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あやちゃんのTPS(ターニングポイントストーリーズ)

 人生にはターニングポイントがつきもの。過去の出来事を今振り返り、動いてみることで、変わっていくこともあるよね。そんなあやちゃんの物語。

 夕方のスーパーでのお買い物。夕方のにぎやかさが、かなり好きだ。そして、日中働いているお母さんと一緒に居られる短い時間だ。気持ちは上向きなのだけれど、お母さんの右手は弟が握っている。左手には買い物袋、パンパンに荷物が入っている。母に近づくと買い物袋にぶつかる。道幅もそんなに広くない。私が並ぶ余地はないのだ。だから離れて歩く。
 よそ見をしていると、前からお母さんの声、「何をしてるの、早くいくわよ!」そうだよね、忙しいよね。早く帰ることの方がお母さんにとっては大切だよね。一緒にいるけど一緒じゃない。母の手は弟のものであり、私には繋がれない。目を落とすと、私の足に長い影がくっついている。足が長くなって、ちょっと大人になった感じだ。足の長い大人の私の影とくっついたり、離れたり、そんな遊びをしながら母と弟の後を追った。

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 弟が病弱だったこともあり、母のイライラや怒りは私に向けられる。母のきつい言葉に、泣いてしまうこともあった。納屋で家族の洗濯物を干すのは私の役目だ。納屋近くに飼っていた猫ちゃんがいる。泣きながら家事をする。そんな時、猫ちゃんが私の涙をなめてくれる。そんなひと時が私の家での癒しなのだ。
 近くにおばあちゃんも住んでいた。猫ちゃんが留守の時は、おばあちゃん家にいけばよい。おばあちゃんと過ごす時間は安心できるのだ。だから自然とおばあちゃん子だ。
 小学校で、もお友達とワイワイやっていることも好きだ。人と居るのはほんとに楽しい。だから家に居るより、猫ちゃんたち、おばあちゃん家や、お友達と遊んでいることの方が多くなる。おばあちゃんや、お友達とのおしゃべりは楽しい。


 そんな流れで中学、高校と過ごしていった。
 そして、いよいよ将来の方向性を決めるころになった。
 わたしは、なんといっても人と関わっていることが好き。人と接していることが楽しいのだ。人と一緒にいると必要とされていると感じることができる。だからこそ将来は人と関わる仕事がしたい。子どもが好きだから保育士かな、と思っていた。だけど母は「これからは心の時代よ。人と関わる仕事なら、高齢者のほうがいい。」と、断言。そんな母の勢いに押されるように、そうだよなあ、私おばあちゃん子だしねと、社会福祉士の国家試験の受験資格が得られる大学を選んだ。そして卒業後、特別養護老人ホームで生活相談員をしていた。生活相談員とは、利用されてる方への相談支援業務なのだが、そこには利用者さんを支える家族の思いもある。利用者さん、そして家族のことも考え相談にのる仕事、一般的にはソーシャルワーカーともいわれる。

 特に高齢者の方々に育てていただいた思いがある。元気が取り柄の私に、いろいろ語ってくださった。『死に方とは、生き方である』高齢者の方たちと過ごしていると、そう、実感できるのだ。今まさに私達は心の時代を生きているのだ。
 存在価値を認めてもらいたくて、私を必要としてくれる人を求めて、自分でも天職と思える仕事に巡り会えた。

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 そんな生活をしていると、専門職を育てるための教員もするようになっていった。日々楽しく仕事をする日々の中、もっとわかりやすく伝えたいと思い、鴨さんの『話し方の学校』に入った。
 その学校で私の中で変化が起こってきた。紹介していただいた吉田素直さんのコーチングを受けたのだ。ひとりぼっちの夢を見ること。子どものころ、『母の手はいつも弟のものだった』こと


 そんな言葉から、素直さんから出された宿題は、母の手を握ってくること! そんなあ・・・。いまさらなの。高校を卒業して、大学に入学した時に家を出て、その後仕事に専念していたことから、もう数十年、母の手は握ってない。どうしよう、困ったな、と思っていた。が、意を決して、娘と私で、実家に行った。
 「お母さん、手を見せてよ」っと私。「こう?」母が出を出してくれた。母の手は私とそっくりの、ずんぐりとした丸い手だ。こんなところ、似ていたのだ。初めて気が付いた。私と似たその手を、私の手がそっと握った。
 その時、母から「昔は、必死だったから、あやこにかまってあげられなかったね。」母が私の手を擦る。柔らかく、暖かい手だった。そんな母と私の会話に、娘も手を伸ばした。三人で手を握りあった。

 何かがゆっくりと溶けていく。言葉は多くないけれど手から何か流れていく感覚があり、そしてその『何か』はしっかりと繋がっていった。

 そんな日が過ぎてから、

 私がいつでも見ていた、独りぼっちになる夢が消えた。


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