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アリストテレスの生命科学的な功績はだいたい「るろうに剣心」で説明できる(note版)

生命科学に関心を持つと、誰しも一度は考えることがる。

「アリストテレスって『るろうに剣心』みあるなぁ…」

である。

80年代後半生まれの人の中には「こんな仮説はとっくに考察済み」という人もいるだろうが、青春の答え合わせも兼ねてお付き合いいただけると幸いだ。

※本記事は音声番組『WOW!!生命科学』の同名エピソードをweb記事用に加筆修正したものです。

奴隷のおかげで学問しまくれたアリストテレス

ソクラテス、プラトンと並ぶ西洋最大の哲学者の一人と言われるアリストテレス。彼は倫理学、物理学、生物学、天文学、形而上学、美学、心理学、経済学、演劇などなど、多くの分野で功績を残しており、それをして「万学の祖」と呼ばれている。

いくらなんでも功績を残しすぎていてちょっと引いてしまうが、彼の非凡な才能以外にも、その成功を後押しした要素がある。時代と地域だ。

アリストテレスは紀元前384年、マケドニアのスタゲイラという場所で生まれた古代ギリシア時代の人物である。

当時のヨーロッパではポリスと呼ばれる都市国家がよく発展したのだが、その発展を支えた制度としてしばしば挙げられるのが「奴隷制」だ。

当時の裕福な市民は平均して2〜3人の奴隷を所有しており、家事や労働を担わせていた。生活のための家事や労働から開放された人は、より抽象的で文化的な活動に取り組むことができるようになる。

こうした暮らしの余裕の中で、政治や教育、芸術といった分化が花開いたのが、古代ギリシア時代の特徴のひとつだ。

現代では口にするのも危ぶまれる奴隷制だが、当時の人々にとっては(少なくとも市民たちにとっては、たぶん)当たり前に浸透していた制度だった。

この件に関してはアリストテレスも例に漏れず、「ポリス市民が完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間であるから、市民が奴隷を所有することは当然のこと」といった発言が残されている。

万学の祖、炎上待ったなし。

『るろうに剣心』指差し確認。あるいはナゾノクサと化した四乃森蒼紫

『るろうに剣心(著/和月伸宏)』は1994年から1999年にかけて週刊少年ジャンプで連載された少年漫画だ。

明治維新後の日本を舞台に、かつて「人斬り抜刀斎」の名で恐れられた伝説の剣士・緋村剣心が「不殺(ころさず)」の誓いを胸に秘め、ヒロインの神谷薫や相棒・相楽左之助らと共に様々な敵と戦いながら自らの過去と向き合い、平和な未来を求めて奮闘する物語である。

1996年のアニメ化を皮切りに様々なメディアに展開されており、昨今では2012年から始まった佐藤健主演の実写映画シリーズが記憶に新しい。

実は同作品、一度作者の和月先生が完全終了宣言を出している。確か弥彦が主人公の、本編のちょっと未来が描かれた後日譚的作品がリリースされた後ではなかったか。

しかしながらファンからの熱い要望があり、その後様々な続編やスピンオフが公式に制作されてきた。この台本を作り始めた2023年12月時点では新たな続編がジャンプスクエアで連載されており、アニメ化にも至っている。やはりどんなビッグネームの漫画家にとっても、ファンの声は何よりの原動力になるようだ。

本編とは関係ないが、私が一番好きな『るろ剣』のキャラクターは小太刀二刀流の使い手・四乃森蒼紫である。クールな美形の隠密でありながら、戦うことしか脳のない部下たちを支えるために引く手数多の誘いを蹴って外道の用心棒となった仲間思いの熱血漢、というギャップのある設定がたまらない。

残念ながら剣心たちの仲間になってからは目立った活躍に恵まれず、障害物を奥義で壊して道を作る”いあいぎりのためにパーティ入りしているナゾノクサ”みたいなポジションに収まってしまった。

いずれ「リーフの石」ないし「たいようの石」が導入され、花弁を巨大に発達させた蒼紫様が八面六臂の活躍を見せてくれるはずである。希望を捨ててはいけない。

アリストテレスの生命科学への貢献、その狂気

話をアリストテレスに戻そう。このように、生命科学っぽい話とサブカルっぽい話を往復し、読者の認知不可を最大化することが当番組の当番組たる所以である。ただちに慣れていただきたい。

