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3.11の日に少しだけ思い出す千羽鶴のこと。



3.11、当事私は小学校卒業間近。

私の祖父の家は南相馬、親戚もみな仙台浪江小高だったもんで、
さすがに怖かったのはよく覚えてる。

両親が北に車を走らせる間、東京で小さかった下の兄弟3人と留守番をしてたの。

それで兄弟4人で千羽鶴を折りはじめたのな。

そのあと初めて被災地に行ったときは、
いつも泊まってた家は壁にヒビが入ってたし、瓦も落ちてたし、神社の鳥居はぶっ壊れてて、
6号線を走ればもう海側には何もなくて。
祖父が管理してた2つの神社のうち一つも流されてて、たくさんの方が亡くなって、
立ち並ぶ仮設住宅に怖いとすら思ってしまって。

言葉にならない気持ちで埋め尽くされてたことだけ覚えてる。

そういうなかではあったけど、千羽鶴は完成させたの。東北復興のお願いを書いた札も下げてね。

祖父に渡したとき、喜んでくれてね、
祖父の家の神社にいまだに奉納してあるのよね。



でね、中学生になって、改めて生徒会で被災地のために何かしたいって思った時、私には何もできることがなかったんだよね。

当時は本気で思いだけでも届けるべきだって思ってたから、千羽鶴作ろうって言ったんよね。

結構真面目に笑

そうしたら、
千羽鶴ほどいらないものないからやめとこって言われたんよな。多分。

その意見って実際正しかったんだと思う。
でも当時の私は子供だったからムカついてしまって、そこからそんな話が進まないまま、結局何もなさないまますぎちゃったんだよね。

そのことがあって私初めて、「千羽鶴 要らない」って調べたんだよね。

当時携帯もなかったから、うちのパソコンで調べたんだけど、被災地に送られても何にもならないし正直邪魔って、出てきたのね。

そうかぁって。

私たちがあの時作った鶴は祖父のことは喜ばせても、被災地のみんなのことを願って折っていたとしても、実際何かをしたものではなかったしなぁと、思ってしまって。



千羽鶴て、私広島の禎子さんの、頑張って生きるという意味で強い願いをちゃんとこめて作るものだと思っていて、そういう意味で尊いなぁなんて思っていたから

すこしだけ、誠に勝手な話だけど、悲しい気持ちになったのよな。

まぁ、そんな感じで、結局、中学生の時は、被災地に対しては最後まで何も出来ないまま終わりました。

高校生のときは、アクリルタワシ作るみたいなボランティアで手伝えたことがあったけど、
どんどん自分の身の周りことでいっぱいいっぱいになっていたから、思いも少し薄れててね。



あれから10年経って、私はぬくぬくと(もちろん日々いろんなことがあって最近も私的大きな決断もして、頑張ることもたくさんあるけどそれでも)平和に生きてられているわけで。

それに甘えて、結局ここまで、これといって自分で力になれたなぁと思うことはなくて、
心のどこかで、もう遠い昔のことみたいにしまってしまっている自分もいるんだよね。


東日本大震災のあと、いろんな災害が日本各地で起きて、
何か何かとちょっとした募金とかはしたけれど、自分に直接関わりがなかったり遠かったりすると、目の前の世界に追われている間にやっぱり遠いことになってしまって、

なんてことばっかりで、10年過ぎちゃった。




それでもこの日だけは、
やっぱり震災の怖さと、あの頃みた被災地の姿と、何も出来なかった心苦しさ申し訳なさと、社殿に飾ったままの拙いメッセージと千羽鶴が
私の頭には浮かぶのね。



あの日、大事な人を失ったり、大事な何かを失ったりして、今でもぽっかり穴が空いたまま苦しい思いをしている人はいるし
私はその苦しみの100分の1もちゃんと分かってあげることはできていないんだと思う。

でも、そんな人たちが、どうか少しでも幸せに元気に生きててくれたらと、私はまたものすごく勝手に想ってる。


今生きてる人たちは、みんなそれぞれに頑張って今を生きてて、
今日誰かは、今日を生きられなかった誰かのことを思って生きてる。

何かしらの悲しみを抱えたまま生きているひとは、この震災に関係なくたくさんいると思うけど、

それでも私は、今日をきっかけに勝手にたくさんのことを想うことはしたい。


“想うことしかできない”、私はずっとそうだ。

私のわがままで、せめてそう思うことで、自分の後ろめたさを解消したいんだろうなってメタ認知はしてる。

想ってるだけでは何も変わらないし、何も力にならない。千羽鶴は、思いが少し形になっただけだ。

でも無邪気で強い願望だったあの千羽鶴は、まだよかったと言いたいな。


ごめんね。


福島に行くたびに、被災したであろう人たちが買い物をしてたり、立ち入り禁止だったところに帰れるようになったり、
あのころまだ生まれてなかったんじゃないかなって子供が遊んでるのを見たりして、
静かに嬉しく思っていました。

いっぱい頑張ってくれた人たち、ありがとう。

ほんとに。



私は、今は私のことでいっぱいいっぱいだけど、
ちゃんと想うだけじゃなくて、何かが出来る人間になれるように、頑張ります。



と、ぐだぐだ書いてしまったけれど
今日だからこその、感情の吐露でした。

千羽鶴を本気で折っていた、あの頃の私へ。
少し大人になってしまった私より。

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