ポッポ
立川生桃
ポッポはポッポが好きでした。ポッポもポッポを好きでした。汽車のポッポと鳩のポッポがおりました。
汽車のポッポは真っ黒な鉄板に覆われた巨体なのです。ある公園の片隅のコスモス畑の中にじっと佇んでいます。汽車のポッポは昔「デゴイチ」という名前の蒸気機関車なのでした。
長い間たくさんの重い荷役を遠方まで行きつ戻りつ運び続けた蒸気機関車のデゴイチ。とても人間の役に立ったということから、人間はお爺さんになった『汽車ポッポ』をこの素敵なコスモス畑に住まわせてあげたのです。
さて。もうひとりのポッポは『鳩ポッポ』です。ポッポは生まれた時から親鳩のいない可愛そうな孤児鳩です。その上、事故で片足のない障害鳩になっていました。ポッポは人間で言えば10才の育ちざかりですが、とにかく餌を手に入れるのが大変でした。人間がサービス
で放る餌をこぞって奪い合うよりも、こぼれた餌を群れから外れてこっそり食べるしか手立てがありませんでした。だから、ポッポはいつもひとりきりでした。脚が不自由なことから自ら仲間外れを選ぶしかなかったのです。
ポッポとポッポが初めて出会ったのは蒼い月夜の晩でした。昼間。お日様の下、鳩ポッポが不自由な脚を仲間にそれは酷くからかわれ、ポツンと心に穴が開いて痛くて痛くて眠れず外へ飛び出た晩のことでした。
真夜中のアスファルトの真ん中をケンケン脚で歩いていると何だかよけいに辛くなり、しばらく涙目をつむって歩いていました。するとスッと路から外れてしまいました。気付かず薄紫のコスモス畑を踏んでいると、
「待てっ。止まれ。ここはわしの庭だ。そこからは一歩も進むな。ふん。どうせ聞こえぬか。」
鳩ポッポは止まりました。
「聞こえるよ。お花を踏んづけてごめんなさい。気が付きませんでした。」
鳩ポッポが背中を向けて引き返そうとすると、汽車ポッポは言いました。
「わしの声がおまえには届くか?」
「聞こえるてるよ。」
「では。おまえは淋しいのであろう?」
「淋しくない。」
鳩ポッポは嘘を付きました。
「では。おまえは悔しいのであろう?」
「悔しくない。」
鳩ポッポは嘘を付きました。
「そうか……。では、顔を上げて目の前の景色を見てみよ。」
鳩ポッポは顔を上げて目の前を見ました。そこには広い広い湖がありました。ひっそり静まり返った湖の真ん中に細長い血のような赤い「線」が書かれておりました。その「線」は少しフラフラと揺れておりました。
「あれはなんなの?」
と鳩ポッポが尋ねると、
「空をごらん。」
と汽車ポッポは言いました。鳩ポッポは空を見上げました。
「あれはなに?」
月が赤い風船のように膨れ上がっています。
「巨大月。スーパームーン。」
「こんな大きな月初めて見た。」
「わしはあのスーパームーンから来たのだ。ここへ不時着して五十年経つ。」
汽車ポッポは嘘を付きました。
「戻れなくなったの?」
鳩ポッポが尋ねました。
「そうだ。燃料切れだよ。」
「燃料って餌のことだね。燃料はなんなの?」
「烏石( カラスイシ )だ。」
汽車ポッポは鳩ポッポに (カラスイシ) というものの色や形や大きさを説明しました。そして、
「その カラスイシ がわしの背中の燃料庫の荷台に一杯になった時、自動的に再び発射してあのスーパームーンへと帰れるのだ。」
と汽車ポッポは言いました。
「ぼくが カラスイシ を拾って来てあげるよ。」
次の日から。鳩ポッポは汽車ポッポに毎日会いに来ました。拾ってきたそれらしき黒い石を汽車ポッポへ見せて、汽車ポッポが、
「それが カラスイシ だよ。」
と言ったので、鳩ポッポは喜んで汽車ポッポの背中の荷台まで羽ばたいて、その底にカラスイシを落としていきました。
鳩ポッポは、
「♫鳩鳩ポッポポッポッポシュッポシュッポシュッポッポ……」
と歌いながら、汽車ポッポは、
「♫ポッポッポ汽車ポッポ餌が欲しいぞさあおくれ……」
と歌いながら、カラスイシはどんどん積み上げられていきました。
