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【パリが私に教えてくれたこと】人生は灰色じゃない

フランス・パリに住んで感じたこと。暮らす人々が「生き急いでいない」ということだ。


パリは世界中の人々が暮らしたい・旅をしたいと思う場所の一つと言われている。もちろん私もその1人ではあったが、明確なイメージはなかった。

都会でありながら、ローカルなところでもある不思議な街、パリ。「その土地らしさ」とは、意外なもので暮らす中でふと感じるものなのだ。

思えばメトロで「パリらしさ」に遭遇することが多かったように思う。移動するという行為は、暮らしに密着しているということなのかも知れない。

パリ郊外に仕事で出かけて用事を済ませ、家路につくメトロに乗った。いつも乗る9番線ではない。違う列車に乗ると、乗っている人々の雰囲気が違うのが面白い。

そんなシンプルなことも日本に暮らしていた時は分からなかった。それほど日々に忙殺されていたのだと、ここでも気付くことになる。

そんなメトロの中は「パリらしさ」の宝庫だった。

とある日、70代の老夫婦が大きな犬を連れてメトロに乗ってきた。よく見ると、その2人は手を繋いでいる。腰をかけたあとも、その手を離すことはなかった。

犬は2人の足元でおすわりして、じっと眺めている。
メトロに乗っていた20分弱という時間、2人は静かなトーンでずっと話をしていた。
それは散歩中に見た景色の話なのか、週末に行く美術館の話なのかは分からない。

ここで伝えたいことは、私はその2人の顔が忘れられないということだ。

とても穏やかで満ち足りた表情。ムッシュがマダムの方を向いて話しかけている。マダムは時折、窓の外を眺めてぽつぽつと返事をする。その言葉に反応するかのように、ムッシュは手を優しく握る。

きっと2人にとったら何てことはない、普通の日常といったところだろう。

私は心を砕かれた。

日本でそんな老夫婦を見かけることは、ほとんどなかった。(いや、ないと言ってもいい)
何故なら、日本の場合はマダムがムッシュに話かけている光景ばかりを目にしてきたからだ。

マダムからいくら話しかけてもムッシュからの反応はない。返事すらしない、目も合わせない。そんな老夫婦が非常に多いと思う。(老夫婦に限らないのかも)

私の両親を見ていても、母がいつも一方的に父に話しかけている。

「返事くらいしてよ」「ねぇ、聞いてる?」
そんなことを嘆いている母をずっと見てきた。

父はきっと悪気はないのだろう。けれどその悪気のない雑な対応は私からしたら、ずっと違和感のかたまりだった。

返事くらいしたらいいし、ちゃんと話を聞いたらいい。難しそうな設計図が父のPCの中を埋め尽くしている。ならば、なんでそんな「簡単で普通のこと」をしないのだろうと思っていた。

仕事で常に忙しく、追われている。そんな追われた生活を父は、楽しんでいるようにも見えた。
たくさん働き、たくさん稼ぐことが、生きる美学かのようだった。

それはそれで素晴らしいことだと大人になった今は思える。けれど、何だか腑に落ちないのだ。
頭に浮かんでくるのは「それって本当に幸せなのか」という言葉である。

日本では、夫婦はそもそも手は繋がないのが当たり前のように思う。手を繋いで仲良さそうにしていたら「良い歳して」「気持ち悪い」などと言われかねない。だから繋がない、人前では素っ気ない態度をとるといった悪循環サイクルだ。

日本語で「本音と建前」という言葉がある。それはきっと優しさからくるものであり、相手を傷つけないためなのだろう。本音を言わないことはいいこととされたりする。建前でその場を取り繕い、滞りなく進むことを望む傾向がある。

それはビジネスの場面でも同じで、なるべく多くの人が不快に思わないように空気を読むことが、良いことなんだと私も思っていた。波風を立たせない、気まずくなるようなことは言わない、相手に合わせて、とりあえず困った時はハハハと笑ってきた。

そんな自分にうんざりもしていた。

本当の気持ちは出来るだけ隠す文化である。気持ちだけでなくお土産も、ご祝儀も、なんでもとりあえず一旦、包むのだ。(それはそれで好きでもある)


その老夫婦からは、お互いの人生における「今日という日」をまっすぐに生きている感じがした。目の前の幸せ、目の前の大切な人、今というかけがえのない時間をただ生きている。

そういった、気に留めなければサラサラと流れ去ってしまうような事を大切にしているように見えた。私は、見ていて泣きそうになった。幸せとはこうゆうことを言うのではないか?少なくとも私の中で、それはもう疑問ではなく確信に変わっていた。


どうしたらそんな風に"今"を生きれるのだろう。そもそも"今"って何なのだろうという思いが駆け巡る。私はきっと"今"を生きてこなかったから、そう思ったに違いない。

日本でなんら不自由ない暮らしをしながら、何かが違うと思っていた。その答えは「今という瞬間を、幸せに生きること」だった。

仕事でも先回りして、こうした方がこうゆう結果を生み出せるといつも結果を求めて生きてきた。結果がすべて。頑張っていようが、結果を出せなかったら結局はダメなこと。優秀な人=素晴らしい人。周りに褒められる自分になれたら、それが良い人生だと、そう思ってきた。(けっこう本気で)

その老夫婦が何の仕事をしているのか、どんな家に住んでいて、どんな生活をしているのかなんて全くもって興味はないし、そんなことはどうでもいい。

ただメトロに乗りながら、たわいもない話をして穏やかに笑う。

それでいいし、それがいい。

思えば昔から、見た目や言動で人を差別する風潮が苦手だった。というよりも、正直どうでもいいと言ったほうがしっくりくる。私が興味があるのはその人の思考だ。脳の中でどんなことを思い、どんなことを考えているのかという、その人らしさのほうだ。

けれど、周りは違った。それが悲しかったし、孤独だと感じていた。なんで同じように思う人がこんなにもいないのか、分からなかった。少なくとも、日本に暮らしている中で、少数派だったことは間違いないだろう。

言っても伝わらないなら、言わないでおこう。私って変なのかも知れないとすら思って生きていた時もあった。みんなが楽しそうに話している話題を面白いと思えないのに、頑張って合わせて、楽しそうに振る舞う自分が本当に嫌だった。

私の心の中のリトルたんまるは叫ぶ。
(またダサい表現でごめんなさい。)

「てゆうか、同じじゃなくて良くない?そもそもなんでみんな同じに思えるの。おかしくない?違う人間なのに。違う意見、違う思考が当たり前だよ。違うからいいし、違うことを認めあって尊重し合いたい。私が話したいことは、人の噂話ではなくて、あなた自身の話なのに」


パリのメトロに揺られながら、自分の深層心理にたどり着いた時は清々しい気分になった。ここではみんなが違う。違うことを受け入れ合って、それが当たり前といった雰囲気。こんなにも住む国や場所が違えば、「当たり前」は変わり、普通とされる基準も違うのだと驚いた。

私は全然変わってなんかいなかった。いたって普通なんだと。そう気付いて、とても安心したのを覚えている。

初めて自分にピントが合った感覚。自分はここに居る。今まで生きてきた人生に色が付き始めた瞬間だった。まるで、モノクロ映画に突如色が塗られたみたいに。

私の人生は灰色なんかじゃなかったようだ。

それから、ムッシュがマダムに向ける素顔のように優しく微笑むことが私も少しだけ出来るようになったと思う。それは生きる気力が湧いた出来事だった。

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