大森靖子は私のマリアで、絶対彼女は私の聖書だった。
生きてて気づいた時には弄られキャラだった。
でも、しょうがないと思っていた。
私は陽気で明るいから何を言われても傷つかなくて、その場の笑いに変えられるってきっとみんな思っていた。
動きが変、イントネーションが変、顔が変。
勉強はできるけど他の事全部バカだよね。
そうやって頻繁に言われていた。
「わたし、ちょっと変だもんね」
そうやってうっすら笑って返すしかなかった。
痩せ型の妹がいるせいで、家ではデブ扱いされてた。母は貴方は可愛いけど顔に品が無いよねって事あるごとに言っていた。
みんなが大切にしない私
私自身が大切にできる訳なかった。
だからずっと私は自分の事を
バカでデブでブスだと思ってた。
そのまま大学生になった。
可愛い子と私の対応が違う。
可愛いあの子にはお酒を強要しないのに私には飲めという。
実際、私はお酒が飲める上にとても好きだし、女の子がぐい飲みすると場も盛り上がるので体調が許すまでじゃぶじゃぶ飲んだ。我ながら先輩や同期に好かれていたと思う。飲み会に呼ばれる事は嬉しかったが少しの違和感もあった。
ずっと他者から可愛いと言われるに値しない女だと思っていた。
そんな時大森靖子さんのPINKを
友達から借りて聴いた。
みんなが優しくなかったから私は少女でいられなかった。なりたい自分でいられなかった。自分を貶めて、私は少女ではいられない範疇の人間だって烙印を押していた。無意識に。
その後友達と大森靖子さんを観に行く。
忘れもしない2013年になったばかりの冬。
ギター1本と声だけで
全身を震わせながら歌う彼女の凄みは
一生心に刻まれる程恐ろしかった。
まるで蛇に睨まれたカエルだった。
お前は私の歌を受け止め切れるか?
といわんばかりの迫力だった。
本当に観客一人一人の目を真っ直ぐみていた。
何度も何度も大森靖子さんと目が合った。
きっと他の観客も同じだっただろう。
そしてその年末、私の聖書が発売された。
聖書はピンクの縷々夢兎を纏った靖子ちゃんがピンクの背景に溶け込んでいる表紙だった。
当時の私は可愛いか可愛くないかだけでカーストが決まる世界に突然放り込まれ女の子である事に心底うんざりしていた。
でも女の子なのは嘆いても喚いても変わらない。それならせめてできる限り可愛くなって女の子も悪くないと思える日常を自分で手に入れようと決意した。靖子ちゃんのおかげでそう思えた。
絶対彼女は私の信条そのものになった。
服にも気を使った。メイクも勉強した。
鏡を見るのが嫌ではなくなった。自分に自信が持てた。それでも杜撰な扱いを受けた帰り道には絶対彼女を口ずさんだ。
ぜったいおんなのこ ぜったいおんなのこがいいな
歌う事で悲しみが消化された。もっと可愛くなって私に雑な対応をしたお前を見返してやると強気になれた。
私がかわいく生きていくことを大好きな靖子ちゃんが望んでいる。それだけで可愛く生きていこうと思えた。努力しようと思えた。
自己愛が芽生えると、周りの対応も変わってきた気がした。私を1番蔑ろにしてたのは私自身だった。自分を愛さないから他人も私を愛してくれなかった。自己愛を持った人間は強い。自分を愛してくれない他人はバッサリ切れる。私を大事にしてくれる人を大切にできる。少女と自称するのは憚られる年齢になった頃、漸く私は少女でいられた。
ありがとう、絶対彼女。