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東京で生まれ育った私と、地方に嫁いだ私と、自分の人生を模索している私の「伝え生く」記録…

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東京で生まれ育った私と、地方に嫁いだ私と、自分の人生を模索している私の「伝え生く」記録。 roots:東京都世田谷区出身/日本×台湾のハーフ/宮城県南三陸町在住/早稲田大学&大学院(教育・国文) work:まちづくり/ライター/防災/山守 like:ねぎ/ダンス/ものがたり

最近の記事

馬門山族との時間

 いつもなら、その日のうちか翌日に、記憶と感覚が鮮明なうちに浮かび上がることばたちを残したいのに、馬門の山で過ごした時に感じたあれこれは、時間と共に削ぎ落とされて残った余韻、残り香、そんなものにこそ大切なことが詰まっているような気がして、すぐに筆を取れない私がいました。何をするでもない時間に、何もかもが詰まっていた、そんな野営の中でのお話。 □リョウさんとの出会い、馬門山族との出会い  今回は、6/9-10で三沢、10-11で野辺地&馬門という旅を組んでいました。そもそも

    • 三沢に見た日本

       6/9、青森県三沢市。福島・宮城・岩手・青森のそれぞれから、山守仲間が集まりました。BARとゲストハウスのオーナーであるノリさん(山守仲間でもあります)が、米軍三沢基地のお友達のDavidさん・Georgeさんと共に、私たちを案内してくれたり、夜までお付き合いくださって楽しませてくれました。そんな彼らとの時間を通して、グッと心に残った、三沢に垣間見た日本のお話。 □三沢基地内の暮らし  到着して間もなく、初めて三沢を訪れる私たちのために、ノリさんがお店を通じて親しくなっ

      • 備えあっても、憂いありー非常時こそマインドを保つー

         昨年に続く学びの一人旅ということで、北海道の釧路・阿寒湖エリアに2泊3日滞在していました。阿寒湖温泉に泊まってアイヌコタンを訪れたり、自然について学んだり、釧路市方面では釧路湿原を訪れたり、タンチョウを観察したり。そうして学んだことや感じたことを感性の赴くままに誰にも邪魔されず執筆する、という時間を大切にしています。最終日、早めに空港に移動してまた執筆を進めていました。しかし、さすがは冬の北海道、雪の影響で欠航の危機!今回はちょくちょく北海道の素晴らしい景色を交えつつ、1番

        • 「キリコ」―変わりながらも、揺らがずに―

           私は「週末田舎探検部」という、約月1回開催の部活動を企画開催しています。主に、地域にいる達人から、産業や文化、技を学ぼうということが目的で、これまでにも藁細工、魚の捌き方、化石発掘などなど、さまざまに開催してきました。今月は、部員から「キリコ」をやってみたいという話が前々からあったため、上山八幡宮の禰宜である工藤真弓さんに先生をお願いし、キリコ体験をしてきました。今回は、その体験を通して知った、キリコの奥深さと文化の伝承についてのお話。 □「キリコ」の意味  「キリコ」

        馬門山族との時間

          名前を付けた牛と付けていない牛とは何が違うのか

           2021年の6月に生まれた雄牛。お世話になっている農家さんのもとに生まれたこの雄牛に、縁あって名前を付けさせていただくことになりました。その名も「大悟」。今回は、大悟との出会いと、約9ヶ月と、お別れのお話。 □「大悟」との約9ヶ月 大悟が生まれたお家の阿部さんご夫婦は、牛だけではなく野菜や果樹も育てている農家さんで、大悟が生まれた6月の時期は、りんごの摘果のお手伝いをしに行っていました。作業しながら奥さんの恵美子さんから「もうすぐ生まれそうな牛がいるの」と聞いていたので、

          名前を付けた牛と付けていない牛とは何が違うのか

          山の「リズール」になること―三島由紀夫『文章読本』から考える

           最近、人生に大きな影響を与えるに違いない師に出会いました。これまでにも、たくさんの「恩師」に恵まれてきた私ですが、その方は「恩師」というよりも、出会ったその日、直感的に師と決まったと言っても過言ではないでしょう。初めて視線が合った瞬間にテンポが変わった旋律、そしてものの10分で私の心の琴線を揺るがした言葉との向き合い方。そんな師との出会いに触発されて、以前にも増して思いが巡り、ことばに迷い、そんな自分をある意味脱線させないようにレールに引き戻す作業として、読書をしています。

          山の「リズール」になること―三島由紀夫『文章読本』から考える

          『写真図解 作業道づくり』と共に考える林業ー師匠たちの紡ぐ言葉ー

           2011年の東日本大震災をきっかけに東京から東北に通うようになり、特に南三陸町へ重点的に通いボランティア活動を続け、2017年には結婚して町民になった私。仕事ではまちづくりや教育に重きを置いたプロジェクトマネジメントの仕事をしていたため、南三陸町で暮らしながらも、東京にも拠点を残して個人事業主と会社経営と一般社団法人の仕事とあれこれ手を出しながら全国飛び回っていました。しかし、2020年から新型コロナウイルスの感染拡大によって生活は一変。今は気持ちを切り替えて、自分が意を決

          『写真図解 作業道づくり』と共に考える林業ー師匠たちの紡ぐ言葉ー

          モノとわたしと思い出と

           30歳を過ぎて、こんなご時世だから家で持て余す時間も増えて、ふと、学生時代から集めてきたコレクションや小さいころからの思い出のアイテムが詰まった箱などを覗き込む機会も増えました。私は、捨てられない癖があるわけではないけれど、思い出のあるものは残しておくタイプ。もし、私が今このモノたちと急に別れることがあったら、どんな気持ちになるのだろう。どんな風に生きていくのだろう。そんなことを考えた、「わたしとモノと思い出」の話です。 □モノとわたしの関係性 私は、捨てる時は潔く捨てる

