![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/43707448/rectangle_large_type_2_110feca2584d23aef0455d44d7f01dbf.jpg?width=1200)
シフォンのオスカルブラウス
透け感のあるベージュのシフォンブラウス。胸元は大きく開いていたけれど、リボンで結んでインナーは黒を着れば不自由はなかった。いかにも女というイメージは私には似合わない。
形はマスキュランというイメージ。腰骨のあたりに太い帯のようなデザインで、これがあることでウエストにふんわりとした空間が生まれた。
長袖の袖先は、パフスリーブのようにふんわりとしながらもここにも帯のようなデザインに小さなボタン4つがついていた。
このブラウスは、ベルサイユのばらのオスカルを思わせた。
女性らしさと男性らしさをあわせもったこのブラウスが好きだった。
男の中で女として戦うためにこの服はぴったりだった。男として対抗するのではなく、女の部分もうまく利用しながら働いていきたかった。
会社から支給される男の人たちが使う大きなカバンは、ごつすぎた上に重すぎた。さすがに似合わないから違うカバンを買うように言われた。黒い大きなトートバックを買った。
この中にたくさん資料を詰めて、東京の中を歩いた。知らない街に足を踏み入れるのはドキドキしたけれど、知らない場所が、知らない街が、知らない道が、歩くと繋がっていくことを知って私はわくわくした。
右肩は擦れがちだったので、このブラウスは冬のコートを着るときのインナーにして、大切に着るようにした。
オフィスの中は暖房が効いていることがほとんどだったから、温度差で顔が真っ赤になってしまう私には、このブラウスが温度調節の意味でも重宝した。
ボトムスはブラウンの細身のパンツでも、ネイビーのワイドパンツでも、黒いフォーマルパンツでも、違和感なく馴染んだ。
「お先に失礼します。お疲れさまでした」会社を出る前に、いつもマグカップを洗ったあと一度席に戻って挨拶をして帰った。
私は、19時を時計が指す頃をひとつの目標に仕事をしていた。
きっとあの人もそうだったんだろう。しばしば一緒になることがあったからそう思っていた。
駅まで二人で歩いていても不自然ではなかったと思う。営業から帰ってくる人がいても、「お疲れ様です」とそれだけだった。
あるとき同じ部の後輩とすれ違ったときにこう言われた。「二人で飲みに行くんじゃないんでしょうね。もしいくなら場所教えてください」と。
実際、数人か大勢で行くことはあっても二人で行くことはなかった。
「じゃあ、とりあえず二人で行ってみますか」と誘ってくれた。駅まで来てしまっていたので、あまり行かない駅のはす向かいの地下の居酒屋へ入った。
あとで後輩に声をかけるつもりだったけれど、満席でカウンターに通された。「二人でも大丈夫?」と聞かれたので頷いた。そのまま二人で軽く飲むことにした。
カウンターは明るくて、変なムードになることもなかった。けれど、少し気になったのは、この距離感だった。肩がぶつかりそうで、席を立つ時にも少し動かないと出られない感じだった。
お通しがきて、飲み物がきて乾杯をした。あの人が何を好きでキライかは知らなかった。ちょっとドキドキしながら注文をして、一緒に食べた。
「これおいしいね」と、隣にこうしていられることがうれしかったし、たわいもない話をすることがたのしかった。
トイレの鏡に映った透け感のあるブラウス、近い距離はちょっとよくないのではと思ったけれど、あの人は変な目で見ることもないし、変なことになることはない。
ただ話しているだけでたのしい。それだけ、それでいいじゃないか。
右側の肩が触れそうな距離にいるあの人を、見つめることなく、なんとなく視界にとどめるだけにして、沈黙がちょっと続くときは私から話をしたり、質問をした。
私が聞くとちゃんと答えてから、同じように聞き返してくれる人だった。やさしい低い声の人だった。
年上で役職もついていたけれど、仕事以外の話をするときは同じ目線で話してくれる人だった。
お酒も最後のほうは、ふたりでロックをちびちびと飲んでほろ酔いだった。
「そろそろ帰ろうか」そう言われて、階段をのぼっていた。「うわぁ」、最後の段で足を踏み外して私は転びそうになってしまった。
前にいたあの人が不意に私の手を取ってくれた。
「大丈夫?」
「あっ、すみません。ありがとうございます」
目が合うと、手を取ってもらったまま時が止まったような気がした。
「じゃあ、帰りますかね」
「えっ?」
私の右手は繋がれたままで、あの人は歩き始めていた。
「手、冷たいよ。顔は赤いのに」
状況はよくわからずに、でも私の口からでてきた言葉は、「誰かに見られたらどうするんですか」だった。
「大丈夫だよ」
そう言われて、駅の階段の途中のところまで手を繋いだままだった。
「今日はありがとう」と、あの人がニコっとして言うので、私もニコっとしていたと思う。
「いえ、こちらこそありがとうございました」そう言って、改札で別れた。
違う電車に乗って帰る。ホームで電車を待っているときも何があったのかよくわかっていなかった。何回も階段を上るあたりから思い返してみた。
お酒のせいだから?何が大丈夫だったの?
オスカルブラウスが少し艶っぽく見えてしまったのだろうか。
いや、私が転びそうだったから、ただ助けてくれただけか。
それだけのことか。そう、それだけ。
駅から家までの道がとても長く感じた。暗くてまっすぐ続く道。
あの人も今頃、何を考えて歩いているのかな。