誰かと食べるご飯は美味しいらしい

"誰かと食べるご飯は美味しい"なんて言いますが、私は当てはまりません。噛む速度が遅く、飲み込む力が弱く、食事のスピードが非常に遅いのです。食べ物を自分の口に合ったサイズにするために、箸やスプーン、フォークで取り分けることが苦手で手こずります。

誰かと食事に行くと、誰かは私が食べ終わるのをじっくりと待っています。「気にしなくていいよ」「ゆっくりでいいよ」と優しい言葉をかけてくれますが、なるべく早く食べようと私は速度を上げるのです。早く食べなければいけないというプレッシャーでお腹が満たされてしまい、余計食事が進まなくなるのです。パンパンになったお腹に気づかないふりをし、私は必死にご飯をかきこみます。その姿はとても惨めでしょう。親しい間柄である場合、私の食べる速度が遅いことを十分に理解しているため、私もあまり気にせず食事を摂ることができます。しかし、私には親しい間柄である人たちが片手でも余る程度しか存在しません。

ソロ活と言えるほどではありませんが、私はよく1人行動をします。もちろん、1人で外食をすることがよくあります。"誰かと食べるご飯は美味しい"に対しての理解はありませんが、"誰かとご飯を食べたい"という寂しさから生まれる感情を抱くことは多々あるのです。

そんなときに、私はぬいぐるみを連れて行きます。私は最近22歳になりました。22歳という成人女性がぬいぐるみと外食をすることが許されるのかという問題がありますが、結論からいうと許されます。誰でもぬいぐるみと一緒に出掛ける権利はあるのです。

ぬいぐるみには申し訳ないですが、ぬいぐるみと出掛けることに多少の恥ずかしさはあります。なので、外食をするときも、カバンの中からチラッと私だけに見える角度にぬいぐるみを配置しています。ご飯がテーブルに到着したら、カバンの中からこっそり覗いているぬいぐるみと目配せをし、"美味しそうだね"とアイコンタクトを取ります。一口目を済ませた後も、もちろんぬいぐるみと目配せをします。"美味しいね"とアイコンタクトを取り、その後も伝えたいことがあればぬいぐるみを見つめるのです。

会話がなくても、ぬいぐるみが私のカバン野中に入れてくれて少し顔を出してくれるだけで、食事の寂しさは和らぎます。急ぐことなく、自分のペースで美味しいご飯を楽しめることに加え、"誰かと"の部分を満たす作用があるぬいぐるみに感謝しています。


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