          モノとわたしと思い出と

          天職ってなんだろう

           皆さんは「天職」と思える仕事に出会えていますか。私はここ数年で何人か「これが私の天職です」と言えている人たちに出会いました。その時の清々しい表情には、なんとも言えない生命力を感じます。もちろん、そこに至るまでにあったであろうたくさんの苦労も感じられますが、それを乗り越えて、今その仕事をしていることが幸せそうなんです。今回は、そんなことから考えた、自分の“天職”っでなんだろーのお話。 □天職≠適職 私は、アルバイトでもいろいろなジャンルのお仕事をさせていただいた方ですし、社

          天職ってなんだろう

          「風」はよそ者、「土」は地元

           昨年の終わり頃に、ある方とお話していて「来年は“風の時代”って言われてるの、知ってる?」と聞かれました。正直、聞いたことはあるけれどスピリチュアルな性質の話、占いの世界の話だと思っていて、私はほぼ無関心でした。しかし、その方に「君のやろうとしていることはまさに“風の時代”に合っているんじゃないかな」と言われたので、改めて「風の時代」について調べたりしました。今回はそんな「風の時代」を意識し始めてから考えるようになった「風と土」のお話です。 □「風の時代」とは 「風の時代」

          「風」はよそ者、「土」は地元

          オンラインで学生×社会人企画をしてみたら気付きの芽がいっぱいだった!

           1月に、コロナ禍を生きる学生たちの話を聞いてみたいなと思い立ってnoteにも記事を書いてみたりしました。そして、2月にはそれを実行に移すべく「集まれ!コロナ禍を生きる学生たちーもやもやしているものを聴こう・語ろうー」という企画を立ててご紹介しました。3月に入って先週の土曜日(3/6)に、ついにその企画を実施してみたのですが、私自身も、あるいは参加してくれた人たちの中にも、さまざまな発見や予想外があってとても勉強になったので、読んでくださる皆さんにも共有したいなと思って書いて

          オンラインで学生×社会人企画をしてみたら気付きの芽がいっぱいだった!

          集まれ!コロナ禍を生きる学生たちーもやもやしているものを聴こう・語ろうー

           先日、コロナ禍を生きる学生の皆さんの声を聞くことで世の中をほんの少しだけでも良くできないかなと思い、noteに綴りました。自身のSNSでも発信したので、今学生の方や教育に関わっている方、その他いろいろな方からコメントやメッセージをいただきました。そして、一緒に協力してくれる人たちも手をあげてくれたこともあり、2/25と3/6にとりあえずやってみることにしたのでご報告です。 □先月の投稿を踏まえて 先月、私は下の記事を書きました。そして、ここに綴ったことをまずは同期で教員を

          集まれ!コロナ禍を生きる学生たちーもやもやしているものを聴こう・語ろうー

          コロナ禍を生きる学生たちと話をしよう

           2021年、年があけて思い付きが多発中(笑)の私です。2020年にもがいた反動なのか、ポジティブにできることをやる、自分らしく突き進むことを取り戻す1年になりそうな予感がしています。「思い立ったが吉日だよ!」と言ってくれる人もいるので、自分の首を絞めない程度に思い立ったことにチャレンジしていこうと思っていますが、今回はコロナ禍を生きる大学生たちと話をしたいと思っていろいろ考えたことを整理しておきたく、ちょっと長くなりますが備忘録もかねて記します。 □大学生に吐き出してもら

          コロナ禍を生きる学生たちと話をしよう

          コロナから半年以上経ってー逃げずに現実と向き合い続けたいー

           私は東京で生まれ育ちました。そして今は宮城県の南三陸町という小さな町に暮らしています。私の仕事は現場に足を運び、自分たちの目で見て耳で聴いて、触れ合うことに意義のある仕事だと思っていました。昨年独立して設立した会社も東京に設立しました。この二拠点生活かつ多拠点活動をライフワークにしていた私には、このコロナの打撃は生き方そのものを否定してきているような気さえする辛いものでした。昨日今日、オンライン上でですが、早稲田時代の仲間や先生、今の現役生たちの顔を見る機会があり、そろそろ

          コロナから半年以上経ってー逃げずに現実と向き合い続けたいー

          「おかげさま」から気付くこと

           9月14日・15日と、南三陸町の上山八幡宮で、秋季の宵宮祭と例大祭がありました。例年であれば、宵宮祭では小さな出店とささやかな出し物をしながら、こじんまりと、でもあたたかみのある、地域をつなぐ秋のお祭りをしていました。夜になると御神楽の奉納もあり、神秘的な空気に包まれる行事でした。しかし、今年はコロナで自粛、神社の責任役員・お世話人・氏子たちが参加する神事のみの宵宮祭となりました。少し寂しさがあることは否めませんでしたが、それでも神社の工藤真弓さんが話してくださったお話がと

          「おかげさま」から気付くこと

          崩れかけていく何か、取り戻す心と身体

           先月のこと。コロナでなかなか遠出もしづらかった半年でしたが、できるだけ他人と接触しないで済みそうな場所を選び、気を許せる仲間4人で旅をしてきました。行き先は秋田県の乳頭温泉郷。気を緩めちゃいけないと思いピリピリしなければならないストレスは否めませんが、我慢ばかりの半年を労いつつ、静かに夏の終わりを楽しみました。今回は行き先での思い出と宿で聞いたお話です。 □初めての乳頭温泉郷 私は25歳までに47都道府県を制覇していたので、秋田県は3回目くらいでしたが、訪れた乳頭温泉郷は

          崩れかけていく何か、取り戻す心と身体