日々の労働から開放され、学問し放題だったアリストテレス。そんな彼が生命科学という領域に残した最大の功績は、観察と分類というアプローチによる「科学的な手法」の開発だ。

例えばアリストテレスの代表的な文献『動物誌』には、彼が形態や生態をつぶさに観察した500種類もの動物が掲載されている。

文献の中でアリストテレスは動物を「血を持つもの(脊椎動物)」と「血を持たないもの(無脊椎動物)」という2種類に分け、さらに生殖方法や生息地、身体の構造などに基づいて細分化した。これが後の生物学的分類法の基礎となっている。

『動物誌』はサメやエイ、イカやタコなどの水生生物までもを網羅。さらにはこの時代に解剖までやってのけており、筋肉や骨の機能・機構を観察するほか、胚から動物が発生することについても踏み込んだ記述がある。

電気もなかったこの時代、アナログで地道な作業を積み重ねた彼の好奇心と行動力は、もはや狂気の沙汰である。

現代科学においては、眼の前の出来事を客観的に観察し、それに基づいた分類を実施するというのは基本中の基本である。しかし当時は紀元前4世紀。この時代にはまだ、世界のすべてをありのままに観察して分類しよう、という発想とスケールで物事と向き合った人はいなかった。

科学が発展し、これまでにないほど人々の知的なレベルが向上したと言われている現代においても、現実をありのままに観察できる人はそういない。彼の開発した手法の偉大さは、どのような称賛をしても充分とは言えないだろう。

腐女子の彼女がいなかったアリストテレス

アリストテレスの天才エピソードをもうひとつ。

彼は17〜18歳の頃、アテネにあった「アカデメイア」という現代の学校のようなところに入門したのだが、このアカデメイアを設立したのが、かの有名なプラトンであった。

プラトンといえば、これまた有名な哲人ソクラテス(偉い人を論破しすぎて嫌われちゃって、罪状をこじつけられた理不尽裁判で死刑になり毒杯をあおって死んだ人)の弟子である。

プラトンが提唱した代表的な概念といえば「イデア論」。乱暴にまとめると、この世にあるすべての目に見えるものは「イデア」と呼ばれる理想的な存在の不完全なコピーである、という主張である。完全に理解した。

さて、このイデア論が、プラトンとその弟子アリストテレスを語る上で重要になってくる。

我々は目に見えるもの、実在するものを、感覚や経験を通して認識する。しかし感覚や経験の解釈は人によって異なる。

先日も妻がスマホを放り出して落ち込んでいたので何があったのか聞いてみたら、「推しカプのBL二次創作の表紙が素敵だったから読んでみたら完全に解釈違いでしばらく立ち直れないので今日の夕飯は自分で作ってください」と言い残して布団の中へと消えていった。

事程左様に、他人の感覚と経験は当てにならない。感覚も経験も我々一人ひとりの主観でしかなく、そんなものは決して真理ではありえない。我々が真理にたどり着けるとしたら、それは感覚や経験を超えた理性によってのみである

これがプラトンの「イデア論」の骨子である。たぶんプラトンにも、腐女子の彼女とか、いたんだと思う

さて、アリストテレスである。

アカデメイア在籍中は「学園の精神」などと呼ばれるほど優秀な人材であった彼だから、プラトン先生からとりわけ熱烈なイデア論講義などを受けていた可能性は高い。

にも関わらず、理性の力を使い抽象的な理想へと思いをめぐらせてゆくプラトンの理想主義に対して、徹底的な観察と分類によって世界を整理してゆくアリストテレスの現実主義は、対極に位置する思想のように思える。

当時既に知の巨人として君臨していたプラトン先生の主張や思想に巻き取られるのではなく、それを踏まえた上で自身の信じる知的な営みにまい進し、2000年後の現代にも連なる科学の基礎を打ち立てたアリストテレスは、やはりとんでもない人物だったのだ。

あとこれもたぶんだけど、アリストテレスは腐女子の女の子と付き合ったこと、ないんじゃないかな

風邪の患者に毒薬を処方する比古清十郎

比古清十郎は、『るろうに剣心』の中でも屈指の名シリーズとされる京都大火編で登場した、主人公・緋村剣心の師匠である。

『るろうに剣心』完全版9巻表紙(集英社)

長髪でムッキムキで切れ長のイケメンでCV池田秀一(機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルとか)という強キャラの要素をすべて詰め込まれたような人物で、今なお多くの『るろ剣』ファンを魅了している。

