
大好きないとこ
少し前に、いとこのことを書きました。
大好きな、大好きな、いとこ。
子どもの頃から多くの時間を一緒に過ごしてきました。
大人になってからも、電話やLINEでよく話をしていました。
ひとりっ子のわたしには、まるで姉のようで。
いつかは沖縄に戻り、暮らすから。
その時には、たくさん語り合おう。
なんて話もしていたのです。
しかし彼女は、40代の若さでがんと宣告されてしまいました。
痛くても、辛くても、ずっとガマンしていたらしく、
子どもに促され、重い腰をあげ、やっと病院へ。
でも、もう手遅れで、終末期と宣告されたのだと話していました。
そして、あっという間に帰らぬ人に。
いとこのことを書いています ↓
彼女は、最期まで本当に強い人でした。
絶対に治すからと、弱音は一切、聞かぬままです。
「今日はこんな治療をしたよ」
「体調がよくて、がんなんて嘘みたい」
そんなLINEが、今も残っています。
でも、読み返すたびに辛いのは、標準治療への説得ができなかったこと。
彼女は、身近な人の助言に従い、標準治療を拒否。
わたしからすると、怪しいと言わざるを得ない治療に心酔していました。
わたしは、自分自身が病気になり、自分の病を含め、がんについても多くの本を読み、さまざまな情報を得てきました。
比較して、考えて。
やはり標準治療こそ、という確信をもっていました。
しかし、それを伝えようにも、彼女はシャットアウト。
最後の最後にケンカなどしたいはずもなく、
「なぜ?」「どうして?」という思いにフタをして、
ただただ彼女の信じるヤバそうな治療を応援するしかありませんでした。
標準治療をしても、終末期という診断が覆ることはなかったのだろうけれど、でも、もっと苦しまずに、過ごすことができたのではなかろうか。
今でも悔やみます。
彼女が怪しい治療に心酔する前に、
まだまだ健康だったあの頃に、
病気について、がんについて、語り合っていたら変わっていたのだろうか。
時おり、ふと考えてしまいます。