丘 の 上 の 菜 の 花 ~幼なじみのシロへ~
シロ…。
君が天国から咲かせてくれた 菜の花。
今年も春が近いことを、僕に教えてくれる。
そうでなければ
春は永遠に来ないものと、あきらめていた。
故郷の見えるこの丘の上で、僕たちは別れたんだね。
寂しくなったら、ほらっ、こうしてまた会えるんだ…と
自分に言い聞かせているのに
歳を重ねても、涙の数が減らないのはなぜだろう?
痩せこけて汚くて
いつもきまって君は、お腹をすかせていた。
そのうえ大人は誰も
君が臭いからと 近寄らなかった。
君には棲む家が無く、誰からもいじめられないように
隅っこの草むらで、小さな体を丸めていたね。
そんな君が一番に、なついてくれたのが僕だった。
クーンクーンと
甘えん坊で寂しがり屋の子犬のシロ。
一枚が5円の、大きな丸い煎餅 (せんべい) …。
たまにしか買えなかったけど
君は嬉しそうに、ぱくぱくと食べてくれた。
僕にしてあげられるのは、そんな事くらい。
君とは本当のきょうだいのように、一緒に暮らしたかった。
だけどどんな願いも、かなうはずがなかった。
家が貧しかった、それだけの理由で…。
我が家は近所で一番の貧困家庭だった。
シロの真ん丸い瞳にも僕が
みすぼらしい姿にしか映らなかっただろうね。
古い港町の、飲み屋街の片隅に
一軒だけ不釣り合いに軒を並べていたのが
僕の暮らした家。
がたついて鍵のかかりにくい、重い引き戸の玄関が
ちいさな体の前に立ちふさがる。
ギギギギと、軋 (きし) む音が我が家の出入りの合図だった。
雨漏りとサビの目立つ、平屋建ての薄青いトタン屋根。
ボロ板を継ぎ足しただけの壁々から、冷たい隙間風が吹く。
海沿いの低地なので
台風の直撃が無くても床上浸水が年中行事。
泥水を搔い出すたび、大勢の野次馬に囲まれた。
衣類や靴は、授かりものだらけ。
たいそう綻 (ほころ) びても、少しも嫌がらず身に着けていた。
家には、テレビも何もない。
行き倒れ寸前の
神様からも見捨てられたに違いない少年…、それが僕。
夢や希望に すがる事さえ、許されなかった。
おまけに 僕はいつも
陰湿ないじめの標的にさらされていた。
ベニヤ板の壁ひとつ隔てた南隣りの建物が
にぎやかだった居酒屋。
路地を挟んで東隣りが、老舗料理旅館の宴会場。
毎夜毎夜の手拍子と歓声と、スピーカーの巨大音量。
ちまたの流行歌を数多く、いやが上にも覚えさせられていた。
天国と地獄ほどの、お金持ちと貧乏人との極端すぎる格差。
幼な心に何度も
繰り返し繰り返し 思い知らされたものだ。
また同じ酔っ払い達が、おもしろがって
わが家の壁に、立ち小便をぶっかけていく。
家賃が月々5千円の究極のボロ家がそんなにも珍しいのか。
畜生! 酒とはこんな風に、人の本性をむき出しにする。
僕は今でも、酒とタバコが嫌いだ。
貧乏苦と言う事では、町内でも別格だったらしい。
赤ん坊の頃は、家賃の要らない北町公民館で育てられもしたが…。
果てない悲劇の連鎖のように
家族全員が貧困と差別に苦しんだ。
不憫 (ふびん) に思いつつも、周囲の大人達は見え見えの困惑顔。
貧乏に耐え切れず、僕の産みの母親は僕につらく当たった。
それが虐待だとしても
誰にも救える手立てがなかった。
最後に母親は、妹だけ引き連れて
家を飛び出した。
それきり二度と帰ってこなかった。
それでも僕は、母親を恨めない。
厳しすぎる現実の不条理に、幼かった僕が
どうして平気でいられただろうか?
