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【論語と算盤】#3 正しい素性の富しか永続できない

第1章 処世と信条から

「国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ。そうでなければ、その富は完全に永続することができない。ここにおいて『論語』とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えているのである。」

 論語と算盤の算盤(そろばん)は、「商売」「経営」「会計」という意味であるが、今風に言えば、「ビジネス」と意味に近いでしょうね。

 そのビジネスを行う上で儲かればどんな方法でも良いということではなくて道徳を基本にしたビジネスでないとダメだということを渋沢さんは指摘しています。

 自分の経験からも確かにその通りだと思うのです。

 一例を考えてみましょう。社員が平気で嘘をつく、約束は守らない、人の悪口ばかりを言い、盗み、隠す、自分のことしか考えなかったら会社は社会から排除されてしまうということは容易に想像できます。

 さすがにそこまでひどい会社はないでしょう。

 しかし、道徳を軽視するということはそのような会社になっても良いと認めているのと同じようなものなのです。

 人間は弱い生き物です。道徳的な考え方を持たないと秩序は乱れどんどん社会は悪い方向に向かいます。

 事実、SNSなどでは誹謗中傷が頻繁に行われるため法律までできる始末です。

 これは国のレベルで渋沢さんが指摘している道徳を基本とした政治(仁政)が行われていないからだと感じています。多くの国民はそう感じている。政府は根本原因に対策を打たずにモグラ叩きばかりしている。

 では、そもそも道徳とは何でしょう?

 学校で習う道徳はこれがまた全くと言っていいほど違っているんですね。

 小学校の道徳の教科書を見たときに感じたのは、これは徳とは何かを教えている本ではなく、歴史を教えている本であり道徳の本とはかけ離れていました。

この時代にこんなことを言っていた人がいたと言う類のものです。しかも、登場する人物は欧米の人達が多い。

 ここが文部科学省の問題なのです。どうしてこうなったかは、歴史を見るとわかるのですが、どうもGHQの流れで日本の教育を変えて欧米文化に変わるように教育が変えられてきたようなのです。(これは調べればわかるし、占領国家をうまくコントロールするには一番良い手段です。今のSNSやYouTubeやTikTokも同じ類いかもしれません。より拡散させ人の欲を掻き立てさせるという手段においてはです。)

 少し話が重くなってしまいましたが、これも表面的に解釈するのではなく時代背景を考えて深く本質的な部分を読み解くことになるので我慢してください。

  徳とは、人としてめざすべきありさまであり、精神的に企業や組織の中で幸せに生きるための人の生き方を教えてくれています。

 それが、渋沢さんが子供の頃から親にしつけられた「論語」なのです。

 なので、論語と算盤を読んだからと言って論語を知ったことにはならないわけですが論語とはどういうものかを知る入門書としての位置づけになっています。

 道徳でビジネスができるのか?と皆さんは思うわけですが、MBAや経営学で学んだマーケティングの知識が重要なども事実です。しかし、逆にそのような知識が多くあっても人間的に???となってくるとどこかでほころびが生まれ一時的にはうまく行くのでしょうけれど継続できなくなるときが必ず来るように思うのです。

 「『論語』とソロバンというかけ離れたものを一致させることが、今日の急務だと自分は考えているのである。」言われています。

 ここが時代背景を考えて読み解く重要な部分なのです。渋沢さんは明治の激動で急速に変わる人の価値観や政治のあり方などに対して強い危機感を持たれていることが推察できます。

 産業が復興し技術的には進歩してきている。しかし、人間性が。。。という感じですね。しかし、この時代は、まだ明治初期です。江戸から明治に変わったばかりの頃なので論語を読んだ人は山のようにいたはずです。

 私はここで妄想したくなるわけですが、もし、渋沢さんがタイムマシーンで今の時代に来たとするとどんなことが起こるのか?見てみたいのです。

 ここは米国か?と日本ではない!とその変化に驚き、どうも日本人らしい思いやりや優しさはあるが、うーんっと唸ってしまわれるのではないかと思うのです。

 私もそうですが、昭和生まれは「イージーライダー」という映画に象徴されるように自由という言葉に妙な憧れを持っていて、良い言葉で言えば、アメリカンナイズされたのでしょうけれど、悪く言うと快楽主義に走り、利己主義、個人主義に走り良い大学を出て出世するという知識偏重主義になっている世代です。

 思想・哲学はどんどん失われていった世代です。学生運動を最後にして。。。

 私が今思うのは、私の母親や父親も昭和初期の生まれですが、感謝していますし尊敬もしています。しかし、今、自分が親の歳になってみると、あまり昭和世代の人の言葉を聞くよりは、良い古典に学ぶべきだなと自分自身も含めて思うところですね。

 これで、3回にわたって寄稿しています。それでも1章に入って3ページくらいの文章からこれだけ書くことができるのは論語と算盤は結構奥が深いですね。 

論語を正しく学びたいと思われている方へ  大阪大学の加地先生が無料で動画配信されているのでこちらで勉強されるときっと論語の本質が見えてきます。



   



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