「志村けん」というコメディアンについて
志村けんがコロナウイルスで亡くなってから、そろそろ四十九日が経つとか経たないとか。
実に惜しいコメディアンを亡くしたと思う。
なぜなら、現代の数多あるコント師の中で、ほぼ唯一と言っていい、テレビでスラップスティックなコントやっている人だからである。彼は、キャラものもあるが、80年代にあった全員集合の流れを組んでいて、セットが壊れたり、お約束のギャグが挟まれていたりだとか、実に緻密にコントを作っている。だが、実際は、稽古はあまりせずにほぼ本番ぶっつけでやっているらしい。
今のコントは、シチュエーションと会話の妙で成り立っている。そこにオリジナルのエッセンスで見せるのが、王道のコント師だと思われている。たとえば、東京03とか。飛び道具だったら、コントの内容よりキャラが買ってしまって、なにを見させられているのかわからない状態なのがある。たとえば、にゃんこスターだった。
わかり切っていることだとは思うが、テレビでかっちりしたコントをやることはもう採算が取れないのであって、芸人はそれを口にしているところを聞いたことがあるかもしれない。時間はかかるし、セットと衣装の費用もかかる、コストがかかるのである。先に書いた通り、テレビにでている芸人のコントは至って簡素なコントだ、ただ椅子があるだけとか机があるだけとかである。
そんな若手がやっている中、志村けんという人間は、バカ殿で同じセットでいろんなシチュエーションのコントをやってみせている。
この話は、コントはコツコツ続けていれば、志村けんみたいになれるということではなくて、この時代格差というか、どちらもニーズはあるだろうけれども、全世代にウケるの志村けんだし、今の先端は若手だ。
志村けんのコントは時代の格差の最後の防波堤だったとぼくは思う。
もう、テレビであんなに大掛かりなコントは見ることはできないだろう。
これからは、センスがとわれるコントが主流なっていくだろう。というか、なっている。
多分、それは、ラーメンズから始まっているいるような気がする。
それはまた別の機会に書くとする。