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諸外国と比べられる日本の教育とその難しさ

 教育現場はとりわけ諸外国とその質について競い合わされる。「アメリカでは・・・」「オーストラリアでは・・・」最近では「スウエーデンでは・・・」である。この比較は正直言ってあまり意味がないように思っている。もしも本気で諸外国と肩を並べたいのであれば日本の教育体制を抜本から改革しなければならない。

 私はアメリカの教育現場で働いていた経験があるが、同国の先生に比べると日本の先生は本当によく働く。アメリカは夏休み3ヶ月間まるまる休みで、もちろんその時の給料は発生しないのだがバイトができる。同僚でも夏はプールの監視員をしていたり、放課後レストランでウエイトレスをしているという先生もいた。夏休みに給料が発生しないと言ったが、実は年棒を12分割するか、9分割するか選べる。私は一定の収入の計算を立てたかったので12分割にしていたが、夏はバイトに勤しむという先生であれば9分割でも良いのだろう。ちなみに、アメリカの教育制度はその州や地域によって異なるので、ここで語ることはアメリカ・サウスカロライナ州ではと言うことを前もって述べておく。

 アメリカの教員の仕事に日本のような細々とした雑務はない。自分の担当する教科を教え、生徒指導はするが、それは大人が子どもを叱るようなもので、日本のように心から鍛え上げようという類のものではない。ホームルームの担任もいるが、基本的には連絡事項を伝える係で、例えば進路指導ということであればスクールカウンセラーだったり専門の先生が担当する。部活動は基本コーチがいるのでそれに任せ大体の教員は定時に帰る。いつも学校に夜遅くまで残っていたのは私と用務員さんぐらいだ。金曜日は15時には皆帰ってしまう。

 給料は副業をする先生がいるぐらいだから確かに安いが、教育現場にはゆとりがある。それなので、各自先生がHPを作ったり、新しい機材が導入されたらそれを研究したりということが可能なのである。しかし、日本の教育現場はアメリカでは多くの人間が分担して行っている作業を一人で賄う。その中で教材研究も行うので基本的に「無理」なのだ。毎年同じことを同じように行うサイクルを回すことで精一杯なのである。

 しかも、保護者対応も日本の先生は丁寧だが、アメリカも親を呼び出すことはあるが来なければそれまで。日本のように「保護者も仕事があるだろう。」と夜に面談を設定することはない。「あなたの仕事はあなたの仕事。」「私の仕事は私の仕事。」なのである。

 数え上げたらキリはないが、これだけ教育事情は違う中でも世界のトップクラスを保つ日本の教育は本当にすごいと思う。一つの例として5月15日に東京で受けた授業の続きを5月16日に長崎県でも受けられる完全に整ったカリキュラムというのは世界でもほとんど例を見ないのではないだろうか。

 確かに忙しい「フリ」をしている先生がいるのも事実だ。しかし、それを差し引いても日本の先生は一律に業務量が多すぎる。本当に教育を良くしたいのであれば無駄なコンピューター機器を導入するのではなく、給料を上げ、人員を割り当てるべきだ。給料を上げられないのであれば給料を下げる代わりに定時退勤の補償と副業を許可するべきだ。人を創るところに人が足りない現状は最も是正すべきことだと思う。言うまでもなく人は人から刺激を受けて育つ。大人になるまで出会った人は学校という閉ざされた空間に長年いる一部の大人だけという現状がよろしくないのは目に見えている。

 教育は足し算ではなく人の掛け算により発展していくものだ。どこの国の教育は・・という議論よりも、一人の人間が最大限のパフォーマンスを発揮し、それが生徒に還元されるという好循環をいかに生み出すか、それを政府は真剣に考えて欲しいものである。


 

世界を旅するTraveler。でも、一番好きなのは日本、でも住みたいのはアメリカ・ユタ州。世界は広い、というよりも丸いを伝えたいと思っている。スナップシューターで物書き、そうありたい。趣味は早起き、仕事、読書。現在、学校教員・(NGO)DREAM STEPs顧問の2足の草鞋。