「それでは、」を聴いて見えた世界
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静かにゆっくり目を開けた時、私は夜明けの海に揺れていた。
薄明の空がどこまでも広かった。
冷たくもなく、苦しくもない。
ただ、頭の中で波の音がした。
静かにゆっくり目を開けた時、私は砂漠の上に立っていた。
どこまでも地平線が続いている。
暑くもなく、疲れてもいない。
ただ、何かを思い出せなかった。
静かにゆっくり目を開けた時、私は誰もいない渋谷のスクランブル交差点にいた。
驚くほどひっそりしている。自分の心臓の鼓動がひどく鳴る。
怖くもなく、興奮もしない。
ただ、独りだと思った。
その時、頭の中に浮かんで消えていくのは、ありきたりの風景だった。
道端にある小石。隣の家の焼けた魚の匂い。
何年も前に家族で行った旅館のご飯の写真。
メモ帳のはじっこに殴り書きした、いつかの誰かの名言。
ふとした時に思い出す、あの子の手の柔らかさ、僕の吐息。
引き出しから出てきたレシート。
忘れたくなかったのに、もう思い出せない先輩の引退試合。
今は売られていないコンビニスイーツ。
電車から撮影した、河川敷の夕焼けの動画。
何もかもなくなった時、そこにあったのは、なんでもない日常の無意味な破片だった。
どうしようもなく、泣きたくなった。
ずっと独りだと思っていた。
だけど、すぐそばにあるありふれた生活は、私の人生であり、
誰かの生きている道だと思った。
東京の空も、思っていたよりずっと星が見える。
シロツメクサの匂いは、最近初めて知った。
私たちはみんな独りで、苦しくて、寂しくて、だから一人じゃなかった。
目に見えない。音に聞こえない。確信もない。
でも、繋がっている。
私たちは、生まれた時から一つだった。
そう祈ろうと決めた。
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静かにゆっくり目を閉じる。
深く、深く、時間をかけて息を吸う。
時を止める。
少しずつ、肩を下ろして全て吐く。
静かにゆっくり目を開ける。
帰ろう。私の元いたあの場所へ。
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