敗北者
敗北者、実に私に相応しい言葉だ。
この手の執筆活動はエネルギーを使うためあまり好きではない。
しかし、何かを残さなければ。
私という人間が生きていた証を、この世に生を受けた人間として、この資本主義社会に敗れた敗北者として何か言えるんじゃないかと。
拙い文章になるが、このページに辿り着いた人に向けて私の心情を発信したい。
最低な身分
私は現在、定職についていない。俗に言うフリーターである。
派遣会社を掛け持ちしながら、工場や倉庫で日銭を稼ぎその日暮らしをしている。
40代の中年男性、髪の毛も後退してきた。同年代では役職を持っていたり、経営者、投資家など、やり手のおじさんがスマホ社会によって可視化されている。
私は社会が目を向けない、敗北者である。フリーターとして夢があるわけでもなく、正社員になる道も残されておらず、貯金もない。
老後の生活などとても考えられない。自殺する勇気もないため、ただやみくもに今を生きている。
最近は身体を酷使することがキツくなってきた。シフトに入れてもらえないことも多く、100円のスティックパンを2日に分けて食べる日もある。
私が死ぬとしたら餓死か、栄養失調だろう。野菜なんて高くてなかなか摂取できないし、焼肉なんてものは遠い昔から口にしていない。
デスクワークができる、せめて身体がキツくない仕事を探しているのだが、資格もキャリアもない40代の中年男性に、まともな仕事があるわけもない。
働くのがしんどい、身体の節々が痛む。今の生活に限界を感じている。
今はネットから個人が発信できる、それでお金を稼げるということで、少しばかりでの足しになれば、とこうして文章を書いている次第である。
人間として落ちるとこまで落ちた私を、「努力が足りない」「自己責任」「甘え」と社会は後ろ指差すだろう。
現に多くの場面でそのようなことを言われ続けてきた。私は自他共に認める社会の落伍者なのである。
ずっとフリーターだったわけではない
言い訳がましい表題だが、事実はもっと深刻である。
高校卒業後、浪人時代、引きこもり時代、アルバイト時代、色々な期間が織り混ざっている。
ずっとフリーターを続けている人より惨めで情けない人生を歩んできた。
「正しい人生」に囚われた結果、誰よりも誤った人生を歩んできたのである。
「いつかきっと」「人生逆転」
私が大好きで、信じてきた言葉である。
盲信的な日本人、何かにすがる人々。
そのような神頼み、人頼み、情けなさがどういう人生へ向かわせるのか。
人生の節目で、現実的で妥協した判断を下せなかったアダルトチルドレンがどういった末路を歩むことになるのか、そのリアルを全てお届けしたい。
このノートを書くのもすごくためらった、ネット社会に出ることが怖かった。
多くの恥ずべき過去、目も当てられない現実を誰かに知られるのが怖かった。
今日は一歩踏み出せた、少しだけ人生が変わった気がする。
まあ、結局いつも同じなのだが。変わる気がして変わらない、何かに挑んでは敗れ、恥をかいて今の自分がいる。
不定期更新になるが、完全にぴたりと止まったら、自殺か病死か餓死か、私が死んだと思って欲しい。
キラキラした成功体験ばかりのネット社会に、ひと風吹かせたら本望である。