重く鈍い “歯ぎしり” だけが、夜通し続いたという。
目覚めた時の、いつも通りの赤い血液の味も
歯という歯が ボロボロなのも
そのせいだった。
僕は10歳 (小学4年生) 以前から、そして、おばあちゃんは
足腰が動けなくなるまで新聞配達に従事した。
昔は休刊日が少なく2ヶ所の新聞直配所で、年間360日以上働いた。
月曜以外は折り込み作業もあり、深夜から早朝にまたがった。
ただでさえ坂道の多い土地柄なのに、昔は積雪が多かった。
そのたびに滑って転んでまた滑って、凍傷寸前のありさま。
暑さ寒さはともかく、手加減なしの台風や長雨。
子供に粗暴な野犬の群れにも、随分と泣きべそをかかされた。
その後の僕は、中学と高校の6年間、さらに社会人になってからも
工場勤務のかたわら、新聞配達を限界まで続けた。
現在でも生きる為に働き蜂の日々。
腸管の破裂で西脇病院へ緊急搬送され
生死の境を彷徨 (さまよ) った事や
持病悪化で、つらい入院を繰り返した時期がある。
ねえ、シロ。
僕のこれまでの人生は本当に、踏んだり蹴ったりだ。
寂しさや哀しみを通り越して、どんな言葉も思い浮かばないよ。
まるで、フランダースのネロ少年に そっくりだよね。
歯を食いしばり、がむしゃらに働いても、お腹いっぱい
ご飯を食べることができない。
そのご飯は、家中どこをさがしても見つからないんだ。
うっかり一人で泣き始めたら
溜め込んだ涙が何時間も止まらない事がある。
小さな両手が、ぬぐい切れない涙で びしょ濡れだった。
殴られても蹴られても、 人前では絶対に
泣き顔だけは見せないくせに。
シロはいつも、ひとりぼっちだったね。
君には、心配してくれるお母さんもお父さんもいない。
どうすることも出来ない君の悲しさ、寂しさ、悔しさを
僕なら全部、わかってあげられると思う。
振り返れば、そんな君がいてくれたから、当時の僕は生きてこられた。
君だけが、僕を必要としてくれた。
つらい時も苦しい時も、君といる時は、なんでも忘れられた。
やがて、逆境に立ち向かう勇気をもらった。
君と出会ってから2カ月余りの、小学校の下校時だった。
大谷川の河原の隅へ追いやられた君に
上級生達が何かを投げつけていた。
悲しそうな君を上から取り囲み
馬鹿笑いして、いっこうにやめようとしない。
目に焼き付くほどの、残酷な弱い者いじめ。
それなのに僕は、引き止める勇気が無かった。
唇を震わせて、上級生たちをじっと睨 (にら) みつけただけ。
君さえ助けてあげられない無力で臆病な自分が、情けなかった。
痛々しい君が、心配でならなかった。
……、でもそれからは、開き直ることにした。
ボコボコにされても君をかばった。
そして君と僕は、大の仲良しとなった。
僕たちは生まれ故郷に
思い出を精一杯残してこれたよね。
例えそれが、短い夢物語だったとしても…。
鯊 (はぜ) や 、どんこと競争した大谷川。
一本杉の巨木が話しかける天神山の坂道。
大空へ飛翔した、相生小学校のブランコや滑り台。
人々を見守る小さな蛭子神社。
風と光の妖精達が、屋根屋根を跳ねている。
相生港から今も聴こえる、不思議な波の子守歌。
真白い無数のカモメ達が
忙 (せわ) しげに漁船や連絡船を追いかけている。
海の匂いの漂う波止場は、先端の石灯篭が名物だった。
そうして、港町を見渡す丘の上…。
遠い昔を なつかしむように
菜の花が、そこらじゅうで そよいでいるよ。
雨と風が叩きつける朝。
僕が新聞配達を終えて駆けつけると
君はこの丘に横たえて、固く冷たくなっていた。
日を追うごとに君は、体力を失っていたんだ。
栄養失調で腹ペコのうえに、今朝は季節外れの寒さ。
寒かろうに。
つらかろうに。 寂しかっただろうに。
ぐったりと、こんなにも変わり果てた姿になって…。
君はみずから 死に場所を選び
最後の最後にそっと微笑んで
僕へ何かを伝えようとしたのだろう。
泣いても叫んでも君はもう二度と
立ち上がることがなかった。
クーンクーンと、甘えるしぐさも無かった。
人も動物もなぜ、みんな死んでしまうのだろう?
なぜシロは、死ななければいけなかったのだろう?
君は今度こそ、天国で幸せに暮らすんだよ。
お母さんとお父さんにたっぷりと、かわいがってもらうんだよ。
そこならきっと、お腹をすかすことも
暑さ寒さに耐えることも
みんなからいじめられる事もない。
もしも神様が本当におられるのなら
どうかシロだけは(どうかシロだけは…)
天国で幸せにしてあげて下さい。
ひとりぼっちのシロ。
君が、かわいそうで仕方なかった。
世の中はあまりにも、不公平だと思った。
シロ。
どんなに月日が巡っても、僕の心は幼いあの頃のまま。
悩み苦しみ、懸命に生きてきたから
何もかもが、きのうの出来事のように思い出されてばかり。
あの頃のまんま、もう一度 君に会いたい。
なんだか今日は
おわん島が とても近くに見える。
家島諸島も、小豆島も、瀬戸内海も…。
僕たちが いつもあこがれた
幸せを見つけるための 広くてきれいな世界。
『いつか一緒に旅をしよう!』って
君と固く約束をしたんだ。
君と僕は いつまでもずっと 仲良しだよ。
また今度、あの大きな丸い煎餅を半分コしよう。
追いかけっこもしよう。
いつも君は、幸せいっぱいに喜んでくれた。
だから僕は負けない。
僕は負けない。
今までどおり、まっすぐに生きていこうと思う。
『シロ』。
甘えん坊で、さみしがり屋のシロ…。
また、会いに来るからね。
≪筆者のコメント≫ その①
古い港のあった相生のこの町が僕の故郷。
そして、かけがえのない 心の原点。
本格的な埋め立て工事により、当時の港は跡形もありませんが……。
埋め立てられた場所の一角に新築されたのが『なぎさホール』。
正面入り口右手東側の壁に、かつての”相生港”の大壁画が
展示されています。
何度も訪れているのに、なつかしくて せつなくて
じっと、立ちつくさずにいられない。
≪筆者のコメント≫ その②
≪丘の上の菜の花≫は 架空の物語ではなく
ありのままの ”生い立ち” です。
BGMは、平原綾香さんの『明日』……。
当時の自分の心に
そっと、寄り添ってくれていたような気がします。
♬『明 日』/平原綾香
♬『マルセリーノのうた』/堀江美都子
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