そして。ちょうど一年が過ぎました。その年スーパームーンは現れませんでした。そう。出ませんでした。スーパームーンは出る年も出ない年もあるのでした。
でも。そのおかげで丸一年、ふたりのポッポは親子のように仲良くおしゃべりの時間を楽しめました。
ある日。鳩ポッポは汽車ポッポへ言いました。
「もう少しだよ。汽車ポッポ。ねぇ。来年にはきっともう一杯になるよ。ぼく頑張る。」
あの日から、また一年が過ぎようとしておりました。この一年間の荷台へ黒い石を積む作業のおかげです。鳩ポッポは仲間のどの鳩よりも高々と飛翔し、また器用に飛べるようになっていました。
ところが。
この日の汽車ポッポは様子が違いました。汽車ポッポは暗い顔で鳩ポッポへ語り始めました。目の前には静まり返った銀盤の湖が人気のないスケートリンクのように静まり返っておりました。
「なあ……ポッポ。この目の前の湖は『白鳥の湖』という名の湖なのだ。わしが初めてここに来た時、そこには白鳥が数羽しかいなかった。それが一年経ち、二年経ち、三年が経ち、すると白鳥は百羽に達した。十年経ち黒鳥もやって来た。二十年経ち、三十、四十年経ち、この湖には四百羽の白鳥達が住む、本当の白鳥の湖になった。
だがなあ、ポッポ。増えれば増えるほど、淋しい者も仲間外れも増えるのだ。わしはそんな淋しい者達とだけ話し合えた。彼らの声がわしに届き、わしの声は彼らに届いた。それで彼らもわしも淋しさと悲しさから癒されたのだ。
だが五年前だ。彼らはたった一日で姿を消した。一羽の白鳥が伝染病に感染したのだ。それが人間にも感染するので、人間は恐れて一羽残らず処分した。わしは、
人間が悲しくもドラムカンの中でわしの友を処分するのを見た。わしは、ポッポと話すまでそれきり五年間も誰とも話していなかったのだ。……。ポッポ……。鳩ポッポ……。もうおまえはここへは来るな。
ポッポ。おまえは、これからはおまえの仲間の中で仲良くなるよう頑張れ。頑張るしかあるまい。わしは、ポッポ、おまえに嘘を付いた。わしが淋しかったのだ。わしが話したかったのだ。わしがスーパームーンから来たというのは嘘だ。わしは人間のこしらえたただのモニュメントだ……」
鳩ポッポは言いました。
「……。ごめん。わかっていたよ……そんなこと……」
「わしはポッポを騙していたのだぞ。」
「ぼくもポッポに騙されている振りをしていたのだからぼくもポッポを騙していたんだよ。」
「――」
「だから、明日もぼくはここに来ていい?」
「君の持って来てくれる石は カラスイシ ではない。ただの黒い石ころだ。わしの餌ではない。このわしの体の燃料になどならぬ。」
鳩ポッポは恥ずかしそうに言いました。
「でもね、ポッポ。……ぼく。元気が出る。ぼくの心の燃料みたいに。」
いったい……鳩ポッポと汽車ポッポはどちらが淋しかったのでしょうか。
三年が過ぎておりました。
春が過ぎ、夏も行き、中秋の名月。
明日か明後日か明々後日か、ポッポはスーパームーンを待ちました。ポッポがポッポの背中に積んだ黒い石ころはもう山のように一杯に積み上がっておりました。
夕焼け過ぎにポッポがポッポの背中へ、ソッ、と一個載せるてみると、積み上がっていた黒い石の隙間から二個、ポロポロッ、とあふれ落ちました。
……コッ。
と、地面を叩く些細な音をポッポとポッポは聞きました。その瞬間、汽車ポッポが鳩ポッポへ叫びました。
「乗りこめっ。ポッポ。わしの運転席に乗れっ。」
ポッポはとっさ、羽ばたいてその通りポッポの運転席へ飛びこみました。
「これでいいのかい? ポッポ。」
「それでいい。来るぞ。ポッポ。わしがいいと言うまでは目をつむっていろ。そして、ただゆっくりゆっくり数を数えてくれ。」
それで、「ポッポ」は目をつむりました。ポッポはポッポの為に眠りそうなほどゆっくりと数を数えてあげました。……。五分、十分、いや、二十分は過ぎておりました。すると、突然ポッポが、
「ポッポ。目を開けていいぞ。」
ポッポは目を開けました。
