に興味を持った人(特にコロナの影響によって生活が変わった人)向けに行われる林業研修が開催されるという話を耳にし、そこではチェーンソーやバックホーの資格も取れるとのことで、資格が欲しいと思ったからなのです。
私は東日本大震災をきっかけにコロナ禍になるまでは毎年災害の発生した地域にボランティアに行っていて、防災士も取得し、仕事でも防災教育を行っています。そのため、可能な限りボランティア募集があれば現地に足を運び、現場から学ぶことを大切にしてきました。しかし、2019年に台風で大きな被害のあった千葉県では、倒木が多かったため、一般ボランティアよりもチェーンソーやバックホーなどの機械・重機が使える人材を求められていて、大して力になれなかった経験がありました。
もちろん、資格を取ることで、南三陸町での山林ボランティアに関われるようにもなるだろうし、資格だけのために利用するような気持ちではなく、研修を受けるからには学ぼうという意識はありました。ですが正直、虫も苦手だし山歩きにもそこまで興味を持ったことがなかった私には、コロナ禍で外にも行きづらくなったし「お手伝いできることが1つ増えるかな~」くらいの気持ちだったことは否めません。そんな気持ちで、今年の2月に3週間行われた林業研修にエントリーし、参加しました。
□林業研修で覚醒した「感じる」力
“ところがどっこい”なのです。いざ、林業研修を受けてみたら「なんと奥深く、なんと生命を感じる世界なんだろう!」と感動しました。チェーンソーも生まれて初めて手にした私でしたし、バックホーも研修初日は乗るのが怖くてドキドキしました。でも、研修には素晴らしい各界のレジェンドの方が先生になってくださり、ただスキルを学ぶだけでなく「林業とは何か」をたくさん教えてくださったんです。
例えば、小田桐久一郎師範に教わったチェーンソーは、ただ始動してテキスト通り伐ろうとしてもうまくいくことはなく、全く同じ条件で伐れることも全く同じ木もないから、木と対話し、周りの木々たちとの関係性を感じ、命をいただく感謝をして伐るということ。そして、チェーンソーそのものも命あるものではないものの、自分の身体の一部のように作業するためには魂を宿すというか、チェーンソーの持つ「ジャイロ」の力を感じてチェーンソーの意思(「ここにこう入ってこう伐りたい!」「こう力を入れられると負担が大きい!」というのを教えてくれるかのよう)を感じて伐ることが大事だと学びました。
元々感性を活かすことの方が向いている(と私は思っている)からか、この研修が始まってからはもちろん知識も重要なので頑張ってはいましたが「感じる!」で習得する楽しさにハマっていきました。ただ、それでテンションが上がって甘く見てはいけないなとも思い、作業道の橋本光治先生にお会いした初日に「私は知識を習得する以上に、自分が山を感じられるようになりたいと思ったり、感じ始めていることに林業の面白さを見出し始めてしまっているのですが、これでも良いのでしょうか」と真剣に質問しちゃったんです。すると橋本先生は次のように仰いました。
「人間は、感性を養うためにいろいろするんですよ。感性がすでに良いなら、それを信じて良いんです」
橋本先生のこの言葉で、ようやくこの研修での自分に自信が持てたような気がしました。いざ自然の中に身を置くと、人間の作り出した速度が嘘だったように時間が緩やかに流れ、その時間の中で感じた森の中の木々たちや環境は、人間界のさまざまな縮図や教訓を教えてくれたような気がしました。
□山と人間は突き詰めれば同じ
橋本先生が教えてくださった次のことは、まさに人間関係や何かを成し遂げたい時に通る道と重なるようなことばかりでした。山に付ける「道」とは、私たちの歩むべき「道」と同じなのですね。以下、橋本先生から教わったことです。
そして、この素晴らしい学びを与えてくださった橋本先生が「師匠」と仰ぐ先生に、大橋慶三郎先生という方がいらっしゃいます。お会いしたことはないですが(あえて先生と呼ばせていただきます)、橋本先生のお話を聞いたり、橋本先生を師匠と仰いで日頃教えてくださる地域の方からのお話を聞くうちに、大橋先生の言葉を知りたいと思うようになりました。そこで、この夏に次の2冊を読むことにしたんです。
