これから人生は各駅停車でいこうと思うアラサー。1556文字

"恋愛という世界線"という言葉を自分で使って気づいた。

(けどうまく書けなかったらごめんなさい)

私はいままで「仕事」という列車に乗ったら、終点までしばらく降りられない。という生き方だったんです。

それは、ある種の集中力の高さが故のことだったんじゃないかと思う。(よく言えば)

おかげさまで、「仕事」という列車1本に乗っているとき、それは全然止まらない新幹線みたいにばびゅーっとずっと進んできた。

おかげさまでいろんな学びとともにそれなりに技術を磨いてこられた。

けれども、新幹線も始発から終点まで止まらない訳ではなく、時折、止まるじゃないですか。

それは体が固まってきて外の空気吸いたいなみたいなタイミングで。

これも例えるなら「恋愛」という列車に乗り換えられる接続駅に停車したみたいな感じなんですね。

で、え、乗り換える?え、仕事は?え、ばかになっちゃう←

という感じで乗り換えるにも乗り換えられず、

一旦新幹線の窓から恋愛列車を乗り降りするひとを眺めて、

それでもやっぱり引き続き「仕事」という新幹線で先へ進んでしまう。


そんな感じだったんですね。


で、そんな私には器用な親友がおりまして。

ヒトの質とはこんなにも違うものか。と思わされるほどに、真逆のタイプで。

彼女は仕事も安定して続けながら、彼氏が途絶えない。

その都度楽しそうで、嬉しそうで、悲しそうだったり残念だったり、着々と生き進んでいました。

私はそんなポテンシャルの彼女をすごいと思うし

彼女はわたしのその「やりたいことになりふり構わず取り組んじゃう集中力」をよくリスペクトしてくれた。

学生の頃、彼女は私のことを「あなたは周りのひとから愛されているし時々すごく嫉妬する」と言っていたけれど、

私はいつだって誰かとパートナーシップを築きいつだって誰かがその席が空くのを横目に確認しているひとが近くにいる彼女に(いつだって)嫉妬していた。

さすがに学生の頃とは違って、

大人になってそれぞれの仕事があって、

環境が分かれることでそういった嫉妬心とも彼女自身とも、自分が健やかに過ごせる距離感で付いたり離れたりできるようになった。


それで、

本題に戻ると、


彼女はいつだって、一本の「自分」という列車に乗っていて、

各駅停車で進んできているんですよね。

それは1日のなかでもいくつもの駅に止まって、

「友達とライン」駅

「好きなひととライン」駅

「通勤電車で映画見る」駅

「仕事」駅

「先輩とランチ」駅

「仕事」駅

「こっそり彼氏とライン」駅

「こっそり友達とライン」駅

「仕事」駅

・・・こんな感じ。


一方わたしは、

朝、起きて、支度して、仕事して、ご飯食べながら仕事のこと考えて、仕事して、帰りながら仕事のこと考えて、ご飯食べながら仕事のこと考えて、シャワー浴びながらひとり反省会して、音楽聴きながら仕事のこと考えて、布団に入って仕事のこと考えて、あっ明日これ絶対伝えなきゃじゃん!てことをメモするためにまた起きて、

みたいな私とは全然なんか、生活のなかの密度というか、質が違う。


どっちがいいとか、悪いとかではなくて、

ああぁ、そりゃ世界の見え方違うわな。という納得感。


そしてそんなわたしの集中力で恋が始まるとそれは「仕事」の文字が「好きな人」になるだけなのでそれはそれでやっかい。重い。

自覚しているので避ける。

そうなる前にそうしない。

よってもうずっと彼氏いない。(遠い目)


なにかで自分の依存先は複数用意しておいた方がいいって書いてあってすごく納得したのも思い出した。


いろいろ思い出して、いろいろ整理できているってことは、いろいろちゃんと変わってきたってことだと思うから、これからもきっと色々変わっていくであろう生活を楽しみたいです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

Special Thanks:ご縁16年目の親友