目をしばたかせました。そこにはあのスーパームーンがありました。ただし、あの血のような赤い月ではありません。銀の凸凹がありました。スーパームーンは銀色に所々白い雪の光を散りばめていました。ポッポがポッポに汽笛の紐を引くように命じます。ポッポは口ばしで汽笛の紐を引きました。
「ポーッ!」
「ポーッ!」
舞台の幕が開くかのようでした。ポッポの車輪の足元から線路が延び、植物の成長の早送りのように線路はスーパームーンまで延びて行きました。ポッポの目が点になっています。ですが、もうポッポはスーパームーンまで斜めに昇る線路を走り出しておりました。
「カラスイシ は、ただの黒い石ころだって言ったじゃないか。 」
「魔法だよ。」
「魔法って?」
「奇跡だよ。」
「奇跡って?」
「おもいやりのことだよ。」
ポッポがポッポを乗せたまま、その線路を駆け上っておりました。そして。もうスーパームーンに到着しようかという時に、体を固定する為に汽笛の紐を口ばしで噛んでいたポッポは下を見下ろしました。
驚きました。そこには数十羽の白鳥が汽車ポッポに追い付こうと空を急上昇している姿があったのです。
「下を見て。ポッポ。」
汽車ポッポの体は下を向くようにできてはおりません。いいえ、それを知っている白鳥の群れは全速力で飛び、汽車ポッポの元まで追いついて来たのでしょう。
そして、汽車ポッポの横に並ぶと、白鳥はふいにスピードを落とし汽車ポッポと並んで飛び続けておりました。汽車ポッポは白鳥の隣で涙を溜めたまま、そして微笑んでおりました。
巨大月。ここは、スーパームーン。
ポッポが汽笛の紐から口ばしを離しポッポから下りようとすると、汽車ポッポは信じられないほどの怒った声で言いました。
「おまえはここに下りてはならぬ。」
続けて、汽車ポッポは運転士のポッポへ言いました。ところが、今度ははるかに優しい声でした。
「もう明日は、わしに君の声は届くまい。もう明日は君にわしの声は届くまい。いや。もう明日は、わしは君のことを知らないかもしれない。もう明日は君はわしのことを知らないかもしれない。だが、それは君が君の幸せの為に通る道なのだよ。ポッポ……。どうか今すぐわしに『さよなら』を言っておくれ。」
ポッポは泣き始めておりました。
「いいかい。このお話も、わしの言葉も声も、誰かわしの知らぬ人が書いている。これ以上はもう話さぬ。わしの心を君の餌にしておくれ。」
「いやだ、いやだ。淋しい。」
と、しばらくしつこく泣きじゃくったあとで、もう一切びくともしない無言のままの汽車ポッポにポツリと、
「さよなら。」
鼻をすすり、やっと言えました。それで汽車ポッポも、
「さようなら。」
ときっぱり言いました。
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眠りから覚めると、いつものように片脚のポッポは走ってアスファルトのまん中でみんなと遊びます。公園で人間が餌を放れば、こぞって友だち同士奪い合います。ポッポは他のだれよりも高く飛べ、器用に空を旋回できました。
ポッポは幸せでした。
それにしても、なぜかポッポには気になる場所が一つあり、ポッポはもうそこへ何度も何度も通っておりました。ポッポは今日でそれも最後にしようと決めておりました。
そのD51のモニュメントとの前に立ちます。
飛び上がり、今日も隅々くまなく探検して回ります。
やっぱり車内のどこもが暗くひっそりとしております。陽の差す荷台の上にも何もありません。
ただ。ポッポは最後に発見しました。緑の芝の上に黒い二個の石炭がくっついて転がっているのを見つけました。ポッポはとたんにどこか懐かしい気分に包まれました。
しかし。やはり……どうしても思い起こせません。そのモニュメントとて、まったくなにを答えるはずもありません。
ポッポはその二個の石炭のうち、そのうち一つを口ばしに拾いました。
タンッ。
と片脚で離陸し飛翔しました。しばらく朱色い落陽を気持ちよさげに中空に浴び、クルクルとクルクルとよほど旋回したあと、新しい家族の元へと帰って行きました。
(おわり)