○大橋慶三郎・岡橋清元『写真図解 作業道づくり』全国林業改良普及協会(2007年10月10日)
○大橋慶三郎『大橋慶三郎 道づくりと経営』全国林業改良普及協会(2008年2月20日)
□『写真図解 作業道づくり』を読んで
先に挙げた2冊のうち、後者の『大橋慶三郎 道づくりと経営』は、大橋先生がどのような人生を歩まれて、どのような“トライ&エラー”を重ね、何を感じ、何から学び、何を思い、そして何を”本物”とするかという考え方とその実践に基づく経営について書かれています。写真図解に書かれた内容を踏まえてこの本を読むと「なぜ写真図解にそう書かれていたのか」が分かるような気がしてきます。(ここでは書き切れないので、興味を持っていただけたらぜひ読んでみてください。)そして『写真図解 作業道づくり』を読んだ率直な感想は「分かりやすくて難しい」です。
まず「分かりやすい」のは、何が大事で、何は危険で、どうしたら良いかのイメージが写真で説明されていた(まさに写真図解!)ことです。先に研修を受けて現場に入っているため、山の中でいろいろなことを教わり、その都度知識と経験を積んでいくわけですが、改めて一般的なテキストではなく自分を指導してくださっている皆さんの師匠のことばのテキストとして読む(見る)と、とても良いおさらいになりました。おさらいだけではなく、新たな疑問やまだ実践したことがなくて分かりにくかったことも出てきて、次の研修で質問したいことや次に橋本先生にお会いできた時に質問したいことなどがたくさん出てきました。1日で一気に読みましたが、付箋でいっぱいになりました。
次に「難しい」のは、あくまでも“良い意味”で「読者の想像力と経験に委ねる」説明となっていたことです。これは自分が現場で学ばせていただいているから分かることですが、テキストが詳細過ぎると、ちょっとでもテキストのシチュエーションとずれた時に応用が効かなくなります。というよりも、現場合わせが主である自然界での作業は、ほとんどが応用なのです。そう考えると、いかに応用できるかどうか、自分の中に判断できる軸を基本としてしっかり据えることが大事なんですよね。だから「自分がどう判断すれば良いか、こう考えれば分かるよね?」と問いかけられているような説明だと思いましたし、その余白こそが難しいけれど大事なポイントなのだろうと思いました。
□師匠たちの言葉は文学
橋本先生の言葉はすでに橋本先生の言葉となっていて、大橋先生の言葉は橋本先生から教わったことと重なりつつも、大橋先生が紡がれている言葉でした。また、写真図解は橋本先生と同じく大橋先生に学んだ岡橋清元氏も著者であり、岡橋氏の言葉も経験から来るものがいろいろありました。私は大学・大学院と教育兼文学研究をしていたため“言葉”を大事にしているのですが、師匠たちの言葉はもはや「文学」だと感じます。
在学時は、文学に対して「楽しさ」よりも「課題」であることが勝ってしまっていたと今は思います。当時私は近代文学を専攻していて、特に夏目漱石の作品の研究をしていたのですが、漱石の面白さよりも「論文を書かなきゃ」が勝って書いていたのではないかと、今だから思います。しかし、今、この「分かりやすくて難しい」林業の世界をどう読み、どう分析し、どう解釈するのかの興味がどんどん湧いてきます。
文学が面白いと思うためにも、読んで感じることはとても大事な要素だと思いますが、よく「文学研究」をしていたと言うと「そんなに本が好きなの?」みたいな質問を受けることがあります。でも、文学研究ってただ本好きが集まっているわけではなくて、その作品を読み込んで、分析して、解釈して、論文にするために、作品に関するであろうさまざまなこと(都市論、心理学、ジェンダー、時代背景、経済、政治などなど・・・)を研究するんです。なんだか林業も同じで、こうして林業の世界に飛び込むまでは、林業従事者は「山が好きなんだ~」「木が好きなんだ~」くらいに思っていましたが、山を理解するためには、さまざまな角度から向き合って、あらゆる経験から自分なりの本物を見極めてやっていくことが大事なんだなと分かりました。
最後に『写真図解 作業道づくり』に書かれていた大橋先生の余談(のようで本筋)の引用からも多様な学びや視点が道づくりや林業に大切なのではないかと垣間見えると思ったので、それをご紹介して終わりにします。