清十郎はわざわざ会いに来てくれた愛弟子剣心に対し、

「例えそれで志々雄に勝ったとしても、人を殺した苦悩で精神は壊れ、苛まれ、やがてまた人を切る。ならば今ここで引導を渡してやるのが師匠の勤め。」

などと言いながら、マジで殺す気で斬り掛かってくる。九頭竜線とか打ってくる。剣心は自分の弱さを自覚したから師匠に鍛え直してもらおうとしていただけなのに

これでは風邪の症状で医者に掛かったら「死んで楽になりましょう」と言われて毒薬を処方されたようなものである。たまったものではない。あと毒薬の処方はソクラテスの裁判と被ってるからやめた方がいい。

相対する剣心。刹那、脳裏に仲間たちのことがよぎる。もちろん薫殿のことも思い出す。そして強く直感する。「まだ死ねない」と。

そうやって「生きたい」と強く念じた剣心が咄嗟に放ち、清十郎の九頭竜線を退けた技こそ、神速の抜刀術、飛天御剣流奥義「天翔龍閃」であった。

実はこの奥義、師匠と弟子がお互いの命を差し出し合うことで、飛天御剣流を魂の芯まで染み込ませた弟子から内発的に生じさせるという地獄みたいな卒啄同時で伝えられてきたものだった。

清十郎にしても先代を斬り殺して身につけた技であったという。普通に教えたらあかんの?

この天翔龍閃、肝心の志々雄真実(京都大火編のラスボス)との最終決戦では一撃防がれてしまう。しかしそこは隙を生じぬ二段構えを旨とする飛天御剣流、当然神速の太刀筋の後には真空が生じ、真空は周囲の空気を強力に吸引する

その風によって体勢を崩した志々雄真実と、風によって一撃目を上回る加速を得た剣心の二撃目。これが緋村剣心と志々雄真実という二人の抜刀斎の因縁を、鋭く断ち切ったのであった。

まとめ

まとめの時間である。

アリストテレスは師匠であるプラトンの「イデア論」に対し、「観察と分類」を打って返した。対する剣心は清十郎の「九頭龍閃」に対し、「天翔龍閃」を打って返した。

「渾身の一撃を放つ師匠と、それを上回る一撃を返す弟子」という構造が、見事に合致している。

よって、生命科学におけるアリストテレスの功績は、だいたい『るろうに剣心』である。

アリストテレスや彼に連なる生命科学の発展を理解するために、難解な専門書を読む必要はない。漫画喫茶に二泊ほどして『るろうに剣心』を読破すればよい

その辺に落ちているいい感じの木の枝を腰に添え、左足を前に出しつつ抜刀の構えを取ることが当たり前の所作として身に付く頃には(右利きの人の場合)、古代ギリシアの巨人、その肩の上から世界を遍くありのままに観察する知性が身に付いているといっていいだろう。

そんなアリストテレスも、アカデメイアの図書館で『るろうに剣心』を読んで「プラトン先生の言いなりになってるだけじゃダメだ!」と心を震わせ、「観察と分類」を提唱したに違いない。

天を駆ける龍のひらめきが、紀元前4世紀の哲人と20世紀の少年漫画を、強力な風のうねりでもってつないでいるのである。

おまけ〜師匠は生き残り、なんやかんや活躍する〜

アリストテレスの放った天翔龍閃によって否定されたプラトンの九頭竜線はしかし、完全に消滅したわけではなかった。もう少し時代が下ったところで再評価され、西洋哲学の発展に大きく寄与したとされている。

『るろうに剣心』においても、本来は弟子が師匠を斬り殺して伝授が完了するはずの天翔龍閃ではあるが、緋村・アリストテレス・剣心が帯刀していた刀が逆刃刀であったことで比古・プラトン・清十郎は生き延び、後々強敵を打倒したり後人の育成に努めるといった活躍を見せている。

様々な視点で見つめるだに、アリストテレスの生命科学における功績は、だいたい「るろうに剣心」なのである。

しかし一点、私は過言を認めねばならない。いいですか。

『るろうに剣心』を読破してもアリストテレスのことは何一つ分かりません。

今回はこれで終了です。また次回。


本記事は音声番組『WOW!!生命科学』の台本をweb記事用に加筆修正したものです。気に入ってくださった方は、ぜひYouTubeチャンネルやPodcastのフォローをお願いいたします。

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